富嶽かく語りき⑤
「父様と母様の愛情を疑ったことは一度もありませんでしたが、二人の間には大きな溝が横たわっていることを、その時感じましたね」
武芸と信仰に生きる教養深き父と豪放磊落を通り越して野獣の倫理に生きる母、両者には信条以前の生死に対する認識に絶対の隔たりがあった。
「でも、なぜ熊の出る山で寝てたんですか?」
「普通、外出を控える警報とか出るだろう」
幽香が問い、兄の重光が疑問を重ねる。
「すべて私の不徳、つまらぬ挑発に乗ったせいです」
──回想──
「ねえ、富嶽さん、あんた熊に勝てる?」
教室で
クラス一の美少女だが、ちょっと心根の貧しさが透けて見える顔立ちだ。
左右には彼女の親友の女子、背後には男子が数人。この配置に富嶽の心に反射的に反感が芽生えた。
垢抜けた外見に加えて求心力もある栄姫は、まさに田舎の学校に咲いた一輪の花、クラスの女王ポジションに収まるべくして収まった。しかし、絶えず人垣を作る姿勢が富嶽の指向とは真逆。むしろ端的に嫌いなタイプである。
必死で彼女の取り巻きになりたがる女子や、彼女を「姫」などと呼び、騎士気取りで付き従う男子たちも阿呆にしか見えなかった。
「……はい?」
故意によく聞き取れなかったという顔で反応する。
「熊に勝てるかって聞いてるのよ。この辺じゃ、みんな口を揃えて、あなたのことを強い強いって言うけど、相手が猛獣ならどうなの?」
「ああ、大熊が琵琶湖を渡ってきたんですよねえ」
周知のことを失念していたかのごとくつぶやく。
富嶽の住む一柳町は琵琶湖を囲む自治体の一つだ。ちょうど対岸に位置する村を荒らしていたツキノワグマと思われる個体が目撃されたという情報がもたらされた。
ハンターに追われて湖水へ飛び込み、はるばる数十キロを泳いで、一柳町へ上陸したというわけだ。
「ねえ、どうなの?」
「う~ん……」
富嶽が言葉を濁すと、栄姫は顔を輝かせた。
「あ、栄姫ったら悪いこと聞いちゃった。そうよね、さすがの富嶽さんでも熊は怖いわよね! だって女の子だものね!」
思ったとおりだ。栄姫は自分を貶めたいのだ。いかに豪胆で通った最強女子小学生といえど、猛獣の前では尻尾を巻かざるをえまい、と。
自分と同じ〝女の子〟の枠にはめて安心したいのだ。そこが許せない。
「横田さん……」
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