第2話 つきまとい
会社の自動ドアを出ながら、あーあ、と栄くんは声を上げた。
「邪魔だなー鈴木」
先を歩きながら、聞こえよがしな言い方だった。深刻な風ではなく、気軽な声だった。かえって注意しにくい。
「こっちのセリフ」
鈴木さんも虫けらを見るような目で栄くんを見ている。
もうほんとに。中学生か、と言いたくなる。やめなさいと言うのも疲れてきた。
「松下さんとふたりで仕事楽しいのに」
ぶつぶつと言っている栄くんは、あのときの表情などすっかり忘れ去った風で、相変わらずだった。わたしは思わず尋ねた。
「わたしが恐くないの?」
「え、なんで?」
先を歩いていた栄くんが振り返る。
「初仕事でいきなりあんな目にあわせて、嫌な思いをさせたと思ってたから、気にしていないなら良かった」
「いや、実際、すごくないですか、あれ。ネットニュースとかSNSとかですごい話題になってて、おもしろかったし」
駅での大反省会を引き起こしてしまった一件だった。
わたしの異能力がきいている間は良かったけれど、コンクラーの支配力を解いた途端に、状況の異様さを面白がって、写真を撮ったり動画を撮影したりする人がいたようだった。
すぐSNSや動画サイトに投稿されて、あっという間に広まってしまった。
みんなが固まっている中、不自然に普通に動いていたわたしのことは撮影されていなかったみたいで、それだけは本当に良かったけれど。
さすがに部長に叱られた。事故報告書まではいかなかったけども。昇進したばかりで大失態だった。
「ちょっとびっくりしたけど、すごいですよね。あんなに大勢の人を足元にひれ伏させるなんて!」
「人聞きの悪い言い方やめてくれるかな」
少しばかりガックリする。
「事実じゃないですかー。みんなビビってる中で仁王立ちしてる松下さん、かっこよかったなー」
「すごい恥ずかしいからそれ」
恐がられたり距離を置かれたりしないのは良かったけれど、変に無邪気なのも困る。
すごく助かるけれど。
それなのに鈴木さんにはこの態度だから、余程犬猿の仲なのだろう。――こまったことに。
「松下さん真面目だから、知らないうちに変なことさせられたりとかなさそうだし。それに思ったんですよね、変なことしたい人なら、こんな会社にいませんよね。教祖様とか、政治家とか、いろいろ使いでのある能力じゃないですか」
なんて意識の切り替えの早い子だろう。考え方が合理的だ。
栄くんはのんきに笑いながら言った。
「アイドルとかになって、影響力与えたいとか、考えなかったんですか?」
言われてわたしは苦笑する。
「アイドルが似合うと思う?」
「――うーん」
自分で言っておいて、悩むな。
鈴木さんがわたしの横で「栄、生意気」と吐き捨てた。
今回は依頼人の自宅へうかがうことになっていた。平日だが、有給をとったから、と。
人通りの多い表通りから、少しだけ脇道に入ったオートロックのワンルームマンションだった。こぢんまりしたエントランスでチャイムを鳴らすと、男性の声で「どうぞー」と眠そうな応答があった。エレベーターを3階まであがる。
「すみませんね、わざわざ来てもらって」
出迎えたのは、少し甘めの整った顔立ちの、わたしと同じくらいの年頃の男性だった。
ティーシャツにジーンズという、ラフな格好をしている。眠そうな声だったからもしかしたら寝間着かもしれないと思ったが、さすがにそれはなかったようだ。
「あれ、ふたりって聞いてたような気がするんだけど」
「すみません、こちらの都合で。現場に入ったばかりの新入社員の教育を兼ねて、申し訳ないのですが同席させていただいてよろしいでしょうか」
「あー、そういう時期かー。大変ですねえ。いいですよー。女の子増えるの大歓迎」
依頼人はにっこり笑った。
鈴木さんがあからさまに顔をしかめる。ほんとうに腹芸に向かない子だった。それはそれとして、セクハラをしてくるような依頼人なら、困ったことになる。
「まーどうぞどうぞ」
案内されるまま玄関を上がって、少し広めのキッチンを通り、部屋に入る。
普通のワンルームのマンションだ。テレビとベッドと、座卓が置いてあるだけの質素な部屋だった。
座卓の上にはモニタを閉じたノートパソコンが置かれている。
「座布団とか無くてすみませんね。適当に座ってください」
フローリングの上に正座をしたわたしたちに、依頼人は笑いながら「足痛くない? 普通に座っていいよ」と言ってくれた。
鈴木さんは背筋を正したまま「慣れてますので」と応えた。すでに足を崩している栄くんを軽蔑の眼差しで見ている。――これはきっと嶋田さんにもこんな調子だったんだろう。
「ご契約書をこちらに。具体的な話の前に、ご確認をお願いします」
「すみませんねー。メールが未達になることが多くて。事前に見れたら良かったんだけどねー」
通常、見積もりや契約書は、社に足を運んでもらうか、事前に郵送をするか、メールでPDFを送るようにしている。電話などで、口頭で依頼を受けることはできない。
落ち合って話を聞いて、その場で見積もりを出すこともあったけれど、そういうのは余程の緊急の時だけだった。
今回も急ぎで、しかもメールがダメだというので、概算だけ口頭で伝えて、現場で詳細を詰めてから契約をすることになっていた。
依頼人の名前は、砂川さんと言う。
「女につきまとわれて困ってるんですよね」
あぐらをかいてクッションを抱いて顎を乗せて、気楽な感じで彼は言った。言葉にも声にも深刻さがない。
「ストーカーですか? つきまとわれるというのは、どれくらい」
「通勤時に気付いたらいるし、帰りも気付いたらいるし」
なんだか、先の痴漢の案件の時にも同じようなことを聞いた。
「飲みに行っててもいるし、休みの日に外で遊んでてもいるし、あと気がついたらマンションの前にもいる」
わたしは考えを改めた。磯山さんの件では、家までは来ないと言っていた。あくまで電車だけ。
「――え? いまは?」
ここに来る途中、妙な人がいた記憶はない。気付かなかっただけだろうか。
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