第3話 突然の拒絶
それからパタリと、岡崎さんから連絡が途絶えた。
たまにこちらからチャットアプリからメッセージを送っても、返事がない。既読にはなるから、見落としているというわけではないんだろうけれど。
そのままなんとなく二週間近く。
特に何か約束しているわけでもないし、しつこく連絡をとるような間柄でもないし、わたしはどうしたものかとスマートフォンを見て考え込む。
このまま連絡が途絶えても、そういう物かも知れない。
――だけど。
どこかぽっかりと空虚な気持ちになる。井内くんにフラれて、ぽっかりと開いた心の穴に、するりとさりげなく岡崎さんが座っていたから。不意にいなくなって、余計に穴が深くなった気がする。
なんだかものすごく理不尽で、行き場のない気持ちが心を支配して、沈んだり腹が立ったり、右往左往してしまう。
それに、引っかかるのはそれだけじゃなかった。
あの日、岡崎さんはぼんやりと交差点に立っていた。どこか焦点の合わない目をしていた。
どこかで不安な気持ちが拭えなかった。ぼんやりと虚空を見ている目。あの雰囲気には覚えがあった。
先日の磯山さんの、痴漢被害の一件。ストーカーのように繰り返される痴漢の被害で、犯人は異常に依頼人に執着していながらも、どこか虚ろな目をしていた。
痴漢をするような人なんて、こういうものか、と思ったけれど。もしかしたら、勝手な思い込みだったのではないか。
岡崎さんは、まわりの人達が怒りっぽいのだと言っていた。わたしに依頼を持ちかけようかどうしようか迷うくらいの、はっきりとしたことじゃない、違和感程度の事なのかも知れない。
だけど周囲の人間がまとめて怒りっぽいなんてこと、普通にあることじゃない。
考えるまでもなくそれは、わたしには心当たりがあった。――わたしの異能を使ったときに起きる現象だ。
複数の人間がまとめて同じような感情を抱くというのは、それくらい普通じゃない。集団心理だとか、集団ヒステリーだとか言うけれど、頻繁におきるようなことではない。
たくさんの条件が重なって、まれに起きるから騒ぎになる。大きな事件であったり、事故に遭遇したり。何かの積み重ねがあって、誰かの言葉や物がトリガーになることがあるが、いつも起きるようなことではないはずだった。
何か、故意的なことだろうか。
わたしは手にしたスマートフォンを睨みつけること、さらにしばし。
意を決して、登録の連絡先を開く。
「もしもし」
低い声が耳孔に忍び込んでくる。心臓が跳ね上がる。
「こんばんは。急にすみません。――あの」
メッセージを送っても梨のつぶてだったから、電話にも出ないかも知れないとどこかで思っていた。
何を言えばいいか、考えていなかった。それに動揺して、動揺したことにかえって焦った。「二十代の女の子でもあるまいし」と内心つっこんでしまう。
「最近、チャットアプリのお返事がなかったから、どうしてるかなと思って」
言い訳がましく、相手を責めるような言葉になってしまった。
「ああ、すみません。最近忙しくて」
声が硬い。いつものやわらかい綿のような声が、別人みたいに無機質だった。
「何か用事でも?」
やはり静かな声。だけどいつものような、穏やかな声音ではない。ホッとした心の下から、違和感がわいてくる。
「ええと、そういうわけではないんですが。あの、先日あまり体調が良くなさそうだったので、心配で」
ああ、と淡々とした声が応えた。
「問題ありません」
感情が読めない。顔が見えないと、こんなにも不安になるものだろうか。
一瞬言葉に詰まった。電話の向こうから、小さなため息が聞こえる。
「つきまとわないでもらえますか」
ぷつりと電話が切れる。あまりにも唐突で、わたしは唖然とした。
「――どういうこと?」
あっけにとられて、電話を見つめてしまった。
「いつのまにか、ずいぶん登場人物が増えてるよね」
いつかと同じように、わたしの家で夕食をつついている。
「失礼な言葉でフッておきながら素直になれなかっただけの元カレ、人懐こくて真面目だけどチャラい新人、落ち着いて大人の余裕を見せるものの何を考えている変わらない新顔」
「新顔って」
心配してくれたのかと思ったけど、おもしろがってるだけかもしれない。
「ニューフェイス。いいね、よりどりみどりだね」
「そういうのじゃないから」
わたしは苦笑しながら、グラスを口につける。梨央が買ってきてくれたスパークリングの日本酒は、口当たりがドライで食事によくあった。
「井内とやりなおす気はないの?」
さらっと言われて、私は苦笑した。
「うん………井内くんのせいじゃないんだけど。どうしても、わたしが自分のいたらなさばかり考えてしまって」
「いたらなさに気づいて改善して前より関係性を良くできる訳じゃなくて?」
――そうだったらいいいんだけど。
「たぶん、そうなるには時間がかかると思う………。また井内くんに居心地の悪い思いをさせて、同じことの繰り返しになる気がする」
「まあ、そうね。依律は真面目だからなあ。もっと肩の力を抜けばいいのに。この際、年下が楽なんじゃないの?」
「いや、ちがうから、そういうのじゃないから」
ふうん、と梨央は箸を止めてわたしを見る。
「依律にしては珍しいよね、いきずりの人と仲良くなるなんて」
「梨央、言い方」
「依律って間口は広いけど、その先がピシャッと閉じてるタイプだもん。会ったばかりの人と二人で飲みに行ったりするくらい警戒が薄れてるのって、珍しいよ」
的確な言葉に、わたしは苦笑してしまう。
「で、つきまとわないでくださいって言われたの?」
梨央は遠慮なく核心をつく。
「どう考えたらいいのかよくわからなくて、梨央の意見を聞こうかと」
