第10話 幽霊の正体

 マンガやコメディドラマに出てくる泥棒よろしく、爪先で逃げだそうとしていた少女は、そのまま固まった。


「あれ、あれ?」

 不自然な格好のまま、振り向くことも出来ずに、あれ、あれ、あれと声を上げ続ける。

「お前、何かやった?」


 何かされたことを分かっている。異能力の存在を知っている。

 これはやっぱり、普通じゃない。だけど異能力者のような気配はなかった。――でも、人間の気配でもない。

 わたしはひとまず、鈴木さんの肩に触れて、彼女にかけた異能力を解除する。


「まさか殴りかかろうとしてなかったか?」

 栄くんが引いた様子で鈴木さんに言う。鈴木さんは準備運動のように手をぷらぷらと振って、素知らぬ顔をした。それから、いぶかしげにわたしを見た。


「これ、あやかしですか?」

「え、あやかしって何。妖怪? 幽霊じゃなくて?」

 栄くんは物珍しそうに、後ろ足をあげたままの少女の前に回り込む。

「へえ、新人研修の時に習ったけど、やっぱいるんだ。へえー。女の子にしか見えないけど」

 白いストールの下を覗き込んだ。


「やめなさい」

 人間でないにしても、失礼な態度をとっていい理由にはならない。それに、不用意に近づくのは危険だった。

「メールが未達になったり、チャットアプリのメッセージが届かないのって、こいつが関係してるんですか?」

 栄くんは肩をすくめてから、少しだけ後ろに下がる。

「誰なんですか?」


「多分――文車妖妃ふぐるまようひ

 岡崎さんに「メール配達をさぼっている」と言われて、もしかしたら、と思った。


 昨日、依頼人の言う女性の姿が見えなかったのは、そもそもメールやメッセージが来なかったから。それも、女性からの。

 井内くんからの、「恋文」とは言いがたいメッセージでは、効果が無かったんだろう。砂川さんもメールを送った様子はなかった。

 だから、試しにわたしにメールを送ってもらったんだけど。


 恋文などではないとは言え、一応『女性に』向けてのメールだったからか、井内くんのことを聞いてきて何らかの下心が動いたのか。


「なんですか、それ」

 ぽかんとした様子で栄くんが言う。

「まさか、しらないの? 勉強不足」

 軽蔑しきった顔で、鈴木さんが大きな声をあげた。はああ? と栄くんが負けずと声をあげる。

 わたしは、はいはい、と鈴木さんをなだめる。


「文車妖妃って言うのは、恋文のあやかしだ」

 古い恋文や、恋文につもった情念から生まれた妖怪だと言われている。

 もしくは、受け取った恋文を放置した挙げ句に捨てて燃やしていたところ、手紙に込められた情念が煙になって襲いかかり、鬼になったものだとも言われている。


 伝承がいくつかあるのは、つまりはそれのどれでもあるということだろう。似たようなものを、ひとまとめにしている場合もあるけれど。

 恋文の情念にからんだ妖怪。または、「恋文を運ぶ妖怪」と言われている。


「でもほんとにこれ、あやかしですか? 恋文のあやかしって言いましたよね。恋文そのもの? 物理? 人間にしか見えないですけど」

「見た目が人間ぽいあやかしもいるし、全然ちがうのもいる」

「砂川さんが言ってたのは、手紙じゃ無くてメールとかですよね。メールが届かない原因って、電波障害でしょ? Wi-Fiが弱いとか」

「たいていの場合はそうだよ」


 栄くんだって分かっているはずだ。散々、電波障害や通信障害で無いことは調べたのだし。

 メールというのはつまり手紙のことで、あやかしも時代にあわせて変化しているということなのだろう。

 けれど、この妖怪の場合は、何かを――多分、メールを食べていた。


「昔から人は、説明のつかない物事の説明をつけるために、あやかしを生み出した。災害、病気、その他あらゆる理不尽な出来事。人をこらしめるために考案されたものもあるだろうね。そういったものは、原因の解明がすすむごとに否定されてきた。だが実際に、それでは説明の片がつかない物事もたくさんある。ほんとうにあやかしが関わっている場合、というのもあるんだよ」


 あやかしっていうのは、伝承の中に住むものだ。人の噂や思いが、彼らを具現化することもある。

 そして、そもそも彼らはどこにでもいて、人とは違う道理で生きている。

 だから、変なことは起きるし、それを解決するために、フェノミナンリサーチのような会社があるわけで。


「わたしは恋文の妖怪などではないし、物があろうが無かろうが、関係ない。恋文を運んだりなんかもしない。お前らのふみはわたしの食料だ」

 文車妖妃は、変な格好のまま、偉そうに言った。

「わたしが食うのはそこにこもった意志だ」



 オートロックの自動ドアが開く音がした。わたしはマンションを振り返る。砂川さんが出てくるところだった。


「幽霊に足がある」

 のんきな声が、狭い道に響く。

「幽霊ではない」

 文車妖妃が拗ねたように言った。砂川さんが「幽霊がしゃべった」と驚いた様子で笑った。あまりにものんきだ。


「砂川さん、近づかないで下さい」

「あれ、女の子でしょ?」

「女の子に見えても違います」

「え、じゃあ男の子?」

 そういうことじゃなくて。


 砂川さんとわたしが言い合っている間に、文車妖妃は、ぐるりと首を巡らせてこちらを見た。片足でつま先立って、反対の足は後ろにあげたまま固まっていたのに、スッと姿勢を戻す。

