第二章
第1話 前途多難の新入社員たち
「松下」
エレベーターを降りて部署のフロアに入ったところで、わたしを嶋田さんが待ち構えていた。
栄くんと一緒に配属されたもうひとりの新人の、鈴木さんとパートナーになった人だ。
白髪まじりの髪をなでつけた彼は、着古したジャケットを羽織ってショルダーバッグを肩にかけて、外出する直前だった。
鈴木さんの姿が近くにない。
「おはようございます。どうしたんですか」
「別のチームのサポートに入ることになったから」
牽制も兼ねて挨拶をしたわたしに、嶋田さんは素っ気なく言った。
嫌な予感がする。
新人は毎週報告書を出すようになっていたけれど、鈴木さんの報告書には、チクチクと現場での対応について不満点が書かれていた。主に、パートナーが頼りにならない、対応が雑だと、ズバズバと書かれていた。
わたしは現場から帰って鈴木さんに会ったときには、必ず状況を聞くようにしていたけれど、「問題ありません」としか返ってこなくて、それがむしろ心配だった。
嶋田さんにも何度か話を聞こうとしたものの、とりつく島がなかったのだ。俺の指導に問題があるのか? 女だからって構い過ぎじゃないのか? という調子で。
そのくせ嶋田さんが部長に愚痴を漏らしていたのは、なんとなく知っていた。部署内での噂で聞こえてくるものだ。
「鈴木さんも一緒ですか?」
「俺ひとりに決まってるだろ。新人はお前が引き受けろ。よろしく、マネージャー」
はい? と、思わず声が出た。
「そんな、急に」
「あいつ無理。全然言うこと聞かないし、仕事にならない」
「言うこと聞かないって、子供扱うみたいに。ちゃんと話し会ったんですが」
「子供の方がマシ」
放り投げるように言うと、嶋田さんはさっさと出て行ってしまった。
「部長」
窓際の席、パソコンのモニタの影でちいさくなっている部長のところに大股で向かう。仁王立ちで、モニタを覗き込んだ。
「どういうことなんですか」
「えー、うーん、仕方ないよね。ふたりとも合わないって言うんだし。二人で仕事するのに、信頼できない同士で組んだって、依頼人にも迷惑でしょ。現場で揉めてたら、会社の信用にもかかわるじゃない」
部長は困り顔で眼鏡のブリッヂを押し上げた。
現場ですでに揉めたんだろうか。嶋田さんはお客さんの前でも構わない傾向があるのは、確かだけど……。
ふたりとも、とは。
「――鈴木さんも、嫌だって言ってるんですか?」
「そう。口と態度ばっかりの人と一緒に仕事したくないんだって」
なんてことだろう。知らないうちにそんなことになっていたとは。
目を配っていたつもりだったけど、全然足りなかった。後悔が襲ってくるのと同時、腹が立った。
「知ってたんなら、どうして早くわたしに教えてくれなかったんですか」
「だって、松下は栄くんの教育やってるし。あんまり負担増やすのもなって」
「後で急に負担増やされる方が困りますよ」
「こっちで引き受けられたらなーって思ってたんだよー」
ごめんごめん、と部長は眼鏡の下で、のらりくらりと笑う。のれんに腕押しとはこのことだ。
ますますムッとする。
「うちの部署みたいな小口案件に、こちらの都合で人数乗せたらお客さんに迷惑がかかるじゃないですか。請求に乗せるわけにもいかないから、赤字になります」
「新人の経費は、今月まで部署全体の管理だから。大丈夫大丈夫」
そう怒らないでよー。と部長は肩をすくめて言った。
「それなら、人数の多い案件に」
「鈴木さんが、松下さんがいいって」
――はい?
さらに文句を重ねようとした口を明けたまま、止まってしまった。そのまま、大きく息をつく。
「どういうことですか?」
部長はにっこり笑って言った。
「女性がいいんだって。仕事の様子見たいって」
そう言われてしまうと、言葉が出ない。
会議室にいるから、と言われて、新人配属の時に挨拶をした会議室に行くと、
ぽつんと鈴木さんが座っていた。
鈴木さんは、部署に配属されてきた時と同じように、唇をひきむすんで、厳しい表情をしていた。
「おはよう、今日から合流するみたいだね」
努めて明るく声をかける。
「おはようございます」
立ち上がって、鈴木さんはハキハキと挨拶した。
「そんなに堅くならなくて大丈夫だよ。職場に慣れないうちから、いろいろ引っ張り回して申し訳ないけど、今日からよろしくね」
座って、と促しながらわたしも会議室の少しいい椅子に座る。
鈴木さんは素直に、すとん、と腰を落としながら、真っ直ぐな目でわたしを見た。
「松下さん。ネイルおとしちゃったんですか?」
思いも寄らない言葉に、少し面食らった。
「ああ、うん、出かける予定があってつけていただけだから」
そうなんですか、と鈴木さんは少し残念そうに言った。
「大人って感じで、いいなと思ってたんです。実家のこともあって、そういうのあんまりやったことがなくて。わたし似合わないと思うし」
確か彼女の実家は神社だったか。神職の資格を持っていたはずだ。
「似合わないことなんてないよ。ご実家が気にされるのかも知れないけど、自分が好きに装うのが一番いい。せっかく社会人になったんだから、自分のお金で好きに装うことに悪い事なんてないでしょ。あくまで客商売だから、依頼に影響の出ない範囲でね」
はい、と鈴木さんはうなづく。
素直で、嶋田さんたちが言うように、厄介な印象は受けなかった。――配属されてきた時、すごくまじめな感じで、大丈夫か心配にはなったのは確かだったが。
コンコン、とノックの音が響いた。
「おはようございまーす。なんかここにいるって…………」
栄くんが顔を覗かせる。いつもの明るい表情から一変して、眉間に深いしわが刻まれた。
「はあ? 鈴木?」
珍しく大きな声をあげる。
「なんで?」
会議室にするりと入ってドアを締めた。
「嶋田さんが、別のチームに合流することになった。うちの会社はひとりで仕事するのは禁じているから」
「どうせ鈴木が生意気な態度取って嫌がられたんでしょ」
「栄、うるさい。ド素人のくせに」
はあ? と栄くんの眉がつりあがる。わたしは栄くんが何かを言う前に、鈴木さんを注意する。
「そういう言い方はやめなさい。同期でしょう」
「同期だと、仲良くしないといけないんですか? こんなチャラいやつでも?」
「チャラいというのは、仕事とはまったく別の話でしょうが」
「そうだぞ」
怒られたーと、栄くんが茶化した。
「からかうのもやめなさい」
ええー、と栄くんが不満そうな声を上げる。
嶋田さんには「子供扱うみたいに」と注意したものの。急に子供を二人抱えた母親になった気分だ。
頭を抱えそうになりながら、鈴木さんに言う。
「事前に専門知識があっても、この会社の方針やお客様の依頼に対応するのは、あなたも慣れていないでしょう。スタートラインは同じはずだよ。現場では思いも寄らないことが起きるし、知識や異能力があったとしても、思う通りに行かないことはよくあることだよ」
あくまで人間や、思いも寄らない現象が相手なのだから。
「能力に自信があるのはいいことだけど、それと人へ敬意をもって接するのは別のことだよ」
プライドを持っているのはいいことだけども、人へ向かう刃になってはいけない。
「だって、つまらないことを知らなかったり、できなかったり、そんな人尊敬できないじゃないですか」
栄くんや同期の話をしていたはずだったけど、嶋田さんのことを言っているのだと分かった。
「そうだとしても、別の経験を積んでいる分、あなたの知らないことを知っていたり、対応ができるはずだよ」
「そうですか?」
生真面目な顔で、「そうとは思えない」と言いたそうに彼女は応えた。断言しなかったところが、彼女なりのオブラートなのかも知れない。あんまり、包めていなかったけれど。
これは難しい子だ。
「……でも、松下さんはすごいです」
鈴木さんは、ぽつりと言った。
「女性で若くてマネージャーってすごいです」
「そんなに若くもないけど」
「嶋田さんよりは若いです!」
そりゃあ、そうだけども。
先日やらかしたばかりだから、全然すごくなんかないんだけど。
「とにかく、今日の依頼の説明をするから。栄くんも座って」
「……はーい」
渋々という顔で、栄くんは鈴木さんの横にひとつ席をあけてから、バッグを背負ったまま椅子に腰を下ろした。
態度がいいとは言えなかったが、「自分は昨日メールで詳細もらってるんだけど」と口にして文句を言わなかっただけ、マシかも知れない。
前途多難に、わたしは内心ため息をついた。
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