前:神様を拾う

 その日彼は、神様を拾った。

 本当に神様なのかどうかはわからないが、少なくとも、この世界の常識で図れるような存在でないことは彼にも理解できた。

 だが彼は、彼女が何者なのかは本当の意味では理解していなかった。

 そうして彼は、その過ちによって世界を危機に晒してしまうことになったのである。




「そこの二足猿のすえよ。貴様、なにか食物しょくもつを持っていないか?」


 俺がそいつに声をかけられたのは、下宿先のアパートの前の公園でのことだった。

 声の主はベンチに腰掛けた一人の少女。

 だが、ただの少女ではない。

 黒を基調としたドレスのような甲冑姿と、対称的な真っ白な肌と髪、そしてなにより側頭部から生えている大きな2本の角。

 見た目からして明らかにおかしな少女である。

 歳は大学3年生である俺よりいくらか下の十代半ばから後半くらいだろうか。


「えっ、もしかして猿って俺のことか?」

「ここに他に猿はいないだろう。それに、言葉が通じそうな奴も他にいまい」


 いきなり見ず知らずの相手を猿呼ばわりしてきたことに腹を立てたものの、それ以上に俺はその時、その少女の持つ雰囲気に圧倒されていた。

 それはなにもおかしな格好をしていたからではない。

 なによし少女が纏っていた空気に圧倒されたのだ。

 ひとことでいえば、俺はその少女を神だと思ってしまったのである。


「えっと、食べ物だったっけ……?」


 そして思わず素でそう返してしまった。

 ツッコミどころが多すぎると、なにも考えられなくなるらしい。


「うむ。次元跳躍に力を使いすぎてどうにも空腹でな。力を使うのも覚束ないのだ」

「うーん、じゃあコンビニのおにぎりをどうぞ、今はこんなものしかないけれど」


 そして俺は、本来なら彼の昼食となるはずだったおにぎりを差し出した。

 少女はどうも空腹であることは間違いなさそうだったし、ここでサッと食べ物を差し出せば印象も良くなろうというものだ。

 ちなみに、具は俺の一番好きな高菜である。


「ふむ、殊勲な心がけだな。頂戴しよう」


 そういって少女は、差し出されたおにぎりを手に取り確認し始める。


「なるほどな、これはいわゆる『おにぎり』というものか」


 少女はしばらく物珍しそうにそのおにぎりをまじまじと見つめている。

 パッと見ただけでも日本人でないことは明らかだし、もしかしたらおにぎりを見るのも初めてなのかもしれない。

 海外にはおにぎりは存在していないという話も聞く。

 それでなくとも昨今のコンビニおにぎりの開封は独特の手順が必要となっており、一見しただけでは難しいだろう。

 俺がそのことに気が付き、開け方を教えようとした、次の瞬間だった。

 不意に、彼女の手中に白い三角形の物質が現れた。

 突如現れたその物体が何なのか一瞬戸惑ったが、すぐにその正体はわかった。

 それはまさに、彼女が手にしていたおにぎりの中身だ。

 よく見ればむき出しのおにぎりの下に潰れたパッケージがある。

 だが、おにぎりのパッケージを開けた痕跡はない。

 海苔もついていない。

 そもそも、あの一瞬で開けることなど不可能だろう。

 ならば彼女はどうやってその中身を取り出したのか。

 そんな俺の疑問の目を気にすることもなく、少女はその白い三角形から破片を摘み取り、それを口へと運んでいく。


「なるほど……これがこの世界の料理か……、これはなかなか……うむ。美味いな」


 一口、また一口と、少女はおにぎりをつまんでは咀嚼し、あっという間に完食に至る。

 そして少女は満足げに小さく微笑んでみせた。


「ふむ、このおにぎりというもの、なかなかのものであった。よかろう、それに免じて貴様には褒美を授けてやろう。なにか願い事を言ってみろ」


 いきなり願い事と言われては、流石に俺もは戸惑いを隠せない。

 この少女になにができるのか。

 そもそもおれはいったい何を願うというのだろうか。

 何もわからない。


「なら……空を飛んでみたい、とかでもいいのか?」


 他にいくらでも願えることはあっただろうが、俺は思わずそんなことを口にしていた。

 なにしろこの少女が何者なのかがわからないのだ。

 なにをしでかすのかわかったものではないし、もし変なことを真に受けて犯罪の片棒をかつぐことになっても困る。

