第5話 依頼人

 待ち合わせのカフェに、依頼人から聞いていたお昼の休憩時間よりも早めについて、席を確保する。とりあえず自分たちのドリンクを注文して待機した。


 栄くんは手持ち無沙汰なのか、依頼の資料を取り出して、再度読み始めた。

 昼時を迎えて、店内が慌ただしくなり始めた頃、スマートフォンに着信が入る。電話に出ながら立ち上がると、カフェに入ってきた女性と目が合った。若くて小柄で、戸惑ったようにあたりを見回している。

 彼女を出迎えに行ったわたしは、店員さんに待ち合わせだと話をしてから、栄くんが待っていた席に案内した。


「お忙しいところ、抜けてきていただいて申し訳ありません。わたくしフェノミナンリサーチの松下と申します」

 テーブルの所では、栄くんがちゃんと立って待っている。その横に立ってから、わたしは依頼人が座る前にサッと名刺を差し出した。こういう時間の飲食店で、あまりごちゃごちゃと挨拶をしているとお店にも迷惑だろう。


「栄です~」

 栄くんもにこにこしながら、名刺を差し出す。


 依頼人は目をあわせず、「あ、はい」と微苦笑をしながら名刺を受け取った。着席をうながすと、そのままソファ席におさまった。


「あの、磯山といいます。いえ、こちらこそすみません。すぐに対応してもらえて、良かったです」

 女性はうつむきがちに言った。肩のあたりでやわらかく巻いてある髪が顔にかかって、隠れてしまう。

 向かいに座ったわたしたちをうかがい見る。ホッとしたように小さく笑った。


「ちょっと、胡散臭いのかなと思っていたんですけど、普通なんですね」

 スーツ姿のわたしと栄くんを見比べながら、彼女は言った。

「変わった着物の人とか、黒ずくめの人が来たらどうしようかなって思ってたんですけど」

「よく言われます」


 わたしは微笑みながら応えた。自分の雰囲気や顔がきつめなのか分かっているから、なるべくなるべく、和やかに。

 ですよね、と言ってから依頼人は、すみません、と苦笑した。


 とはいえこういう仕事なので、逆にきっちりスーツというのも、詐欺っぽさが出てしまったりする。怪しく見えると言えば怪しく見えるかもしれないから、バランスが難しい。


 調査会社に依頼をするなんてこと、経験のない人の方が多い。普通の状況ではそういうことになり得ない。だからそもそも緊張している依頼人が多いものだった。

 特に彼女は追い詰められているように見えたから心配だったけれど、笑顔が見えて少しホッとした。



 依頼の内容は、通勤ラッシュの電車でしつこく痴漢行為を受ける、という話だった。

 こんな人の多い場所で詳細を聞くことでもないかもしれない。でも、とにかく早く何とかしたいという話だったのもあって、磯山さんの職場近くで手短に、ということだった。

 磯山さんが料理を注文して、届くまでの間に話を詰める。


「お電話でうかがったときは、行きも帰りも、という話でしたが」

 磯山さんの肩に、きゅっと力が入る気配がした。テーブルを見つめたまま、言葉を落とした。


「そうなんです。行きだけなら、通勤の時間が決まっているからわかるんですが、帰りも、何かいて」

 少し言葉を濁す。

 最初は気のせいかな、と思った。と彼女は言った。


 電車が揺れるたびに、胸に腕を押しつけられる感じがしたそうだ。不快だったけど、揺れるから仕方がないと思って我慢していた。そうしたら、お尻の辺りに揺れにあわせて何かが当たる感じがした、と。

 ぎゅうぎゅうで振り返ることも出来なくて、なんとか見ても誰も触っているような感じではない。不快だったが、それも我慢した。揺れにあわせて腰を擦り付けられている、と気付いたのは、その状況が数日続いてからだ、と。


 同じ人がいつもいるなと思っていても、通勤だからと自分を言い聞かせていた。

 だけど明らかに、毎日そばにいるのはおかしい。気のせいと思いたかったけれど、一度認識してしまうと、もう気持ちが悪くて仕方がなかった、と彼女は言った。


 彼女が「気ついた」のに気がついた相手は、それから耳元で卑猥なことを言ったり、エスカレートするようになったそうだ。


「それが、帰りにも会った時は、本当にゾッとして。残業して帰った時もいたりして」

 彼女は青い顔でつぶやいた。


「時間をずらして、車両を変えてみても、気がついたらいるんです。ストーカーかも知れないと思って、本当に恐かったんですけど、その人がいるのは電車だけで。引っ越しも考えたんです。でも、なんだかどこにいっても追ってきそうな気がするんです。最近は休日に電車に乗るのも、ただの人混みも恐くて」


