第3話 新しい朝

 気がつくと、窓の外が白んでいた。


 わたしは慌てて飛び起きる。なんていうことだろう。大泣きした上に、メイクをしたまま眠ってしまった。もう30なのに。


 幸運なことに、普段起きる時間よりもだいぶ早く目が覚めた。気持ちが重く、体も重かったけれど、気がつかない振りをする。気持ちを切り替えて仕事に行かないといけない。せっかく昇進したばかりなのに。


 洗面所の鏡に映る自分の顔は、想像した通りに腫れぼったい顔をしていて、自分の迂闊さにうんざりする。


 ただありがたいことに、焦る気持ちは、昨日の出来事から気持ちをそらしてくれた。熱いシャワーを浴びて気持ちを切り替える。洗顔用の石けんを丁寧に泡立てて、顔を念入りにマッサージする。

 お風呂を出てから、冷蔵庫に入れておいたシートマスクで、顔のほてりを、主にまぶたの腫れを冷やした。鎮まれ、鎮まれ、と念じる。げっそりした顔で出社する訳にはいかない。


 わたしの務める会社では、新入社員研修を受けていた新人達が、6月の頭から各部署の配属になる。つまりは、今日だ。

 実際には仮配属という形で、7月で本配属になる予定だった。新人がやってくるのに、ひどい顔をしているわけにはいかない。


 そうしていると、お腹が鳴った。こんなときだって、動いたらお腹はすくのだ。泣いたから余計に体力を使ったのだろう。それがおかしくて、なんとなく悲しくて、ほっとした。


 トーストと卵を焼いて朝食をすませてから、しっかりとメイクをする。ていねいに肌を塗って、色を入れていくうちに、気持ちを外向きに切り替える。

 これは、仕事のための戦闘の儀式のようなもの。


 鏡の中に、ネイルが見えて、チクリと胸にささった。けれど、抑えこむ。

 落ち込んでばかりはいられない。日常が押し寄せてくる。




 わたしの務めるフェノミナンリサーチという調査会社は、普通の会社とは少し違う。

 都会の一角に自社ビルを構える程度には大きな会社だが、その実態を知っている人はあまりいないと思う。


 異能力者を集めて、社員にはその能力の活躍場所を提供し、困っている人には通常とは違う方法を使って問題解決の手助けを行う。

 異能力というのは要するに、わたしのような精神感応能力テレパスや、念動テレキネシスなど、のいわゆる超常現象を起こす能力のことだ。


 主には普通の調査会社と変わらず、人探しや素行調査や浮気調査などを行うが、今まで諦めていたような事案も普通のアプローチとは違う方法で解決を行えるといことが、会社の売りだった。

 例えば、人も登れないような高いところにあがって降りれなくなった猫を助けるのに、はしご車などを出動するのではなくて、飛翔できる異能力のある社員が文字通りに飛んでいって掴まえる。ある意味、他ではできない力業で解決するようなものではあった。


 いつもは余裕をもって会社に到着するようにしているのだけど、4階のフロアにすべりこんだ時、始業のチャイムが鳴った。とはいえ、フレックス勤務のため、厳密なものではない。


「はい、朝礼をはじめますー。集中ー起立ー」

 窓際の席から、スックと中年男性が立ち上がる。部長は、パンパンと手を叩きながら言った。


 依頼の対応で朝からフロアに人がそろうことはないため、いつもは朝礼を行わない。だけど、今日は少し事情が違う。

 部長はにこにこと、眼鏡の下に笑顔を貼り付けて、周囲をみまわした。デスクの合間に立つ人達がまばらなのも気にしていない。


「今日から新入社員が配属になりました。当部署に新人が配属されるのは、五年ぶりですかねー。貴重な若手なので、かわいがってあげてください」

 フロアの入り口に立つ男女を手招きした。

 すらりとして、あくのない顔立ちの青年と、ひたすら真正面を見据えている小柄な女性だった。青年はあまり音を立てずに、ふんわりと歩いているのに対して、女性はキビキビと手足を伸ばして歩いてくる。


さかえくん、鈴木さん。じゃあ、自己紹介をお願いします。名前と、能力忘れずにね」

 青年が、俺から? と隣の女性を見るけれど、彼女は真正面を見たまま応えなかった。それをまったく気にした様子もなく、青年は少しも緊張を見せず、フロアをみまわした。


「栄です。地面に特化したサイコメトリストです。地面の記録を読めます。よく聞かれるけど、見られるのは地面に残った記録で、地面から見上げるヤツじゃないので、女性のスカートはのぞけません。よろしくお願いします」

 ゆるゆるとした笑顔で、のらりくらりとした口調だった。なんともグレーな発言だったが、小さな笑いと微妙な空気が流れる。


「鈴木です。水に関係した能力と、あとは神職の資格と、空手の段を持っています。ご指導のほど、よろしくおねがいします」

 続けて鈴木さんは勢いよく頭を下げた。うしろでひとつに束ねた茶色の髪が跳ね上がる。可愛らしい顔立ちだったが、目がきついくらいに真正面を見ている。

 へえー、と声があがる。チートだ、と少しザワザワした。


「鈴木さんはご実家が神社なの?」

 部長が何気なく尋ねても、彼女はロボットのようにぎゅん、と顔を上げて、ハキハキと応えた。

「そうです。趣味で神職をとったわけではないです」

 四角四面、まっすぐな顔で、冗談とはあまり思えない口調だった。


 こういう仕事だから、実家が寺社の人は珍しくはない。

 だから神職の資格をもっていたり、仏教系の高校で修行をしたことがあったりというのも珍しくない。実家は兄弟が継ぐから、自分は外へ働きに、という場合にも、こういう会社を選ぶ人は多い。


