第3話 女の影

 砂川さんは立ち上がって、掃き出し窓を開けた。わたしたちも後ろに続いて、一緒にベランダから下を覗き込む。

 マンションの前の道路は、一方通行の狭い道だ。そんなところに長時間立ち尽くしていたら、明らかに目立つ。


「いつもそこの道からこっち見てるんですよね」

 電柱のところを指さして、砂川さんは言う。

「さっき見たときもいなかったけど、やっぱいないな。普通だったら通勤してる時間だからかも」


 だからわざわざ有給をとって、平日の朝にきてほしいと言ったのだろうか。

 そんなにつきまとわれるということは、相手は一体どういう生活をしている人なんだろう。

 部屋に戻って、クッションを抱え直しながら砂川さんは言う。


「なんていうか、あれ、ストーカーなんですかね? 幽霊かなって思ってるんだけど」

「――はあ、はい」

 はあ? と言いそうになったのをこらえて、座りながらわたしは頷いた。砂川さんは首を傾ける。


「地縛霊的な?」

「地縛霊はつきまとったりしませんよ。地面に縛られてるんだから」

 鈴木さんの指摘に、それもそうか、と砂川さんは首を傾げた。


「いつからですか?」

「ここ住み始めてからですね。二年くらい?」

「最初からずっと?」

「ずっとですね。前の家は、彼女に追い出されて。前に、向こうからフッてきて別れたのに相手がストーカーになったことがあって、またかなあと思ったんですけどね、違ったみたい」


 ゆるゆると笑いながら、のんきな声で言う。

 うわあ、と鈴木さんがあからさまな顔をした。過去の女性の話に対しての反応か、つきまとわれているのを放置していることについてか分からなかったが、多分両方だろう。

 わたしは苦笑しながら言った。


「よく二年も我慢されましたね」

「見てるだけだし、別に害無かったからね。ベランダにでも出ない限り、視界に入ってこないから忘れちゃうし。俺が外出て通りかかるときはいないんですよねえ」

 のんきというかマイペースというか。


「きっと寂しいんだと思うんですよね。別に害が無かったからほっといても良かったんだけど」

「――おおらかですね」

「最近、ちょっとあいつのせいかなっていうことがあって。あんまり気にしてなかったんだけど、電波障害って言うか、メールとかアプリのメッセージが不達になることが多くて。住民の人とかと雑談してるときに聞いてみたけど、よその部屋はそんなことないみたいし、通信会社からも別に障害情報出てないし」


「不達になるのは、送信だけですか? 受信も?」

「両方。最近はほとんど届かないんですよ。霊って、そういうことやらかしたりするんでしょ? テレビがザーッとなったり、電気チカチカさせたり」

 映画などでは演出上そういうこともあるが、実際に霊がそういったものに影響を与えるかというと、一概にははっきりしていない。


 幽霊のことを、電磁パルスのようなものだと言う意見や、そもそも幽霊を見たつもりで本当は磁場の影響で見た幻だったりということもあったりする。

 そう言った場合の周囲に見える反応のせいで、幽霊が電子機器に影響を与えると思われがちなところがある。


「緊急速報とかも届かなくて、俺死ぬかも知れないなあ。まあ、あれの音びびるし、一緒にいる人のが鳴ればいいんだけど」

「ひとりのときはどうするんです?」

 依頼人は、首を傾けて鈴木さんを見た。


「ひとりのときってあんまりないからなあ」

 鈴木さんは珍しくあっけにとられた顔をしている。

「そんなに人と一緒に居てストレスになりません?」

「えー一人でいるの寂しいじゃん」

 依頼人は頬をふくらませる。そこは人それぞれだから、なんとも言えないけれど。


「――どうしましょうか。メール不達の原因追及と、護衛と、つきまといの注意でいいですか? 身元特定までしますか?」

 尋ねると、依頼人は書類を見ながら言った。

「うーん、そこの原因がイコールかどうかってはっきりしないのかー」

 甘い顔を困らせて、砂川さんはクッションを抱きしめる。


「とりあえず、護衛とかはいいや。今まで何も無かったし」

「今まで無かったからこれからもないとはかぎらないですよ」


「まあ、そうなんだけど。会社にいる間も、通勤も退勤も、他に人がいる場所ではまあ、なにかされることもないと思うんですよね。家の前にいるのが問題なのかなあっていう気がするんで。メール不達の原因追及と、つきまといの注意でいいや」