「相手の行動について? 依律はどう思ったわけ? 態度が急変して」
客観的な意見を聞こうと思っていたのに、逆に問い返されてわたしは面食らう。
何度か一緒に食事をしたりして、話を聞いてもらったりして、打ち解けたつもりだった。わたしの異能力の影響を受けにくいからというだけじゃなくて、人に気を遣わせない人だと思った。一緒にいると安らいだ。
だから――驚いた。ショックを受けるとかいうよりも前に、なんだか腹が立った。
いきなり連絡を無視しだしたと思ったら、そんなことを言われて。一方的にどういうことだとか、唐突になんなんだとか。
梨央の言うとおり、わたしは珍しく彼に心を開いていたので、目の前で急に扉を閉ざされて、なんだかムカっ腹がたった。でもそれを通り越すと、やはりどう考えても違和感が残る。
「すごく安心できる人だったし、感情のブレがない人だから、何かあったのかなって」
「やっぱりさ、めずらしいよね、依律がそんなこと言うなんてさ。自分から踏み込んでいくの」
「自分でもどういうつもりかよくわからなくて」
「どういうつもりって」
今度は梨央がつっこんだ。
「その人、依律のこと、道路につきとばしたんでしょ? 殺されかけたようなもんでしょ? 大丈夫なの?」
「そういう人じゃないよ。すごく動揺してたし、わざとじゃないはず」
「じゃあ、わざとじゃないにしても、やらかして依律を殺しかけたから、気まずくてフェードアウトするつもりなんじゃないの?」
やらかしてフェードアウトするつもりの人が「つきまとうな」なんて言うだろか。
やらかして、それに驚いて、あえてわたしを避けようとしている気がする。なにか彼にとって、思いも寄らないことが起きているのかもしれない。
「考えれば考えるほど、やっぱりおかしいなと思って。道端で死にそうな顔してる女に声かけたり、痴漢にあってる人をさりげなく助けたり、そういうことができる人なのに。会った時もわたしに何か怒ってる様子でもなかった。急に、つきまとうななんて言って人を突き放したりするかな。わたしが鈍すぎたのかな」
本当は嫌な思いをさせていたのかもしれない。わたしがあまりにも鈍感だから、彼は珍しく私の感情に振り回されないから、わたしが気がつかなかっただけなのかもしれない。だとしても。
梨央はサラダを頬張り、シャクシャクと音をさせてしっかり噛みながら、考える様子を見せる。飲み込んでから、口をへの字にして言った。
「殺されかけてからどれくらいたってるのよ」
「二週間くらいかな」
「依律、あのね、それくらいあったら、状況が変化したり進展したりするには十分すぎるよ。会った時の態度と違いすぎるって言ってもね、様子はおかしかったんでしょ」
梨央の言う通りだった。
最後に会ったとき、どう考えても様子がおかしかった。職場とか、周辺がちょっとおかしいと言っていた。連絡をしても返事がないし、踏み込んでいいかも分からなくて、意を決して電話をした時の反応があれで。
わたしがしつこくして、いらだたせてしまったのだろうかと考えたりもしたけど、やっぱりどう考えても変だった。
うちの会社に依頼をしたいようなことも言っていた。調査会社なんて、気軽にどうぞと言ったところで、やっぱりそんなに身近なものじゃないはずだった。
もし、何か大事に発展していたら。
彼はわたしの異能力の影響を受けにくいから、安心できて、同時に怖い。わたしは自分の異能力を恐れながらも、無意識に、あてにもしていたのだと改めて気付かされた。
いざというとき、この力が使えないのは不安だった。
なんとかもう一度ちゃんと話をしたい。問題が起きているなら、何か助けになれるかも知れない。そうでなくて、なんのための異能力だ。
黙り込んだわたしに、梨央は大げさにため息をつく。
「依律。ハタチそこそこの若い子じゃないんだから。気になったらサッと行動する。ダメだったらサッと引く。もじもじしてる時間はないのよ年を取れば取るほど、やりたいこととやらないと行けないことが増えて、時間が経つのがどんどん早くなるんだから! グズグズしてるうちに、気がついたらもうお墓の中だよ」
「そういうときって、気づいたらおばあちゃんって言うんじゃないの」
「おばあちゃんになって気がつけたらマシな方! まあ、電話してみるとこまでやってみたなんて、依律にしてはがんばったわ。ここまで来たら、とことんやるしかない」
梨央は何故か拳を握って、政治家みたいにわたしを鼓舞した。顔が真っ赤で、どうも酔っ払っているようだった。テンションの高さは普段から変わらないけど。
「――でも」
どうしたら彼に会えるだろう。
岡崎さんの連絡先は知っている。だけどもしかしたら、着信拒否されたうえに、チャットアプリはブロックされているかもしれない。先日拒絶されたあと、それが発覚するのが怖くて連絡しなかったからはっきりはわからないけど、可能性はある。
そうでなくても、電話にもメールにも反応を返してくれるとは限らない。
家の場所だってわからない。岡崎さんと出会った交差点や、仕事中に遭遇した駅で、もしかしたらまた会うこともあるかもしれない。でも可能性は低い。
ただ、わたしは名刺を持っている。彼の職場はわかる。
――会社の様子がおかしいといっていた。
でも会社にまで押し掛けるのはどうしても気が引けた。依頼ならともかく、プライベートで、家族でもないのに、本当にただのストーカーだ。
考え込むわたしに、梨央はたたみかける。
「この際、相手の迷惑なんて考えない。依律は調査会社でしょ。職権濫用で、原因を突き止めるのよ」
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