第9話 雑踏の強者と弱者

 電車がホームにすべりこんだ。空気圧エアーの音がして、ドアが開く。


 みんな電車から降りたい気持ちが強かったのか、周囲にいた人達がゾロゾロと電車を降りる。

 犯人は動かないが、磯山さんは降りたそうにしている。このまま、降りてもらった方がいいのかもしれない。そうしたら犯人もついてくるだろうし、その後で磯山さんにはすぐ電車に乗ってもらえば。


 思っていたときだった。

 突然、犯人が磯山さんを突き飛ばして、周りの人間を押しのけて、電車を飛び出した。


 しまった。

 突然の事にあっけにとられて、初動が遅れてしまう。


 このまま逃がせば、逆上して依頼人に危害を加えに戻ってくるかも知れない。

 だけどわたしは電車を飛び出して、磯山さんを振り返る。依頼人は、大事にしたくないと言っていた、ここで追いかけ回して騒ぎにするわけにも行かない。


 磯山さんはホームで、拳を握りしめて、立ち尽くしていた。後ろからさっきの男性が降りてくる。

 彼と目が合った。目が少し見開かれる。


 その横で、磯山さんが顔を上げた。いつもうつむいていた彼女が。

「捕まえて下さい! 痴漢です!」

 意を決した様子で叫んだ。





 栄くんが迷わずに猛ダッシュして、男性の腕をひっつかんだ。

 見かけによらず強い力で犯人をその場に縫い止める。


「おっさん、ちょっと待ってよ。さっき電車乗ってたよね?」

「何するんだ、離せ! 暴行だぞ!」

 もがきながら、眼鏡の男性はわめいた。対して、栄くんは少しも動揺していない。


「ちょっとさ。確認したいことがあるだけだから」

 にこやかに言いながら、その手の力は揺るがない。追いついたわたしをちらりと振り返った。


「警察か?」

 犯人が恫喝するようにわたしに言う。

「そうではありません」

「ならどういう権利があってこんなことやってんだよ! 離せ!」

「現行犯なら一般人だって捕まえられるんだよ」

 しらねーのかよ、と栄くんは鼻で笑った。意外と喧嘩っぱやい子だ。


「で、白状するの?」

「俺は誰も触ったりしてない!」

「触ったりはね。気持ち悪い動きでくっついて、耳に息吹きかけたりしてたよな」

 犯人は口をつぐむ。


「おっさん。みんな見てたし、証拠ちゃんとあるからさ。スマホで撮影したんだよね。あんたがあの人に痴漢してるとこ。おとなしくした方がいいよ。もし俺たちの間違いなんだったら、最近は微物検査とかでDNA検査とかで、冤罪も証明できるらしいじゃん。やってないんだったら堂々とした方がいいよ。顔こすりつけてたし無駄だと思うけど」


 栄くんが、さらりとした感触の笑みを見せながら言った。手にスマートフォンを持っている。はったりかもしれない。それとも、少しだけ隙間が出来たときに、撮影できたのかも知れない。

