第6話 元彼の思惑
井内くんはわたしを見て、少し気まずそうにしながら、砂川さんを指さした。
「こいつ、会社の同僚で」
うん、とわたしはうなづく。砂川さんからもそう聞いていた。
そして井内くんは、砂川さんに向けて言った。
「大学の時に、同じサークルだったんだ」
「え、彼女じゃないよね?」
おもわず井内くんとふたりで苦笑する。わたしは、はっきりと答えた。
「違いますよ」
「えーじゃあ、フリー? 彼氏は?」
「いません」
うっかり馬鹿正直に応えてしまった。
「えーほんとに? ラッキー。じゃあ、ID交換しましょうよ。チャットアプリの」
大人しくしていた新人二人の眉がつりあがった。いつもいがみ合ってるくせに。
わたしはにっこりと笑いながら、淡々と応える。
「御用の際には、メールかお電話でお願いします。社用スマートフォンの」
「声出せないけど緊急の時もあるじゃん」
「ショートメールを送ってください、どちらにしても、メッセージは未達になるっておっしゃっていませんでしたっけ」
「ケチだなあ。カタい」
「あくまで、仕事なので」
「仕事じゃなかったらいいの? 仕事後に飲みに行く?」
「依頼人と個人的な接触はしません」
「そんなに堅苦しく考えてたら、疲れない? もっと気楽にやればいいのに。じゃあ、解決したらいきましょうよ」
すごい。素直に感心してしまった。
さらさらとよどみなく出てくる言葉。ぐいぐい来ているようで、雰囲気が柔らかいから、圧が強いようには感じない。警戒を抱く前に懐に入られてしまう人もいるかも知れない。
この調子で女の子に声をかけまくっているのだろう。
それに、かえってこの不毛なやりとりのおかげで、冷静になってきた。
「えーじゃあ、鈴木ちゃんも」
口を引き結んでわたしと依頼人のやりとりを見ていた鈴木さんが「いきません」とぴしゃりと言った。
見かねたのか、井内くんが割って入ってくる。
「砂川、そのへんにしとけ。セクハラで訴えられても知らないぞ」
「そんなつもりないんだけどなー。別に変なこと言ってないし」
砂川さんは唇を尖らせた。コミュニケーションじゃん、と。
「ま、いいけど」
あっさりとあきらめて、砂川さんの興味はすぐにローテーブルの上のビニール袋に移った。
人によっては、このあっさりした引き際のせいで、逆に引っ張られたりするのかもしれないと思った。何も意識していなさそうなのがすごい。
いそいそとビールを取り出して並べながら、砂川さんは言う。
「今日は井内にいてもらうから、早めに解散してもらっていいよ」
「わかりました。では、また明日。御連絡お待ちしています」
「異変あったら、契約外の時間に呼び出してもいいの?」
「問題ありませんよ。オプションにはなりますが」
「了解了解」
砂川さんは、甘い顔でにっこりと笑った。
それでは、と砂川さんの家を出て、頭を下げる。「じゃあね」と軽い声が応えて、ドアが閉まって、鍵をかける音がして、わたしは大きく息をついた。心からのため息がおもわず漏れる。
「じゃあ、帰ろうか」
新人二人をうながして、エレベーターを待っていたところだった。後ろからガチャガチャと音がして、あたりが明るくなる。
「俺ちょっと送ってくから」
声が聞こえて、井内くんが追いかけてきた。わたし一人というわけでもないから、送る必要なんてまったくないのに。わたしは困惑してしまう。
「駅もすぐそこだし、大丈夫だよ」
「うん」
井内くんはただそう応えて、ちょうどやってきたエレベーターに乗る。
密室で四人、なんとも言えない空気になった。新人二人は何かすごく聞きたそうにしているけど、わざとらしく目線を外して黙り込んでいる。
「まさか、依律が来ると思わなくて。なんかごめん」
井内くんは二人に構わず、わたしに頭を下げた。
「謝ることなんてないよ。会社としては、お客さんの紹介してもらえるの助かるし」