 先程すこしほぐれたように見えた表情が、どんどん硬くなる。彼女は小柄で、もともと人見知りなのか、被害のせいなのか、こちらと目をあわせることなく話していた。

 被害にあっても、大きな声をだしたり、指摘したりということが苦手なタイプなのだろう。


 うええ、と栄くんが声を上げた。

「気持ち悪いですね~」

 暗くなった空気の中、栄くんが渋い顔をしてみせる。少し大げさなくらいの表情だった。磯山さんは、釣られたように顔を上げる。


「それ、人間なんですか? すごい執念ですね」

 ウゲーと少し茶化して言うのにつられたのか、彼女のこわばっていた表情が少しほぐれた。

「人間じゃない方がマシです」

「ですよねえー」

 人懐こくて、人当たりがいい。こういう仕事には向いているだろう。




「思い出したくないことを話させてしまってすみません」

 いえ、と苦笑する彼女に、事前に聞いていた路線や時間、相手の風貌を再度確認する。


 犯人は、サラリーマン風でスーツを着た中年男性。眼鏡をかけていて、体格がいいとのことだった。写真なども特にないとのことなので、こちらで犯人を見分けるのは難しそうだった。


「まずわたしたちは、あなたのおっしゃる状況を確認する必要があります」

 ――はい、と磯山さんの表情が少し硬くなる。

 わたしはなるべく穏やかに、強い声にならないよう気をつけながら、依頼人に微笑みかけた。


「それから、まずこれは必ずご説明しないといけないことが2点あります。必ず、あなたの望みに添う形にします。ですが、わたしたちは警察ではないので、逮捕をしたりすることはできません。そして、復讐などのご依頼をうけることは出来ません」

「そんなこと」


 磯山さんの眉がひそめられた。戸惑いと同時に、そんなことを望んでいるように見えるのか、というような不快感がただよっている。

 ――そして実際は、少しはそんなことも考えたのだろうな、とうかがわせるような。


「そうですよね。本当に申し訳ないです。お伝えする決まりなんです。気を悪くされないで下さいね」

 わたしはなるべく穏やかに、彼女に微笑みかけた。


「磯山様は、どうされたいですか。わたしたちが数日そばについて、その男性が近づかないようにガードすることは出来ますが、いつまでもというわけにはいかないので、わたしたちがいなくなれば再開する可能性がある。悪化する可能性もあります」

「はい」

 彼女の顔がすこしまた沈んでしまう。


「それから、わたしたち達は調査会社なので、相手の身元を突き止めることができます。再発しないように念押ししてお願いをすることができます」

「はい」


「あとは、その人が犯行に及ぶのを捕まえて、警察に証人として同行することもできます。現行犯ならわたしたちも力になれます。ただ、現行犯ということになれば、また最低でも一度、不快な思いをしていただかないといけない。この場合に関しては、間違いなくあなたの言う方が、痴漢を行っているかどうかをわたしたちは確認しなければなりません。あとで相手の方との揉め事に発展しないようにするためです。あなたを疑っているわけではないということを、ご理解下さい」

 ふたたび彼女は頷く。


 ちょうどそこに、磯山さんが注文したドリアが運ばれてきた。チーズとミートソースの焼けたいい匂いがただよう。

 磯山さんは、スプーンを手に取って、困惑したようにわたしたちを見た。


「どうぞ、我々のことはお気になさらず。すみません、おひとりだけ食事するの、気まずいかも知れませんが」

「あの、じゃあ。休憩時間終わると困るんで、いただきますね」

 スプーンを、ミートソースの中に差し込む。中のホワイトソースがあふれてくる。それを見ながら、磯山さんはつぶやいた。


「直接話し合いはしたくないです。逆上されたら恐いので、こちらから何かアプローチしたくないんです」

 はい、と今度はわたしが応えた。


「捕まえられなくてもいいから、もう二度と近づいてほしくないんです。通勤ラッシュで騒いで、迷惑がられるのも恐いんです。前に、痴漢を捕まえようとして、罵声を浴びせられている女の人を見たことがあって」


 ただでさえ朝はみんな焦ってイラだっている。不快な満員電車で苛立ちは増幅される。だから、わかりやすい対象にそれをぶつけるのだろうけれど。被害者を罵るなんて、あってはならないことだ。


「わかりました」

 わたしは、彼女にしっかりとうなづく。


「周囲に人が多くて、どう事が運ぶか少し読めないところがありますが、なるべく騒ぎにならないようにします。あなたからの意志、という形ではなく、あなたに近づかないよう念じることもできますが」

「あの、念じるというのは」


「わたしたちは少し特殊な調査会社ですから、特殊な方法で暗示をかけることができます。決して脅すわけではありません」

「――あの」

「大丈夫です。迷惑だと思う人はいないようにします」


 磯山さんはうつむいたまま少しドリアをかきまわしていた。

 わたしも、自分の言っていることが胡散臭いとは思う。


 だけど彼女がフェノミナンリサーチに依頼をしてきたのは「普通ではない方法で」解決を望んだからに他ならない。

 磯山さんは、大きくひとつ息をついた。


「はい。――それで、お願いします」

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