第4話 不穏を招くもの

「珍しいですよね。私用で俺の能力使いたいなんて。松下さん、公私きっちりわけるタイプでしょ。よっぽどのことですか?」

 雑踏の中で、栄くんはいつものように気負わずに笑って言った。

 早めに依頼が片付いた夕方、わたしは栄くんと一緒に、いつかの交差点に来ていた。駅の近くで、歩行者も交通量も多い場所だ。


「ごめんね。お礼はするから」

「いいですよ。そのかわり今度こそ飲みに連れてってくれるんですよね、鈴木抜きで!」

 先日、鈴木さんと話したあと、栄くんと三人で打ち上げと称して飲みにいった。「飲みにつれていく」という約束がそれで終わったことに、栄くんは不満たらたらだった。


 鈴木さんは普段から行動が突発的だし、はきはきとしゃべる子だけど、酔うと拍車がかかる。相変わらず栄くんとぎゃあぎゃあと言い争っていて、まったく落ち着かない時間だった。

 わかった、とわたしは苦笑して頷く。


「他の人にはよく頼まれるの?」

「けっこう色々頼まれますよ。鍵なくしたけど会社で落としてないかとか、そんなつまんないことですけど」

「なるほど」

 そのくらいならお互い様なところはあるけれど。


「松下さんも何か大事な探し物とかですか?」

 それくらいなら、良かったんだけど。

「ちょっと、知り合いが困ってるみたいなんだ。この間会った時に様子がおかしかったから、何かおかしなことがなかったか見てほしくて」

「トラブルですか」

 そうでないんといいんだけど。わたしが曖昧に笑うと、栄くんはさりげなく、歩道の端に立つ。


「二週間くらい前の、19時前ですよね」

 信号待ちの人の中から少しはずれて、目を閉じた。

 夏に向かう夕方は、ビルの向こうの西の空が真っ赤だった。こんな雑踏の中でも、しっかりと集中できるのが彼のすごいところだった。現実の物音に引きずられずに、膨大な過去の情報から必要な物を取ってこられる。


 口を歪めて、栄くんは顔を上げる。

 考え深げに虚空を睨んでから、わたしを見た。意味深な視線に、わたしはつりこまれるように問いかけた。

「なにか、気になることはなかった?」

 ていうか、と栄くんはつぶやく。


「松下さん、あれ、この間の痴漢の件の時に会った人ですよね」

 そこは触れられたくなかったけれど、覚悟をして栄くんに頼んだ。

「あの後、なんとなくたまに飲みに行くようになったんだけど、先日から何かがおかしくて」

 わたしからのメッセージはとうとう、既読にもならなくなった。


「様子は確かにおかしいですよね。気になるも何も。あの人、松下さんのこと突き飛ばしてましたよね」

 声が硬い。突き飛ばしていた。梨央は冗談半分に「殺されかけた」と言っていたけど、客観的に見てもそうなのか。


 栄くんは真っ直ぐにわたしを見た。

「あの人、大丈夫なんですか?」

 わたしは一瞬言葉に詰まる。

「――何か、他に気になることなかった?」

 栄くんは大げさにため息をつく。


「子供がいます」

 その言葉に、わたしも引っかかるところがあった。

「この間の、磯山さんの案件でサイコメトリーやった時にもいたんですよ、子供」

「同じ子供?」

「同じ気がするんですよね。あのときちょっと気分悪くてあんまり覚えてないんですけど」

 ――嫌な予感がした。


 わたしが駅で大反省会を起こしてしまったとき、みんながうずくまっていたのに、「立って」いた子供。先日の砂川さんの件で、ナイフを振り回した男を楽しそうに見ていた子供。わたしに話しかけてきた子供。オマエ、オレと同じだな、と。

 思い出して、ぞくりと悪寒がはしる。あのときと同じように。


「それって、五,六歳くらいの子供? 目のくりっとした」

「ああ、そうです」

 栄くんは頷きながら、眉をひそめた。


「松下さんと会う前に、あの男の人、子供と話してます。それからなんか、周囲の人が揉めだしてる」

 あのときの子供は、騒ぎが起きているのに笑っていた。異能力者か、別の何かか。

 たとえ異能力者だとしても、子供がひとりであちらこちらに出没するのはどう考えてもおかしい。あのときにも異質な物を感じた。


 いつも明るくて人懐こい栄くんは、そんな様子を脱ぎ捨てて、険しい表情をしていた。

「なんだかすごく見られてる感じがした。本当に、何が起きてるんですか? 何に巻き込まれてるんですか?」


 何をどこまで話すべきか、はっきりと決められていなかった。手を借りておいて、プライベートの事情だから踏み込まないで、というのはおかしい。でも。


「わたしにもよく分からないんだ。本当に」

 わたしの言葉に、栄くんの表情がさらに硬くなる。

 歩行者信号が赤になった。信号待ちの人達が少しずつ、歩道にたまってくる。揉めているようすの男女に、チラチラと視線が向かってきた。


「俺みたいな新人じゃ頼りになりませんか? 我ながら伸び代しかないと思うんですけど」

「そういうわけじゃないよ」

 巻き込みたくない。


 鈴木さんに、他人を頼れ、信用しろと言いながら、わたしは自分が単独で動こうとしている。

 だけどこれは仕事ではない。わたしの都合だった。それにわたしの異能力は、鈴木さんとは違う。否応なしに他人を巻き込んでしまう。


「プライベートだとか、関係ないですからね。抱え込まないでくださいよ。おれたちコンビじゃないですか」

 わたしの考えを読んだかのように、栄くんは言った。事情も話さないで、使いたいとこだけ使ってずるい、と暗に聞こえた。そんなつもりはないかもしれないけど。


 思いながらも、これではいつもと同じだ、と思った。井内くんとは立場が違うけど、結局どうしても、わたしはこうやって線を引いてしまう。――引くしかない。

 駅で周辺の人を巻き込んだとき、栄くんはこわばった表情をしていた。わたしの異能力を恐れていた。それでもすぐに、おどけて流してくれた。ありがたいと思った。だからこそ、巻き込みたくない。


「知識も経験も全然足りないし、当然だと思いますけど。俺、松下さんのことちゃんと支えられますよ。――あの人、危険ですよ」

「ありがとう。でも、危険なのは岡崎さんじゃない。あの子共だ」

「だから、余計ですよ。得体がしれなさすぎ」

 うん、とわたしは頷く。それ以上口を開かないわたしに、栄くんはむくれて声を上げる。


「あーもう、頑固!」

 わたしは思わず笑ってしまった。ありがとう、と応える。栄くんは口を歪めたまま、大げさにまたため息をついた。


「まさかあの子供、あの人の隠し子じゃないですよね」

 苦し紛れの冗談みたいな言葉に、わたしは苦笑した。

「それのほうがマシかも知れない」

 あれは多分、あやかしだ。

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