富嶽かく語りき⑧

 「でも、英雄扱いだったんじゃないですか?」

 幽香が聞くと、大女おとめはくすぐったそうに頬を指でなぞった。

 「それはまあ──翌日は町をあげての御祭り騒ぎでしたがね」


            ──回想──


 翌日、一柳町は巨熊捕殺さるのニュースで大いに沸いた。

 (あの割れ三日月がとうとう退治された)

 (やったのは片山家のウドの大木娘)

 (あの湖国の巴御前とも近江の女ヘラクレスとも謳われた)

 (たった一人、しかも素手で)


 母の涙怖が吹聴したのを皮切りに、富嶽の武勇は瞬く間に町全体へ伝搬、土曜日の正午には、伝統的日本家屋の片山邸に大勢の人が押しかけた。

 警察、保健所、生物学者、新聞記者、神主に僧侶、見物の町民たち。

 大津の自然史博物館の副館長が死体を調査、やはり怪物はツキノワグマの異常個体庭と断定。熊の体長、体重を測定した後、神職が霊休めの儀式を行い、僧侶が熊のために読経をあげた。

 骨格と内臓の一部を博物館に寄贈すると約束、残りは熊汁にして集まった見物衆にふるまうこととなった。


 「さあ、食べよ富嶽!」

 母の涙怖が丼に盛った汁を娘に差し出した。宙吊りの熊を鼻歌まじりで厚い刀身の短剣ナイフで捌いたのも彼女である。

 「これをですか……」

 さすがの富嶽も冷や汗を浮かべた。湯気のたつ器の中には、肉汁に浸かった熊の掌が丸ごと入っていたのだ。


 「熊の手とは珍味中の珍味だな」

 欣吾が羨むように言う。

 「堂々と食べるがいい富嶽、いちばん美味な部分はおまえが食う権利がある」

 「そうじゃ。胆力がつくぞ!」

 「はい……」

 丼を受け取ると、見知った顔が目の端に映った。


 噂の確認に来たのだろう。大人たちの間に隠れるように横田栄姫と、彼女の取り巻きが怖々のぞいていた。

 「あなたがたもどうですか?」

 「ヒーッ!」

 熊汁をすすめられて、栄姫たちは転がるように逃げていく。



            ──回想中断──


 「……お姫様のその後は?」

 五一が含むところありげな笑いを浮かべる。

 「約束どおり自分を姫と呼ばせることを禁止にしました」

 「なんだ、悪あがきすると思ったのに」

 「私もちょっと読みがはずれましたがね。でも、約束を反故にしてイメージが悪化することを恐れたんでしょう。さすがは姫様です」

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