第4話 前途多難の新入社員
会議室を出て、わたしは自分の隣に用意しておいた栄くんの席へ案内する。
「社内の設備は教えてもらっているよね。フロアのトイレの場所とか、問題ないかな」
「大丈夫ですー」
部署で用意しておいたノートパソコンを開きながら、栄くんは気負わない返事をする。付箋で貼ってあったパスワードを見ながら、気軽に操作をはじめた。まずはパスワードを変更して、と説明するまでもなさそうだった。
「さっそくだけど、依頼が来ているから、今日は依頼人に会う予定になっている。これ、今回の依頼の内容。目を通しておいて」
メールも送っておいたけれど、セッティングに手間取った場合を考えて、印刷しておいた書類を渡す。栄くんは、はーい、と受け取って、読み始めた。
「電車で移動ですか?」
「その予定。先方の休憩時間にあわせて、昼食をとりながらという約束だから、少ししたら出るよ。研修で応対とか、依頼のシミュレーションみたいなことはしてるよね? わたしが話をすすめるし、今回は現場の空気を見るだけという感じで大丈夫だから」
「おっけーです。俺、人当たりだけはいいんで。どうにでもなります」
少しチャラい風情で、栄くんはにこーと笑いながら手をひらひらさせる。
大丈夫かな……と少し心配になりながら、わたしは、良かった、とだけ返事をした。
お昼前、電車に乗る人は、ラッシュ時よりも少ない。吊革に掴まって、流れて行く外の景色を見ていると、思わず息が漏れた。
「お疲れですね~」
隣から気軽な声をかけられて、わたしは苦笑した。新人に気を遣わせるとは。
「ごめん、外に出たらちょっと気が抜けてしまって」
新人を連れてこれから依頼人に会うというのに、気を抜いている場合じゃなかった。わたしは隣に立つ若者を見上げた。リュックを背負って少し背中を丸めた栄くんと目が合う。
「依頼人に会う前に、何か事前に聞いておきたいこととかある?」
「大丈夫です。俺、空気になってるんで。先輩の仕事っぷりから勉強させてもらいますんで」
頼りにしてますんで、と。なんとも調子のいい子だった。
目の前に座っている子供にニコニコ笑いながら手を振っている。まあ、ガチガチに緊張しているよりは、ちょっと安心ではあるけれど。その点で言えば、もう一人の子の方が気になった。
「あの子、なんだかすごい顔をしていたけど、大丈夫かな」
「あー、鈴木ですか?
栄くんは、珍しく苦笑した。子供に振っていた手を戻して、ポケットにつっこむ。
「あいつ、バリバリ仕事してバリバリ出世したいようなことを言ってたから、第四実行部が不満なんだと思いますよ」
「そうか、なるほど」
第四実行部は、部長が言ったように日常に根付いた依頼が多い。平たく言えば、雑用係のようなものだ。他の部では、警察と協力して調査を行うのがメインであったり、事件や事故のようなものを担当することが多い。
特殊能力を持ってこの会社に入った子は、その能力を行かす場所を探してここにたどり着くことが多い。活躍をしたいと願っている。そもそも、それが会社の理念の一つだ。
鈴木さんのようは子は珍しくないし、わたし自身もそうだった。鈴木さんは素地もあるし、そういう子は、より能力を生かせるような部署に配属されることが多いのだけど。
配属されてまで、あそこまであからさまな子は珍しいけれど。
「経歴から考えても有望そうな子を、うちの部署に配属するのも珍しいけど」
「まあ、分かると思いますよ」
栄くんは、のんきに首と肩をまわしながら言った。
「あいつ研修中に、教育担当の人にやたらつっかかって、面倒がられてたから」
新人に対してあからさまに面倒な態度をとるのはどうかと思ったが、わたしの知る限り、教育担当の社員は、現場を離れたベテランであったり、比較的教育に向いた人当たりのいい明るい人たちだった。
昨年までは何度か現場の社員として、経験談などを話したりと研修に参加をしたことがあるが、そんなに荒れるような人達では無かったと思う。
「栄くんは、そういうのは無いのか」
「俺、危ないのとか嫌なんですよね。他のとこの現場って危険だったりするんでしょ? 定年までふんわり仕事して、その後は契約社員になって、ぼちぼち働くのが理想なんですよ。バリバリ活躍したいとは思ってないんで、ちょうどいいです」
「……なるほど、現実的だ」