 ――わたしの能力を、自力で解除した。

 もぐもぐと口を動かしている。また新しいメールが来たのだろうか。何か食べている。


 その姿がぼやけた。

 白い布をかぶっていた黒い髪の少女は、小花柄のフレアスカートを着た女性に姿を変えた。明るい色の髪がふんわりと肩におりている。


 うわ、ほんとにあやかしだ、と栄くんが声を上げる。

「サイコメトリーしたときにいた人!」

「えーすごいな! どういう仕掛け? サキちゃん?」

 一番耐性がないはずの砂川さんが、何故か喜んでいる。


 つきまといの女性のひとりか。だとしても。――砂川さんの知り合いの姿形をしているにしても。そもそも、砂川さんの様子は、はじめから少し気になっていた。

 違和感があった。彼はあまりにも動揺しない。


 文車妖妃は、愛らしい大きな瞳を虚空にさまよわせた。

 それからまた大きく口をあける。何かをぱくりと口の中に入れた。まるで空気を食べたかのように。


「食べるのやめなさい!」

 鈴木さんが大きな声を出す。びっくりした様子で砂川さんが鈴木さんを見た。

 文車妖妃はまったく気にした様子も無く、ピンク色の唇を笑ませて、もぐもぐと顎をうごかしている。


「鈴木さん、夜だから大きな声は控えて。――このあやかしが、メールが届かなかった原因です。この子があなたのメールを食べていたんです」

「え、俺のメール食べてたの? この子? サキちゃんじゃないの?」

 今度は砂川さんが大きな声をあげる。

「なんで、俺のメールばっかり食うの?」


 あやかしだとか、メールを食べるだとか、到底常識で信じられないことを、あっさりと認めた。最初から幽霊だとか言っていた人だし、あまりにもメールが届かなさすぎて、信じざるを得なかったのかも知れないが。


 なぜ彼のメールばかりを食べるのか。たまたま砂川さんのメールが目をつけられたのか。それとも、誰かのあまりにも強い思いが呼び寄せたか。

 ――実際、彼のところには、色んな人から恋愛からみのメッセージは来るんだろうけど。


「お前の送るふみは、淡泊でまったく味がない。無味無臭、ほんとにまったく味がない。歯ごたえすらない。文面は甘かったり優しかったりするのに」

 もぐもぐと口を動かして咀嚼しながら文車妖妃は言う。可愛らしい女性の顔で、淡々と固い口調で話すのが、なんだか奇妙だった。


「反して、お前にやってくるふみは、苦かったり甘かったり、味が濃くておもしろい。どちらか片方だとつまらないし、胸焼けではきそうになるが、どちらもほどほどにいただくと、とてもおいしい」

「ほどほど、て、最近少しもメールが届かないみたいだけど」

「どんどんうまくなるから」

 文車妖妃の言い分は無邪気だった。


「箸休めにされてたのか」

 栄くんが苦笑しながらつぶやく。ええーと砂川さんは困ったように笑った。白い布をかぶった少女は、遠慮無く砂川さんを指さした。


 その姿がまたぼやける。

 白い影のような物が覆い被さってきて、また白い布をかぶった少女に戻った。白いマキシスカートが夜目に眩しい。黒い瞳が強く砂川さんを見る。


「お前のそういうところだ。お前は誰にも興味がないから、そういうメッセージが送れる。自分のことにしか興味が無いし、自分のことしか好きじゃない。というより、自分が大好きすぎる」


 人に構ってほしくて、たくさん声をかける。

 井内くんが来たときも嬉しそうにしていたから、たぶん女の子でなくたっていいんだろうけど、女の子の方が彼にとっては駆け引きが気楽なのかもしれない。

 そして女の子達も、彼のことが放っておけなくて、気遣ってくれるんだろう。


 栄くんが見たという女性達は、文車妖妃がさっきみたいにメールの送り主の姿を取っていたのだろう――。アッシュグレイの髪の女性。髪を編み込んだ女性、フレアスカートの女性、他にも数人。

 もしかしたら、届かないメールを心配して、実際にここまで来ていた人もいたかも知れないけど。


「とにかく、ここで彼のメールを食べるのやめなさい」

「いやだ、ここはいい飯場だ」

 あやかしに悪気なんてものはない。――いや、悪気の塊のようなものもいるが、彼らはそういう生き物なだけだ。少なくとも、この文車妖妃は、迷惑をかけてやろうとしてやっているわけではない。


 あやかしに人間の都合でやめろというのは、動物に毛繕いをやめろというようなもので、理不尽なことであるんだろうけど。

 依頼だし、放っておく訳にはいかない。言うことを聞かないなら、能力を使うしかない。


「いいから、やめなさい」

 強く意志を込めて、文車妖妃の目をしっかりと見て言う。

 暗示をかける。それに気付いたようだった。


「おまえ、いやなやつ」

 文車妖妃は頬をふくらませる。

「あいつのところにいろんな味の文があつまってくるのが悪い。おいしかったのに」

 グルメなあやかしだ。

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