第8話 悪意なき害意 3
岡崎さんが、わたしの腕を掴む手が強くなる。わたしは彼を見上げた。日はすっかり落ちて、彼の顔は暗い影になっている。その中にぽっかりと開いたうつろな目。
同じだ。電車で女性を付回していた男。ナイフを振りかざしていた男と。
痴漢の件のように、砂川さんにハサミをふりまわした女性のように、天邪鬼は岡崎さんを操ろうとしている。人の心の底を、乱暴にかきまわす。
彼はわたしの腕を引いて、車道の方に向かおうとする。容赦ない強い力だった。
「岡崎さん、やめてください」
ためらっている場合ではない。
わたしは、全力で彼に異能力をぶつけた。ききにくいのは分かっている。だから、強く強く念じる。
落ち着いて、落ち着いて。自分自身にも言い聞かせる。行きたくない、と。このままだと二人とも車道に飛び込まされる。このあやかしの力は、わたし自身にも確実に作用していた。それをもなんとかおしのけないといけない。
「落ち着いて。あの、そう、猫。猫の動画見せてください」
待受画面に表示される、お腹を見せて眠っている猫の写真を思い出しながら、言い聞かせる。
岡崎さんの動きが止まった。
「ソイツ、オマエの大事なモノを狙ってる。壊そうとしてる」
天邪鬼が、笑いながら言った。
「オマエの大事なモノ、殺される。壊される。ソイツ殺さないと、壊されるぞ」
すべきでないことをそそのかす。本当にやりたいことの、反対のことをやらせる。
岡崎さんは、パタパタと瞬きを繰り返した。見上げる子供の、大きな瞳を見返す。
「ぼくの大事な物、松下さんが壊すわけないですよね」
彼は唐突に、天邪鬼の力を振り払った。
「もちろん実家の姫は大事ですけど。ぼく今は他に大事なものあるんです。松下さんが壊すわけない」
天邪鬼は、ぽかんとして岡崎さんを見た。それから、幼い顔を歪めて、凶悪な顔でわたしをみた。
「オマエ、オマエ、オマエのせいか。ニンゲンのくせに」」
天邪鬼は面白くなさそうに地団駄をふんだ。
「オマエきらい。おもしろくない。オレと同じくせに。他のニンゲンに思ってもいない感情をいだかせて、狂わせるクセに。邪魔するな」
何度目か、天邪鬼は同じ事を言った。
「同じだよ」
わたしは開き直って応える。
認めなくなかった。外から見るこの天邪鬼の力があまりにも醜悪で。だけど、やりたくないことをさせたり、思ってもいない感情を抱かせるのは、同じだった。
「でも、わたしはおまえみたいにならないように、意識している。気にしないのと気にするのは全然違う」
だからこそわたしは、フェノミナンリサーチのような会社に籍を置いている。
自分を客観的に見るために。会社組織にいれば、しかも、異能力を当然と知っているような会社にいれば、誰かが必ず異変に気付いてくれる。輪の中にいる限りは、誰かがセーフティーネットになってくれると分かっているからだ。
人に関わっている分、誰かが自分を見てくれている。彼らを傷つけてはいけないと、苦しめたくないと思わせてくれる。失いたくないと。
異能力を持って、人の輪に入るのは恐い。社会に身を置くことは恐い。でも関わる人間が多いほど、彼らに与える影響を考えて、踏みとどまれる。それは、人をはかりにかけた賭けではあるけれども。
どうして出世したいのか、と鈴木さんに問われたけど。社会的な立場は、わたしを律してくれるから。
痴漢の件の人も、文車妖妃の時も、本人はどれだけ思っていても、心の奥底にしまい込んで押さえ込んでいた。こいつがつつかなければ、あんなことにはならなかったかも知れない。
考えていることは、いつか、ふとしたときに言葉になったり、行動になったりするかも知れない。でも、それまでに踏みとどまるかも知れない。誰かが引き戻してくれるかも知れない。
思うことと行動を起こすことの間には、明確な差がある。
「お前とわたしは同じだ。同じだからこそ、許すわけにはいかない」
人を振り回して迷惑かけること。なによりも、岡崎さんをターゲットにして、苦しめたこと。あんなに穏やかで優しい人を、巻き込んだこと。
ピンピールの足を踏ん張って、わたしは、子供を睨みつけた。端から見たらヒドい光景だと思う。
「二度と、こんなことを引き起こすな」
強く言い聞かせた。
あやかしだからとか、悪さをするからと言って退治をすればいいというものではないし、かといって彼らのしたいようにさせたままだと今回みたいに問題が起きる。それを調整するのもわたしたちの仕事だ。
天邪鬼が、わたしの異能力に抵抗しようとしているのが分かる。それをわたしは、強く押さえ込んだ。
「二度と、岡崎さんに近寄るな」
言葉にすること自体は、異能力にはあまり関係がない。だけど、声にすることで、言葉にすることで自覚すること、より意志が強まるのは、誰だって同じだ。トリガーになる。
あやかしの行動規範は、そもそも構造が人間とはちがう。彼らはそういう生き物なのだから、改めろというのは無理だ。
だけども、近寄るな。と、言うことくらいは出来る。
「オマエ、嫌なヤツ」
文車妖妃にも言われた。あやかしのやりたいことを制止しようとすると、どうしても嫌なヤツになってしまう。文車妖妃にはちょっとかわいそうだったけども、今回はそんなこと、微塵も思わない。
「嫌な奴で上等」
天邪鬼は、嫌なヤツ嫌なヤツ、と喚きながら、姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます