第10話 洗脳と強メンタル
わたしは自分も反省でその場に崩れ落ちそうになった。同時に、ものすごい疲労感に襲われる。
生きているものに作用する異能力は、ひどく精神と体力を消耗する。無意識とはいえ、異能力を全開で使ったせいで、身体中から力が抜けそうだった。
だが倒れている場合じゃない。この事態を収拾しなくては。
だるい体をひきずるようにして、階段のほうへ向かった。身動きとれずその場に固まったままだったり、地面にうずくまっている人達の間をすりぬける。
犯人をまず確保すべきかと思ったけれど、今はまだ動きそうにない。
さっきみたいに急に駆け出す可能性があるから油断できないが、わたしはベビーカーの女性へ近づいた。泣きわめく子をベビーカーごと抱えた女性の肩にそっと触れた。
「すぐそこが階段なので、気をつけて」
女性はハッとした様子で辺りを見回した。
泣いている子供を見て、階段の上でうなだれた犯人を見て、慌てたように立ち上がる。ベビーカーを階段から離した。
それから怯えた顔で、暗い顔をして座り込んだり固まったまま動かない人達を見た。
ここが、エスカレーターのない階段だったのは幸いだった。大惨事になるところだ。
「エレベーターわかりますか?」
「ありがとうございます。大丈夫です」
子供の泣き声を尾のように後に残して、その場を離れた。
ふと、視界の端に違和感がよぎった。
――子供。
自動販売機の側に、まっ黒でつややかな髪の、子供が立っている。
うずくまったり、正座したり、大反省会が行われてしまっている駅のホームで、「立って」いる。
あの犯人のように、情念で抵抗しているわけでもない。磯山さんを助けた男性のような雰囲気とはまたとは違う。彼は大人だ、まだわたしの異能力に抵抗できるのは分かる。
子供は無垢であるが故に、わたしの能力の影響をうけやすいはずだった。
黒々とした目で、じっとわたしを見ている。
バタバタと駅員さんが二人、ホームの端から駆けてきた。辺り一面の異様な光景に、うわっと大声をあげて立ち止まる。
電車で磯山さんをかばっていた男性が一緒だった。連れてきてくれたんだろうか。
一瞬そちらに気を取られたが、また違和感に気付いてすぐ自動販売機のところへ目を戻した。けれどもう、子供の姿がない。
何か嫌な感じがする。ひっかかるが、今はそれどころでは無かった。
わたしは一旦、栄くんのところに戻った。今の徒労感でいっぱいの状態では、万が一犯人に抵抗された時に抑える自信が無い。
「ごめん、栄くん。とりあえず犯人を捕まえておいて」
栄くんの肩をたたく。栄くんは愕然としたような顔で、まばたきをした。何が起きたのかよく分かっていないような感じだった。
辺りを一巡り見回す。地面に座り込んだまま、つぶやくように言った。どこか気力の抜けた声で。
「メッセージを送ることは出来ないけど、感情の波を伝えることができる。って言ってましたよね」
「そうだよ」
苦笑して応える。栄くんがわたしを見上げた。
「それって、ある意味、洗脳ですよね」
なんとも言えない、不安と、それを抑えようとするような、複雑な表情をしていた。
彼は表に出さないけれど、さらりと語った子供の頃の話からすれば、自分の異能力のせいで嫌な思いをしてきているはずだった。責められたこともあったはずだ。
だから、それを同じ異能力者に向けるのをためらっているような、だけども、不安に思わずにいられないような、そんな感じだった。
わたしは笑って腰に手を当てた。
「そうだね」
だからこそ、いつもなるべく心を平静に保たないと行けない。とくに、人の多い場所では。
自分の感情で人を振り回す。そんなことやってはいけないことだ。
しかも本人が気付かないところで、行動を導くなんて。なぜそんな感情を抱いたのかもわからないまま、みんなわたしに振り回される。
混乱を招くし、その人の意志と尊厳を無視する、本当に恐ろしい所業だ。
――いつか自分が、とんでもないことをやらかすのではないかと、ずっと恐かった。
例えば、こういうような。
「わたしの異能力はテレパスだけど、便宜的に、別の呼び方もある。コンクラーと言ったりする」
コンクラー? と、栄くんは口の中で言葉を転がした。
「それ、どういう意味なんです? スマホで検索して分かるかなー」
相変わらずだ。わたしは彼を見下ろして、小さく笑って応えた。
「征服」