 ほんとうに、それで大丈夫なんだろうか。でもそれが依頼人の希望だったら、これ以上ごり押しもできない。提案はしたのだし。


「とりあえず、相手を把握しておきたいのですが、写真とかはありますか?」

「写真あんまり撮らないんですね。俺、そういうのに執着とか薄い方で」

「相手の方がはっきりわからないと、確認に手間取るかも知れませんが、問題ありませんか?」

「まあ、そこは仕方ないですね。今はいないけど、普段そこに立ってるから、すぐ分かると思うけどね」


 砂川さんは時計を見ながらつぶやいた。

「会社出たら連絡するんで、そのあと22時くらいまで待機ってしてもらえます?」

「問題ないですよ。夜間は割高になりますので、追加請求になりますが」

 見積もりにはあくまで基本の料金しか記載していなかったので、添付の資料を提示する。

 砂川さんは、ふんふん、と軽く目を通して、軽い調子で言った。


「じゃあ、契約。はんこ押したらいいの?」

「条件を書き足して、追加した箇所にわたしの押印をしますので、そこにもご捺印いただいていいですか? その後に、ここに署名と捺印を」


 はいはいー、と砂川さんは印鑑を取りに立ち上がる。

 さっき話した内容を慎重に手書きで書き足して、追加した旨も書き入れてから、印を押した。こちらの控えと二通。砂川さんに渡しながら尋ねる。


「ちなみに、メールが未達になるということは、インターネットとかも見られないですよね? どうやってうちの会社に依頼するとこまでたどり着いたんですか?」

 広告を大々的にうったりはしていないし、インターネットで、調査会社とか超常現象とでも検索しないと、見つけられないはずだった。


「いや、調子悪いのはメールとかメッセージアプリだけなんですよね。特に女性から来たものが届かないことが多い。こっちから送ったのも同じ。ネットは見られるよ」

 ますます奇妙だった。

「あ、でも検索とかはしてない。紹介って言うのかな。最近変なことが多いって言ってたら、そういうの対応してる会社があるって教えてもらって」


 うちの会社のお客さんは、紹介でつながっていることが多いから、珍しくはない。

 会社のWEBサイトを見ると、一見IT系のシンプルなデザインの画面に、『ほかで断られたことも大丈夫!』とか『想像もできない方法で、すぐに解決!』とか、すっきりしたフォントで書かれていて、一瞬見落としそうになるけど、怪しさはにじみ出ている。


 実際、サイト経由で依頼をしてくるような人は、他でどうにもならなかったり、警察に言っても「パトロールを増やします」で終わってしまったりして、わらにすがる思いか、ダメ元、という人が多い。

 紹介のお客さんの場合は、実績頼りでやってきてくれて、それがこちらとしても嬉しかった。前のお客さんにとって、いい仕事が出来たという証明だから。


 あとはうちの会社は公共機関だとか警察だとか、企業と契約をしていたりして、それが主に他の部署の仕事だ。


「同僚の知り合いが、おたくの会社で働いてるんだって。同僚の名前、井内って言うんだけど、知りません?」

 思いも寄らぬところで、思いも寄らない名前を聞かされて、わたしは思わず固まってしまった。

 その名前に、ズキリと心がうずく。

 先日の、誕生日の駅での出来事がよみがえった。――別れた恋人の名前だ。


「ええと」

 依頼人はわたしのことを知らないようだったし、井内くんの紹介もわたしを名指しでということではないのだろう。

 部長からは何も聞いていない。部長はわたしのプライベートのことなど知らないし。


「その人も女の人?」

 横から栄くんが言った。

「いや、男」

「男の知り合いもいるんですね。今まであがってたの、女の人ばっかりっぽかったんで」

 皮肉とも言えるギリギリのツッコミに、依頼人は、おや、という表情で顎に手を当てた。


「確かに」

「すみません。失礼なことを」

 わたしは慌てて言った。栄くんが、わたしの微妙な反応のフォローしてくれた気がして、余計に申し訳なくなる。


「いやいや、ナイスつっこみ」

 砂川さんは、おっとりした感じで親指を立てた。――のんきな人だ。

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