第三章

第1話 出世欲の理由

 いつもの夢だ。


 疲れ切った顔のお母さんがへたりこんでいる。まわりでお父さんや他の大人達がわめいて、怒鳴り合っている。これは夏休みに親戚で集まった時だっただろうか。


 子供達が怯えた顔で固まり、大人達を見ている。誰かが泣いている。

 抱きしめてくれるお母さんの背の向こうに、男の人が立っていた。よく見知った顔だ。


 ――井内くん?

 わたしは子供の姿のまま、彼を見上げる。井内くんはうつむいて、もうしわけなさそうな顔でこちらを見ている。


 そんな顔しないで。誰も悪くない。お母さんも井内くんも悪くない。

 悪いのは、恐ろしいのは、わたしだけだ。人の心に浸食して、命じて、思い通りにするわたしの能力だ。

 体が震える。わたしが何もかも壊してしまう。


「猫好きですか?」

 突然声が聞こえて、わたしは慌てて振り返る。


 にっこりと笑って、男の人がわたしのそばに膝をついてかがんでいた。

 背が高いのに威圧感が少しもない。目を糸のようにして微笑む。スマートフォンをかざして、こちらに見せてくれる。画面には八割れの猫。


 彼の後ろでは阿鼻叫喚の人々。そんなものまったく気付いてもいない様子で、マイペースな彼は微笑んでいた。


「猫の写真見ます? うちの猫、すっごくかわいいんです」

 ぽかんとしてわたしは彼の顔を見た。

 いつもの夢のはずなのに。どうして。



「すみませんでした」

 あくる日、会議室で鈴木さんはしゅんとして言った。

「とにかく場をおさめないといけないと思って」


 それは分かるけど。わたしは腕を組んで、机ごしの鈴木さんに向けて、なるべく厳しく言う。

「確かにあなたが術を使ってくれて助かったけど、誰にも問題がなかったのはたまたまだから。交通量も人通りも少なかったから良かったけど、環境によっては事故が起きたかも知れない。それに十分に暴行に当たるから」

「今度から周りをよく見てから能力を使うことにします」


「うーん、そうだけど、ちょっと違う。水をかけたことだけじゃなくて、あなた文車妖妃に殴りかかろうとしてたよね」

「状況からして人間じゃないのは分かってましたし」

「もしかしたら人だったかも知れないし、人じゃないからと言っていきなり攻撃していいことにはならないでしょ。とにかく、独断で突っ走らないこと」


 傷つけるからというだけではなくて、相手を怒らせて手ひどい反撃にあうことだってある。

 わたしは額に手を当てて唸った。


「もっとわたしとか栄くんとか頼ってくれていいんだから」

「でも、わたしが頑張らないと。結果残さないと、出世できないし」

「結果を焦って人に害を与えたら、出世なんかどんどん遠ざかるでしょ」

「……はい」

 あからさまに不服そうな顔で鈴木さんは、うめくように頷いた。


 鈴木さんとコンビを組んでいた嶋田さんが、彼女のことを「全然言うこと聞かない」と文句を言っていた。指導しようとしてもこの調子で突っぱねていたのかもしれない。神社の生まれで、この異能力が絡む業界に長く身を置いてる彼女からすれば、今更な事もたくさんあったんだろうと思う。


 やりたくないとか、だらけているとかいうのとは全然違う。すごく真面目で、それが空回りしている。

 人に敬意がないのとは違う。彼女は、すごく気を張っているのだ。

 何故、何をそんなに気負っているのか分からないけれど。


「どうしてそんなに出世したいの」

 ひとつため息と一緒に尋ねた。

 社会に出たからには出世したいもの、と言われてしまえば答えようが無いけど。


「実家を兄が継いでいるんです。実家は神社なんですけど」

「家を継ぎたかったの?」

「正直、よく分からないです。わたしは昔から異能力があって、親やまわりも知っていて、わたしの方が跡継ぎにふさわしいんじゃないかっていう氏子さんがいたのは事実です。でも、時代錯誤なんですけど、やっぱり男の跡継ぎの方が歓迎されるところがあって。兄は長子で長男だし。本人もわたしなんかに跡継ぎの立場持って行かれるの嫌だったみたいで」

 鈴木さんの声が少し硬くなる。


「このご時世で、長男がすんなり跡を継ぐなんて、いいことじゃないですか。跡継ぐ人がいなくて困るよりも、本人がやりたいなら、ゴタゴタになるよりいいじゃないですか。だからわたしは別にいいんですけど。神職の資格だって、跡を継ぐためじゃなくて実家を手伝うために持っているようなものです。この人手不足の世の中で、持っていて悪いことなんかないじゃないですか」

 別にいい、気にしないといいながら、彼女はやはり気にしているんだと思った。


 ただの対抗心のようなものなのかもしれないし、もっと根深いものなのかもしれない。家とか兄とか、周囲の人間への。


「ただわたしはわたしでちゃんと結果を出して、自分の力で出世して、兄に見せつけてやりたいんです。女だって社会でしっかり出世するんだって、見せつけてやりたいだけです」

 だから家の手伝いで神社に残らず、会社勤めに出たのだと、鈴木さんは言った。少しでも早く、少しでもたくさん結果を出したいのだと。

 わたしは腕組みを解いた。机の上で手を組んで、そっと息をつく。


「鈴木さんは神職の資格もあるし、そういう人は現場で有利だから、きっと早く出世できるよ」

「…………そうですかね」

 珍しく自信無さそうに暗い顔でつぶやいた。嶋田さんにコンビ解消されたこと、わたしに現場で怒られたこと、うまくいかないことが色々と響いているのか、めずらしく勢いがない。

 先日の砂川さんの件で、鈴木さんはすんなりわたしの異能力の影響を受けていた。鈴木さんは実際すごく素直な子なんだろう。


「もうちょっと周りを見て、仕事仲間を信頼してくれたらね。今後もコンビを組むかチームで仕事していくことになるんだから、少なくとも、パートナーとは信頼関係を築かないと出世は難しいよ」

 がんばります、とつぶやいてから、鈴木さんはパッと顔を上げる。大きな目でわたしを見て、強い声で言った。


「松下さんはどうして出世したんですか? 若くて女性で出世なんて、普通にだらだら仕事してたらできないですよね?」

 しおうと思ってしたんですよね、と。改めて聞かれると、少し面食らう。恋人に愛想を尽かされるくらい、仕事に打込んで来たのは何故か。


「自分の異能力のせいかな」

 わたしはただ苦笑する。


 この仕事は人と関わることが多いが、逆を言えば仕事が終わればそれまでの依頼人達だ。毎日同じ職場で、同じ人と顔をつきあわせるような仕事よりも、わたしには向いていた。 

 同じ場所にいることが増えれば、関わりが増える。それだけ、わたしの異能力が影響を与える可能性が増える。とはいえ、こういう仕事だから、みんなおかしな事には慣れているし、何かあれば誰かが対処してくれるから、そこは気が楽なところだった。


 仕事で成果を残したい、仕事を頑張りたい、と思えるのは、こういう職場だからだろう。

 パートナーとの関係性には気をつけないといけないが、ありがたいことに栄くんはそれをおもしろがってくれるので、助かっていた。彼もある意味、人当たりの良さとは逆に心の深いところでは一線を引くタイプなのかも知れない。

 そして出世したかったのはどうしてか。


「多分、社会的な立場がほしかったのかな」

 人を振り回したり、迷惑をかけたりしないように。踏みとどまるための枷がたくさんほしかった。

 先日の駅でも、井内くんの件でも、全然うまくいってないけど。

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