駅員さんたちが、唯一立っているわたしの方へ向かってくる。
「大丈夫ですか、何があったんですか?」
わたしが応える前に、栄くんは地面に手をついて腰をあげる。
「その、そこの人つかまえてください」
しびれたしびれた、とうめきながら、おっかなびっくり立ち上がった。
「電車の中で痴漢していた人追いかけてたら、みんな急に混乱しちゃって。――そこの人、痴漢です」
おかしなことを言っているようだったが、肝心の所を隠しているだけで、事実は事実だった。
栄くんが駅員さんを誘導している横で、さっきの男性がこちらに向かってくる。
「この間の」
ふふ、と彼は笑った。
「偶然ですね。同じ電車に乗っていたのかな」
「そのようですね」
電車の中では、わたしに気付いていなかったのか。
「びっくりしました。これきっとSNSで大拡散ですね。ラッシュ時の集団パニックとか、ストレス社会の闇とかいって報道されるのかな」
「そうかもしれないですね」
少し胸に刺さるものを感じながら、わたしは苦笑する。これは部長に叱られるかもしれない。
「駅員さん呼んできてくださってありがとうございました。先日も、水をいただいて。――よく覚えていましたね、わたしのこと」
いえいえ、と男性は少し驚いた様子で首を横に振る。たいしたことしてないですよ、と。
「この間は、長い髪の女の人が、交差点で死にそうな顔で立ってて、ちょっとびっくりしたんですよ。とうとう出たか、と思いましたね。見えるようになっちゃったかと思ったりして。そうそう忘れませんよ」
彼の言葉に、顔から火が出そうになった。
長い髪の女、というのはこの際関係ない気はするけど、怪談の定番ではある。客観的な状況を語られると、ものすごく恥ずかしい。
「死にそうな顔なんてしていましたか」
「あ、すみません。比喩ですからね。自殺を疑ったというわけでは無いんですよ。ほんとです」
幽霊かどうかは疑ったみたいだけど。
それに、強調すると言うことは、ちょっと危ないかもとは思ったのだろう。
まさかそんな、失恋のショックで車の群れに飛び込むほど、わたしは無謀になれる歳では無かった。
わたしをひいてしまった車の人のこと、目撃してしまった人のこと、遺された人の迷惑を頭の隅で考えて、なんとなくとどまってしまう。そういうことを考えられているうちは、まだまだ余裕があるということなのだろうけど。
つまり、きっとどこかで、あきらめていた。恋人の言葉にショックを受けたけれど、本当はどこかでずっとあきらめていたんだろう。
恋人に分かってもらうということを。分かってくれているといいなと思っていながら、あきらめていた。――ずっとそうだったから。
目の前の男性は、彼は穏やかに笑いながら言った。
「あんなにひどい顔色で具合悪そうな人がいるのに、みんな無視してるから、ちょっと腹立っちゃって」
少しも怒った風でない顔でわたしを見る。わたしは苦笑した。
あの時、みんなちらちらとこちらを見ながら、怯えた顔をしていた。それは、わたしのせいだ。つまりは今と同じ状況で、今よりはなんとか自制を保っていたから、影響を与える力や、受ける人が少なかっただけのこと。
誰も悪くない。わたしの異能力と、精神力の問題だ。
――逆に言うと、あのときも、今現在も、これだけの人が影響を受けているのに、平然とにこにこしているこの人が、妙なのだ。
しかもこの状況での落ち着きよう。
もしかしたら、この人も異能力者なのだろうか。アンチ的な能力を持つ人なら、考えられる。だけども、そういう気配は少しも無い。
さっき自動販売機のところにいた子供も奇妙だとは思ったけれど、彼の場合はなんとなく、少し違うと思った。
ただただ穏やかな、一緒にいると毒気が抜かれるよな、やわらかな雰囲気だけが伝わってくる。
「もう大丈夫ですか?」
少なくとも、具合が悪そうな人を見つけて声をかけたり、こうやって気遣ってくれる人だということだけは分かる。
「ご心配ありがとうございます。大丈夫です」
わたしは素直に頭を下げた。
――とはいえ、この異様な光景で、にこにこと立ち話をしていられるような人なのだ。
アンチ能力でも他の異能力でも、ましてやあやかしでもないのであれば、とてつもない強メンタルの持ち主ということだ。
すさまじく精神が安定している、ただの人なんだろう。
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