仕事場で、どんな顔で彼に向き合えばいいのかわからなくて、中途半端にビジネススマイルで応える。井内くんは苦笑した。
「あいつアレで、仕事は出来るんだよ。お客さんと仲良くなるのうまくて。相手が女の子だと問題起こすこともあるけど」
屈託のなさは営業職に向いているのかも知れない。あの精神的なパーソナルスペースの狭さは、わたしには警戒を抱かせるけど、人によっては好ましく映ることもあるだろう。
「なんか変なことやったら、すぐ連絡してくれていいから」
「ありがとう」
そういえば、彼の連絡先まだ消してはいなかった。サークルのつながりがあるから、完全に縁が切れることはないとは思っていたけれど、こんなにすぐに再会することになるとは。
エレベーターを出て、エントランスのオートロックの前まで来て、足を止めた。
「元気そうでホッとした」
梨央がこの場にいたら、怒り狂ったかも知れない。「あんたが一方的にヒドいこと言って別れたくせに」と。
さすがにわたしだって、彼の言葉にはエゴを感じた。強い女、と、また彼の目に映っているんだろうか。
「あのまま、あれきりって、ちょっとやっぱりどうなんだろうって思って、気になってて」
井内くんは何か言いたそうにしている。けれど、他の二人が気になるようだった。
「気にしてくれてありがとう。大丈夫だから」
わたしは振り返り、井内くんに笑いかけた。
「じゃあね」
彼は、困ったように、傷ついたような顔で、うなづく。
「じゃあ……また」
オートロックの自動ドアを出ると、夜の空気が清々しかった。真っ暗とは言いがたい都会の空の下でも、風は少しだけひんやりしている。
わたしは静かに息をくりかえし、新人二人を振り返った。
「今日は解散。明日はフレックスで、お昼前に会社に一旦集合にしよう」
「さっきの人、知り合いですか?」
すかさず栄くんが聞いてくる。まったく遠慮がない。
「学生の頃の知り合い」
ふーん、と栄くんは細目でわたしを見た。
「明日フレックスなら、飲んで帰りますよね? たこ焼きのにおい嗅いでたらお腹すいてきたんですけど」
「ごめん、今日も約束がある」
栄くんはあからさまにガッカリした顔をした。
「えー、ほんとですか!? 避けてません!? お疲れ様飲み、まだ連れてってもらってないんですけど~! 俺あのときちゃんと活躍しましたよね?」
初仕事の時、猛ダッシュで犯人を捕まえてくれたのもそうだけど、本当にスマートフォンで一部始終を撮影していた栄くんの証拠がとても役に立った。
「ごめんごめん。忘れたわけじゃないから。先日の依頼人から、頼まれたことがあって」
すっかり、恐がられていると思っていたから、声をかけなかったのだ。
「ああ……磯山さんですか? それなら俺も一緒に」
「大丈夫、今日はもう遅いし、依頼とは違うみたいだから」
栄くんは不満でいっぱいの顔でブツブツと言った。
「まあ、鈴木がいないほうがいいんで、またの機会に」
「お酒飲むなら絶対行きますからね! 栄はいないほうがいいですけど!」
鈴木さんは栄くんを無視して、前のめりに言った。
「ふたりとも、最近の子は会社の人と飲み会とか嫌いって聞いたけど、飲むの好きなの?」
「好きです!」
「俺は飲みの雰囲気が好きなだけで。こいつみたいに酒乱じゃないですから。あと松下さんと飲みに行きたいだけで、飲み会ならなんでもいいわけじゃないんで」
「人聞きの悪い!」
「お前は酒が飲めれば何でもいいんだろ」
また揉めだした。
とにもかくにも「はいはい」と二人をなだめる。
「依頼人の家の近くで揉めるのやめなさい」
今日は何とか、ここまでたどり着いたけど。先が思いやられる。
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