 どちらか分からないが、犯人も迷ったのだろう。


 最近の若い子らしい、あくのない、圧のない顔立ちで、押し付けがましいところがない。この子はそつがない。


 だが、人によっては受け取りかたが違うだろう。

 やってないんだったら、ちゃんとすれば。問題ないなら、堂々とすれば。人によっては、正しさの押し付けに感じられるかもしれない。


「うるさい! なんだお前はえらそうに! 目上の者への態度かそれが!」

「尊敬できねーことやってるヤツは年上だろうが、関係ありませーん」

 遠巻きにする人達からざわめきが強くなる。停まったままの電車の中から、ホームから、ざわめきが起きる。


「えー」

「痴漢だって」

「嘘ーきもちわるいー」

「電車はやくうごかねーかーなー」

 わたしの暗示が聞いているのか、さほど強い言葉ではなかった。依頼人を糾弾するようなこともない。だけど、これが続けば暗示がとける可能性も強い。


 捕まえて、と言ったのは依頼人だけども、やはりこれ以上騒ぎにするわけにはいかない。


「落ち着いて下さい」

 わたしは男性の肩に触れた。接触すれば、より強く意志を伝えることが出来る。電車では人が多すぎたが、今なら。


「とにかく一旦、どこかに腰を落ち着けて話しましょう」

 わたしの異能力は、テレパスだ。声を出すことにあまり意味は無い。

 だけども意識の問題で、言葉に出せばわたしの意志がより強くなる。相手の意識も、そちらに傾けることが出来る。

 トリガーになる。


 男性の目から、一瞬強い光が消えた気がした。

「だれか、駅員さんを呼びに行ってもらえますか」

 男性を見たまま、声を上げる。


 本当は、栄くんに行ってもらえれば良かったのだが、わたしの暗示だけでは心許ない。栄くんが手を離したら、逃げられるかも――

 思った時だった。



 犯人が思いきり栄くんを突き飛ばした。よろめいた栄くんの手を振りほどき、ものすごい勢いで走り出す。


 ホームを行き交う人達をかきわけ、おしのけ、突き飛ばしながら駆けていく。

 ラッシュ時の駅のホームは、車内ほどで無くても人が多い。悲鳴があちこちから聞こえた。


「待ちなさい!」

 わたしは慌てて追いかける。


 ホームの中にある階段横の壁の向こうから、ホームをこちらに向かって歩いてくる人の上半身が見えた。女性だ。


 犯人はそちらに突進した。階段を駆け下りようとしているのだろう。


 女性が階段の向こうを曲がってくる。そして、その前にベビーカー。


 女性の驚いた顔が、突進する男の意志に気付いて、悲痛な表情に変わる。

 犯人がベビーカーを蹴飛ばすなり突き飛ばすなりするのは、明白だった。

 このままだと、ベビーカーが階段を転げ落ちる。眠った子供の顔が見える。思った瞬間に、カッとした。


 頭の中で、何かが弾け飛んだ気がした。


「止まりなさい!」

 叫んだ。




 瞬間、ピタリと、犯人が止まった。ベビーカーの女性も。その付近にいた人達も。階段を上ろうと足を上げたまま。


 それでもまだ、犯人は動こうともがいている。それを見て、ますます怒りがわき上がってくる。


 ――逃がすわけに行かない。あいつは、何をしでかすか分からない。


 この期に及んで、自分より弱い人をターゲットにするなんて。

 怒りで感情のタガが外れていた。


「抵抗できない人に卑劣な行為を行ったに飽き足らず、子供に危害をくわえようとするなんて。反省しなさい!」


 叱りつける。

 固まっていた犯人は、がっくりとその場に膝をつき、コンクリートの上に崩れ落ちた。




「うううううう」

 近くで呻く声がする。

 わたしを追いかけてきていたはずの栄くんが、地面にうずくまっていた。


「すみませんすみません、俺がちゃんと捕まえておかなかったせいで危ない目にあわせました」

 ――え?

 思わずポカンとして振り返る。

 仕事の失敗で、表だってこんなに落ち込むような子には見えなかった。


 実際の所はどうであれ、表向きはちゃんと反省してみせながらも「気をつけまーす」と言って、流してしまうような感じに思っていた。実はけっこう真面目なのかもしれない。わたしの思いこみを反省する。


 それにどちらかといえば、格闘には持ち込ませないと言ったわたしの落ち度だ。

 けれど、そんな場合でも無くて。


「しかも昨日の夜ゲームしすぎて寝不足でちょっと朦朧としてましたすみません」

 ――ちょっと。


「うううう、ごめんなさい、朝食のお皿さげるのサボりました」

 近くで、制服姿の少女がうつむいてうめいた。

「ごめんなさい、昨日の夜隠れてビール一本多く飲みました」

「めんどくさくなってメール返信しませんでした」

「風邪引いたって嘘ついて約束すっぽかしてすみませんすみません」


 他愛のない反省の声が、あちらこちらから上がってくる。しくしくと泣きながら、うめきながら。みんな地面にうなだれていた。


 視線を戻せば、ベビーカーを押していた女性が、泣きわめく子供を抱きかかえて、ごめんねごめんねと一緒に号泣していた。


 ホームにいたあらゆる人が止まって、固まっていた。悲痛な顔で。

 ああ、とわたしはため息をつく。全身の力が抜け落ちそうだ。


 ――――やってしまった。

 わたしは、愕然と肩を落とす。




 犯人が逃げ出した瞬間、わたしは周囲の人を忘れて、犯人にばかり気を取られていた。

 カッとして、異能力を全力で解放してしまった。


 ――止まりなさい。反省しなさい。

 そのせいで、周囲にいた人間が身動きとれず、駅のホームは大反省会の会場になってしまった。

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