富嶽かく語りき③

 「それで勝ったの?」

 富嶽の右側に座る中等部三年、武庫五一むこごいちが言う。

 相棒ともども滋賀県一柳の里から富嶽の小姓役として付いてきた少年で、三日月のように反り返ったひとふさの前髪がトレードマークだ。


 「これだけ盛り上げといて猟師とかが来て水入りとかは茶番だよ」

 富嶽のマネージャーを自称し、生来開けっぴろげな性格も手伝って、伝道学院最強の大女おとめに何ら気兼ねせず言いたいことが言えるのは彼ぐらいなものだ。


 「負けたら、熊の胃の中ですよ。皆さんの前にいるのは幽霊ですか?」

 「じゃあ熊は?」

 「つまらぬ殺生をしてしまいました」

 「殺っちゃったんだ……」

 「初めての死闘でしたからね……」

 さも痛恨事のように富嶽は話を続けた。


              ──回想──


 存分に絞めつけてから、巨体を持ち上げて、大地に叩きつける。

 なおも挑みかかる熊とがっぷり組み合う。前脚の打撃を受けても怯みはしない。一度受けた攻撃には耐性がつく体質は、後に害意の伴う攻撃を遮断する〝金剛身〟なる神通力へと昇華される。

 顔面を朱に濡らして富嶽は不適に微笑んだ。

 「素晴らしいなあなたは! 私と正面から打ち合えるなんて!」


 人間らしさなど犬にくれてやれ。大熊の張り手を二発くらえば掌底で四発返す。噛みつかれれば敵の鼻先といわず喉笛といわず噛みつき返す。

 次第に戦況は富嶽に傾き、襲う相手を間違えたと熊が悟った頃にはすでに手遅れ、怒りの収まらぬ大女おとめの追撃という高い代価を支払うことになった。

 「逃がさーん!」


 襲撃された時、富嶽は殺されると思った。生まれて初めて死を覚悟した。

 (だから中途半端で終わらせたくないのだ──!)

 兎顔負けの跳躍で逃げる熊に迫り、当時すでに九十キロ超えの肉体爆弾を、黒毛の背中へ投下したのである。

 真上からの圧力に血を吐いて野獣が潰れた。


            ──回想中断──


 半六、重光、五一がうへえ……という顔をする。

 幽香が顔を覆い、富嶽の左に座る少年が無言で手を合わせた。

 「忠太くん……聞くのが辛ければやめましょうか……?」

 富嶽が彼を気遣ったが、少年は静かに首を振った。

 「若先生の人生の軌跡です。私にも最後まで聞く義務があります」


 五一とコンビを組むもうひとりの小姓役、中等部三年・伊良忠太いらちゅうた

 眉の上で揃えた前髪が描く直線が見事な、襟足短いおかっぱ頭が特徴の、富嶽をして一目惚れさせずにはおかなかったほどの美少年だ。

 「ああ……では……」

 忠太の矜持を聞いては話を再開しないわけにはいかない。

 「後は馬乗りになって殴り放題……どっちが獣なんだか」

 語り始めはまんざらでもなかった富嶽も、すっかり自己嫌悪に陥っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る