第9話 白い影

 次の日、当初の予定通りに、会社へ寄って機材を受け取った。

 万が一にも盗聴器だとか、そういうものが変な影響を与えていることも考えて、そういったものを計測する機器ももらってから、依頼人の家の近くへ向かう。

 今日は社用車で、と事前に言ったけれど、色々考えてやめた。

 トランシーバーのような形の機械を片手に、三人でそれぞれ周囲を回ってみたけれど、案の定あやしい様子はない。

 あとは、モニタを見張りながら依頼人の帰宅を待つことになるけれど、やはり砂川さんの言うような人影は見当たらない。



 砂川さんの帰宅を待って、彼の家を訪ねた。社用車で待機していると言ったにもかかわらず、家を訪ねたわたしたちを、砂川さんは快く迎え入れた。


 ラフな格好をしていた昨日とは違い、帰ってきたばかりでスーツ姿をしている。髪もきれいに整えてあって、甘い顔立ちも相まって、随分と雰囲気が違った。昨日のぼんやりした様相とは違い、随分とデキる男の甘い雰囲気がある。


「やっぱり来てくれたんだ? 一緒にビールのみます?」

 にっこりと笑う空気が、昨日とのギャップで余計に眩しく見える。なるほど、これは惹かれる子も多いだろう。

 わたしは淡々と応える。


「仕事中なので」

「あ、ですよね。俺の仕事だった」

 あはは、と笑いながら彼は缶ビールを開けた。空気が抜ける小気味よい音がする。


「ひとつ、考えた事があるんです」

「何?」

「メールかメッセージをわたしに送ってみてもらえますか?」

「あれ、ID教えてくれるの?」

 わたしはにっこり笑って、自分のスマートフォンを掲げた。


「ショートメッセージで、こちらの社用スマートフォンに送っていただけますか? 電話番号はご存知ですよね?」

「えーつまんないなー」

 ぶつぶついいながら、砂川さんは素早いフリック入力でメールを打ち込んだ。画面を覗き込む。


『好きな映画はなんですか?』

 変なメッセージが来たらどうしてやろうかと思ったけれど、思ったよりもすごく普通だった。

 送信済になっているのに、こちらには届かない。


「すみませんが、何通か送ってもらえます?」

「いいですけど。届かないと思いますよ」

 いいながら、次々にメールを入力する。


『新人教育って大変ですよね』

『ビール飲みたい』

『メール届かない原因分かりそうなのかなあ』

『残業時間はどのくらいですか』


 思いつく端から入力しているのか、内容はバラバラだ。砂川さんは少し考える仕草を見せてから、ふたたび入力しだした。


『井内と付き合ってたんですか』

 他愛のない内容に続いて、急に踏み込んだメッセージを送ってきて、わたしは笑顔がつい引きつってしまった。


「あ、それ、俺も気になってた」

 栄くんが声をあげる。

「人のプライベートに踏み込まない」

 つい、強めにつっこんでしまった。


「松下さん!」

 生真面目に、防犯カメラのモニタに貼り付くようにして見ていた鈴木さんが、大きな声を上げた。



 人っぽいものが見える。何故か、真っ白な塊だった。

 女性か男性かすらわからない。


「ほら、幽霊でしょ」

 砂川さんが、ほらあ、とのんきな声で言った。


「いや、でも俺見えてるし。霊感とかないんだけど。モニタ越しだと幽霊でも見えるもんなの?」

 栄くんが大きな声を上げた。画面を見ながら、いやいやいや、とうめく。

 それから、「ちょっとすみません」と言い置いて、ベランダへ向かった。掃き出し窓を開け放ち、ベランダの手すりに掴みかかった。

 珍しく動揺している。


「見えてるし!」

 下を覗き込んで声を上げた。

 ――そんな大きな声出してどうする。


 鈴木さんが逆に、ドアに向けて駆けだした。

 靴をつっかけて、そのまま勢いよくドアを開け放ち、飛び出していく。その後ろを、部屋を大股に横切った栄くんが追いかけていった。――ちょっと。


「ちょっと、待ちなさい!」

「えええー、はや」

 砂川さんは、あっけにとられた様子でその後ろ姿を見送った。


 ものすごい瞬発力に遅れを取ってしまい、あっけにとられていたわたしは慌てて立ち上がる。

 鈴木さんはまさか、真正面から問いただすつもりじゃないだろうか。まさか、と思うものの、多分まさかじゃないだろうと思った。

 嶋田さんの苦労がちょっとだけ忍ばれる。


「すみません、騒がしくて」

 言い置いて、わたしも二人を追いかける。



「ちょっと!」

 真正面から鈴木さんが、白い塊に声を上げた。

「何をやっているんですか!」


 電柱の側にいる白い塊は、間違いなく人の形をしていた。街灯に照らされて、幽霊のように見えないこともない。

 頭から白いストールのような物をかぶって、マキシ丈のワンピースを着た少女。ストールの下は確かに、黒髪ロングのストレートだ。


「なんだお前達は」

 少女は口をもぐもぐと動かしながらつぶやいた。何かを食べている。


「うわー幽霊!」

 追いついた栄くんが大きな声を上げる。あたりの建物に反響した。


「違うわ、バカなのか」

 まだもぐもぐと口を動かしている。無防備な表情で二人を見て、口を動かすのをやめた。


 マキシスカートの裾をまくって、くるりと背を向けた。

 ――逃げるつもりだ。


 わたしがオートロックの自動ドアを駆けだしたところで、スッと鈴木さんが腰を落とした。嫌な予感がする。


「鈴木さん、止まって!」

 慌てて制止の声を上げると、ピタリと止まった。電池が切れたおもちゃのような止まり方だった。つい、無意識に異能力を使ってしまったけれど、この際仕方ない。


 たしか鈴木さんは、空手の段持ちだと言っていた。こんなところでいきなり人を殴られたらたまったものじゃない。――まさか、と思うけど、構えたまま止まっているのを見ると、あながち思い過ごしではないだろう。


 どうしてうちの新人はこう、喧嘩っ早いのか。

 もう、これ以上振り回されたくない。わたしは内心のイラだちもこめて、白い少女に向けて声を出した。

「動くな」

 しっかりと命じる。

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