「それにほら、日常に根付いた依頼だって、みんなすごく困ってこういう会社に泣きついてくると思うんで。十分社会の役に立ってますよねー」
こういう会社――異能力者を生かした調査会社、なんて、実際とても胡散臭い。最初に飛びついてくるような人はまた別として、だいたいみんな「他でどうにもならなかった最後の手段」として駆け込んでくることが多いのは、確かだった。
ぶら下がるように吊革を持ちながら、栄くんは外を眺めている。
「俺、普通のサラリーマンの家の、普通の育ちなんで。親にもただの調査会社に就職したとしか言ってないし」
「ご両親は、君の能力のことは知っているの?」
「知らないんじゃないですかね。なんか変に記憶力いいなとか、察しがいいなとは思ってると思いますよ。面倒事がいやだったんで、あえて言わなかったし」
わたしを見てにっこり笑った。
「子供の頃は、見えてるのが現実か、記憶なのかわからなくて、ぎゃーぎゃー騒いだりひとりごと言ったりしてたこともあったみたいですけど。あーこれって、俺だけに見えてるんだなーっていうのがだんだん分かってきて、言うのやめたんですよ。親も昔は不安がってたみたいだけど、もう最近は、昔のお前には、大人には見えないお友達がみえてて~みたいな感じで、ギャグみたいに話してますよ。イマジナリーフレンドってやつですよ」
聡い子だったんだろう。さらりと言うけれど、そういったものが「見える」タイプの人は、それが自分だけにしか見えなくて、自分は病気なのではないか、幻覚がみえているのではないかと恐ろしくなることが多いそうだ。
そして周りの人間も、同じようにこの子はどこか変なのではないかと過剰に締め付けたり、距離を置いたり、病院や祈祷師などを連れ回すこともある。
実際に幽霊がみえると言っていた人の脳に腫瘍があったこともあるそうだから、その判断は難しい。
「松下さんはテレパスなんですか?」
栄くんはさらりと言った。
「そうだ」
「――へえ」
栄くんの、あくの強くないやわらかい顔立ちに、ほんの少しだけ警戒の色がにじんだ。ほんとうにほんの少しだけ。この子は感情を隠すのが上手だ。ずっと気になっていたんだろう。「テレパス」という言葉を聞くと、誰だってそうだと思う。
テレパス――
人間だったら誰だって、表に出す言葉と秘めた感情がある。思うことと行動することは別物だし、内面に隠したことを知られたいなんて思う人はいないだろう。身近にはいてほしくない異能力だ。
わたしは笑って、付け足した。
「わたしの場合は、送信専用だ。それも、別に指令を送ったり出来るわけじゃない。安心していいよ」
栄くんは少し微妙な顔で笑う。
「『あなたの頭に直接語りかけています』みたいなやつ?」
「それが出来れば便利なんだけどね。とっくにもっと上まで昇進していたかもしれない。もっと曖昧な、感情の波みたいなものを伝えることができるんだよ。精神感応というよりは感情共感という感じかな」
「へえ」
さっきとは別の、純粋な驚きの声があがった。
――安心していい、とは言ったけれど。言葉や声を相手に送り込む方が、本当はマシかも知れない。
「わたしは見えるタイプでは無いけれど、君と似たようなものかな。子供の頃は少しも気にならなかったけれど。自分の気分や要求をすごくまわりが受け入れてくれたり、自分が嬉しいときはすごくみんなも楽しそうだったり、自分の人徳のように思ってしまったような頃もあったけど、徐々に自分を抑えて異能を隠すようになった」
一番身近にいた母も、こういう能力の存在を知っていたとは思えない。だけど、察するところがあったんだろう。
子供は自分の感情を抑えることなんかできなくて、感情の爆発に大人達が巻き込まれることがあった。ひとつ間違えたら、とんでもない修羅場に発展していた可能性もあった。母は、怯えるわたしをよく慰めてくれた。
成長するほどにそれが申し訳なく、わたしは少しずつ、誰からも距離を置くようになってしまったけど。
「まあみんな、色々ありますよね~」
電車に揺られながら、栄くんは薄っぺらい返事をして笑った。
一見チャラそうに見える。
だけどこの子はそうやって、のらりくらりとやり過ごすことで、自分の異能力と向き合ってきたのだなと言うのが、なんとなく分かってしまう。
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