 しかしだからといって、誰でも簡単に実行できそうなことを言っても意味がない。

 そこで普通に考えれば実現不可能で、なおかつ無難な空を飛ぶという選択となったのだ。

 これで、この少女の力が本物なのかどうかもわかるだろう。

 だが、次の瞬間、俺は自分の目論見が崩壊するのを思い知らされることなった。


「なるほどな……、その程度のことでいいのか」

「えっ、うわ、なんだこれは……」


 少女が手をかざしたかと思うと、なにか強い力に肩を掴まれ、そのまま俺の身体は宙へと浮き上がったのである。

 持ち上げられた、という方が正しいか。

 足を踏みしめる感覚がなくなり、そのまま地面が遠くなっていく。

 目の前の光景も公園から既に住宅の二階部分となっている。

 つまり俺は、文字通り宙に浮いているのである。

 だがこんな状況を目撃されては、ご近所で問題になってしまう。


「うわ、もういい、もう降ろしてくれ!」


 慌ててそう叫んだが、それを失敗と思うよりも先に失敗そのものがやってきた。

 不意に、肩を掴んでいたなにかから力が抜けた。

 つまりそれは空中で俺を支えるものがなくなったということであり、俺の身体は、まさに重力に引き寄せられてそのまま落下していったのである。

 体勢も整えられず背中が下になっていく。

 一瞬が長く感じるが、それをどうにかする術はない。

 そして衝突。

 背中に強い衝撃が走った後、俺の意識もそのままどこかへと弾き飛ばされていった。


 長い一瞬の後、意識が戻る。

 全身が痛い。

 痛みで目の前がぼやけている。


「ふむ、どうやら壊れてしまったらしいな。脆いものだ」


 身体もロクに動かせない俺を見て、視界の隅にいた先程の少女がなにかつぶやいてみせた。

 その瞬間、俺の身体を淡く白い光が包み込み、光が解けていくと同時に、俺の身体の痛みもすべてどこかへと消え失せていった。


「怪我が……治った?」


 ゆっくりと身体を起こして手足を動かし、背中や首をさすってみる。

 先程までの激痛が嘘みたいにどこにも痛みはなく、むしろ今では身体は落下前より軽くなっているようにさえ感じられる。

 間違いなく、あの少女の光がなんらかの奇跡をもたらしたのだ。

 そもそもの話としては、この少女が急に力を抜くからこの状況になったわけだが、それでも少女の力が本物というのはこの身を持って嫌というほど理解できた。


「あんたは、本当に奇跡を起こせるのか……? いったい何者なんだ」

「ふむ、そうか、まだ名乗っていなかったな。よかろう、貴様は使い出がありそうだし教えてやろう。私は獣魔神姫カウヴァリス。魔獣界より、契約にもとづいてこの猿の世界へとやってきたのだ」

「はあ……」


 いきなりそんなことを聞かされても、俺はどういった反応を返せばいいのかわからなった。

 なにもかもが常識から十万光年くらいはぶっ飛んでいる。

 獣魔神姫? 魔獣界? 契約……?

 お前は何を言っているんだ?

 だが、通常ならそのままヤバいものには近寄らずと行きたいところだなのだが、俺は既に奇跡を目の当たりにしてしまっていたのである。

 この少女が『本物』であることを知っているのだ。

 そこで俺は自分に与えられた可能性に思い当たる。

 この少女の力があれば、世界を滅ぼすことも、俺自身が世界に君臨することも夢ではあるまい。

 もっとも、俺はそんなことに興味はないが、それでも、世界の命運が今、俺の手中にあるのだ。

 そのためにもまずこの少女、カウヴァリスとの関係を強化しなければならない。


「ふむ、半端にものを入れたら返って腹が減ってきたな。貴様、何か他に食物しょくもつはないのか?」


 そう言われて、俺は必死に考える。

 どうすればいい。なにしろ相手は異世界の姫である。

 コンビニのおにぎりでも満足しているようであったが、せっかくだ。最高のものを食べてもらって、俺の地位を盤石なものにしようではないか。


「よし、ならとっておきのものを食べさせてあげますよ。ちょっとここで待っていてください!」


 そう言い残して、俺は部屋に戻って着替えを済ませ、その食事のための予算を持ってくる。

 目指すは、俺の人生の中で最も高級で、最も上質で、最も美味かったもの。

 最高級和牛すき焼きだ。

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