 そういう育ちの子は、他人の能力だったり、業界の常識を一から説明する必要がない。教育係になる人は楽ができるから嬉しいのだろう。おかしな現象と遭遇して、大騒ぎすることもない。それが彼らにとっても日常だったからだ。


「じゃあ松下さん、お願いしますね。マネージャーさんに頼むことでも無いんですが、松下さんうちの部署で若手だし、他に適任がいなくてね」

 少し離れていたところで見守っていたわたしに、お鉢がまわってきた。事前に聞いていたので、わたしは頷き返す。


「わかりました。問題ありません」

「はい、じゃあ、分からないことがあったら遠慮無く、僕でも松下さんでもそのへんの人でも掴まえて聞いて下さい」

 部長はそう言って手を一つ叩くと、じゃあ今日もお仕事がんばりましょーう、とのんきに笑った。



 会議室に新人二人と、もう一人社員を呼んで、細かい説明を行う。

松下依律いのりです。精神感応能力を持っています。マネージャーとして、君たちのサポートをします」

 新人ふたりの顔を、順番に見る。


「はーい」

 栄くんがのんびりと返事をした。鈴木さんは口を引き結んで、じっとわたしを見ている。対照的な二人だ。

 どこにでても自分を失わないマイペースさと、生真面目で真っ直ぐ。どちらもよく言う今時の若者の「らしさ」の両極端だった。ちょっと心配になる。


 まずふたりに、総務からあずかっていた名刺を渡した。

 フェノミナンリサーチ株式会社 調査事業部 第四実行部

 会社名と部署名の横に、キャッチコピーが書かれている。


「怪しい物音や、不審な人影に悩んでいませんか? お気軽にご相談を!」


 おしゃれなフォントで誤魔化しきれてない怪しさが名刺からにじみ出ている。


 ヤベー社会人みてーと言いながら、栄くんは名刺ケースから名刺を取り出して見ている。対して、鈴木さんはジッと黙って紙面を睨んでいた。


「研修で聞いていると思いますが、基本的に二人以上のチームで活動するようになっています。うちの部署は、日常に根付いた依頼が多いので、男女でペアを組むことが多い。栄くんはわたしと、鈴木さんはこちらの嶋田さんと、ペアを組んでもらうことになります」

 わたしの隣に座っていた男性に手を差し出した。白髪頭の男性は、腕を組んでむっつりと黙ったまま座っている。栄くんはまた「はーい」とのんきに返事をする。


 嶋田さんはもともとのパートナーが妊娠により現場を離れたため、今は他のチームに合流していた。現場でのベテランだ。ただ、少し気難しいところがある。


 今回配属される二人については、部長や人事からも事前に聞いていた。

 鈴木さんのような、もともと知識のあるタイプの子は、若手と組んでもらうかベテランと組んでもらうか、迷うところがある。

 若手と一緒の方が年も近くて気安いかもしれないけれど、新人のほうが慣れていたらお互いにバランスが悪くてやりにくいかも知れないし、ベテランなら安心して任せられるとは思うけれど、頑固と真面目がぶつかりあうとあまりいいことにはならない気がした。


 本当は、別の人とペアを組んでいた、わたしと同世代の人にあずけるつもりだった。けれど急遽、遠方へしばらくかかりそうな出張になってしまい、予定が狂ってしまった。

 よろしくお願いします、と鈴木さんは嶋田さんに挨拶をする。それから、再びわたしに向き直った。


「なぜ男女ペアなんですか?」

「男性は女子トイレに入れないし、別もまたしかりです。わたしたちの部署では、そういう日常空間へお邪魔したりするような依頼が多いので、スムーズに物事を運ぶためにも、なるべく男女でペアを組むようになっています」

 なるほど、と彼女はただ頷いた。

 心配がまた少し深くなる。


「特殊な職場だから、不安なことや不満なことも多くあると思う。基本は自分のパートナーに学んでください。何かあったら、わたしにも遠慮無く相談して下さい」

 はい、と鈴木さんが頷くのを見届けて、わたしは鈴木さんと嶋田さんに会釈をする。嶋田さんは、ひらひらと手を振った。

 挨拶をされているのか、追い払われているのか分からない。

 それでは、とわたしは席を立った。栄くんがついてくる。


「――あの」

 高い声が後ろで上がる。

 振り返ると、まっすぐな目が、わたしを見ていた。


「松下さん。ネイル素敵ですね」

 ドアノブを回す自分の手の、爪が視界に入る。やっぱり少し派手すぎただろうか。わたしが浮かれていて、それがわたしの異能力でネイリストにも伝播してしまって、ちょっと明るくなりすぎたネイル。


 わたしは振り返って笑った。

「ありがとう」

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