第7話 パートナーの概念
「すみません、遅くなりました」
待ち合わせの駅に時間通りに行けそうに無かったので、先にお店に入ってもらっていた。
岡崎さん――先日の、痴漢の一件で依頼人を助けてくれた男性だった。
「いえいえ、お仕事お疲れ様です。先にはじめさせてもらってます」
カウンター席で、彼は氷の入ったグラスをあげて微笑んだ。
栄くんに「先日の磯山さんと」と言われて否定しなかったのは、半分というかほとんど誤魔化しだった。なんとなく言いにくくて、つい中途半端な嘘をついてしまった。
最初に彼と連絡をとりあったのは、例の痴漢の案件からみで、磯山さんが彼にお礼をしたいと言ったことからだった。
最終的には警察にいったので、警察経由で話をするのが筋なのかもしれないが、わたしが彼と名刺を交換していたのを磯山さんは知っていた。
そもそも最初にうちに依頼をしてくれたこともあって、警察よりは言いやすかったに違いない。
わたしから岡崎さんに連絡を取り、このときは栄くんと磯山さんと四人で会って、磯山さんが菓子折などを渡す場に立ち会った。そのあとしばらくして、彼から「良かったら、食事にでも行きませんか」と連絡があった。
依頼人と個人的な接触をすることない、と先ほど砂川さんに言ったのを思い出す。
だけど、岡崎さんは依頼人ではないし。
何より、彼はいつも、あまりにも落ち着いている。
平然としていて、こちらが悩んでいたり疲れていたりしても、少しも影響を受けないので、気が楽になってついつい飲み友達のようになってしまった。
「いつも遅くまで大変ですね」
「仕事柄、どうしても夜に依頼があることが多くて」
わたしは店員さんに、お酒を注文する。
カウンターのテーブルには、わたしが好きそうな料理を、多分到着を見計らって注文してくれていたんだろう。小鉢がいくつか並んでいた。
「ああ、『怪しい物音や、不審な人影に悩んでいませんか?』でしたね。たしかに、夜の方が需要がありそうですね」
この間のように、明るい時間のビジネス街や住宅街だって問題は色々起こるけれど、やはり、奇妙な物事というのは夜に起きることが多い。誰か悪さをしているのであれ、別の何かが原因であれ。
それに仕事をしている人からはどうしても、まずは夜に打ち合わせと言うことがある。その分、会社はオールフレックスで融通が利くので、何かと便利でもあった。
「危なくないんですか? この間もけっこう大変でしたよね」
「この間はちょっと失敗しましたが、だいたいはそんなに危険なことはないんですよ。あまり揉め事に発展するようなこともないですし」
わたしや栄くんの能力の傾向からして地道な調査などが主な仕事だ。たまに揉め事を抑えるのに呼び出されることもあるが、わたしがちゃんと異能力を使えれば、たいていの狼藉者はおさえこめる。
店員さんが運んできたモヒートを受け取って、じゃあ、とふたりともグラスを手に持つ。「お疲れ様です」と改めて乾杯した。
「やっぱり、疲れてます?」
岡崎さんはグラスに口をつける前に言った。
「え、どうしてですか?」
「顔色があまりよくない気がして。体調わるいなら、今日は帰りましょうか?」
聞かれて、きょとんとしてしまった。
岡崎さんは心配そうにわたしを見ているけど、普段と変わりないように見える。いつも穏やかで、優しく微笑んでいる。もしかしたら、そう見せかけているのかも知れないけど。
――思い至って、わたしは、軽くショックを受けた。
「すみません、平気です」
自分の体調や感情よりも先に、相手の様子をうかがってしまった。
いつも他人はわたしの影響を受けるから、それを鏡に自分のメンタルをはかろうとした。今までずっとそういうところがあったのかもしれない。無意識のうちに。
思いもしなかったことだった。こんなの、迷惑でしかない。自覚してちゃんとしないと。
岡崎さんはわたしの影響を受けにくいから、たとえわたしが疲れていてもそれが彼の顔に出ることはない。だからわたしの鏡にはなり得ない。
それはわたしにとって、自分で思っている以上に、ありがたいことだった。
「何かありました? 新しい猫の動画ありますよ。見ます?」
岡崎さんはスマートフォンを出しながら、にこにこと笑う。わたしは出会ったときのインパクトを思い出して、笑ってしまった。
「ちょっと仕事でびっくりすることがあって、引きずってるかも」
「ああ、びっくりは多そうですね」
岡崎さんはそこから踏み込んでこずに、頷いた。それから、駅のホームでのことを思い出したのか、小さく笑う。
仕事のことは、守秘義務で言えないことが多い。いろいろぼかして、こんな人がいて、というくらいは言えるかもしれないが、あまり気軽に話せるようなことではなかった。だからそういう配慮が嬉しい。
だけど、今回のことは、仕事のことというよりはプライベートのことに近い。
――ふと、聞いてみたくなった。
「岡崎さんは自分より稼ぎがいい女性ってどう思います? 自分より昇進してるとか」
彼は、うーん、と小さくうなった。彼は少し考える様子を見せる。
「どう、っていうのは、難しい質問ですね。昇進とか稼ぎとか、がんばった結果ですよね。すごいなって思いますけど」
彼の言葉はどちらかというと、自分よりも稼ぎがいい人のことであって、「稼ぎがいい女」の話ではなかった。
それに気がついて、わたしは自分も固定観念に捕らわれていたかもしれないと思う。
うちの会社は、そもそも職種が変わっているし、他に比べて自由度も高くて育休産休もとりやすいホワイトな企業だけど、それでも管理職の女性は少ない。そんな中でもがむしゃらにがんばって結果を出して、昇進して、「なんでこいつが」という目で見られることもあった。
その上で、井内くんにフラれたからか、「バリキャリ」は男性に少し引かれたりするものかと、逆に男性に対して押しつけていたところがあったかもしれない。
「実はこの間、そんな感じでフラれて」
あっさり言葉が出てきたことに、自分で驚く。
つきあいの長い梨央は、もともとわたしたちのことを知っていたから、別だとしても。
自分がフラれたって、あんまり人にするりと話せるようなことでもなくて。それはやっぱりプライドとかもあるのかも知れないけど、自分の中で消化しきれていなかったから。
不意打ちで井内くんに会って、すごく動揺したけど、今日岡崎さんに会う予定があって良かった。
ひとりで家に帰っていたら、また沈み込んでいたかも知れないし、新人二人をつれて飲みに行ったりして、うっかりお酒に飲まれたらと思うと、おそろしい。
ああ、なるほど、と岡崎さんは苦笑した。
「色んな環境や職種がありますからね。がんばって絶対に結果が出るわけでもないし、そう考えると、まあ、気にしちゃう人も居るのかなあ。自分も頑張ってるのに、っていう方向にいっちゃうとか。気にするポイントって人それぞれですしね」
そうか、と思った。
今更だけども。分かっていた事だったけれども。
ただただ、わたしと井内くんの間に、いつの間にかそういうポイントのズレが起きていたのだろう。
それでも。そうなら、言ってくれれば良かったのだと思ってしまう。応援してくれていて、味方だと思っていたから、やはり裏切られたような気持ちはどうしても残ってしまう。
話しているうちに、色んな事が自分の中で整理されていく。
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