中:禁忌に触れる

 そこは、全てが別世界であった。

 異世界の少女を連れていたはずだったのだが、まるで俺のほうが異世界に迷い込んでしまったかのようだ。

 赤い絨毯と見るからに高級そうな調度品で整えられた内装は飲食店というよりはホテルのロビーのようであり、俺とカウヴァリスはそこで客室に案内されるのを待っているのである。

 これが、地元で最高級といわれるすき焼き店なのだ。


「それで、ここはいったいどこだ? 随分と物々しいが」

「それはまだ秘密だ。ただ、味は保証する。とんでもなく旨い」

 

 まあ、一食で一ヶ月分の生活費が消し飛ぶほどのお値段ではあるが。

 だがカウヴァリスの力があれば、それくらいはあっという間に補填できることだろう。

 そんな輝かしい未来を予想して思わず笑みがこぼれてしまう。

 従業員や他の客の視線が痛い。

 そもそも、誰も彼もこの超高級店に相応しい身なりであり、精一杯背伸びをしたにもかかわらず垢抜けない大学生としかいえない格好の俺は、完膚無きまでに場違いでな存在であった。

 もちろん、甲冑姿ではなくなったとはいえ、未だに異世界まるだしな衣装のカウヴァリスも大概なのだが、彼女の場合はもう既に違和感とかそういった域を超越しており、むしろ3周ぐらい回って返って彼女の持つ神々しさとにじみ出る気品がこの空間に調和しているかのようにさえ思えてくる。

 その態度も堂々としたもので、ただ旨いものが食べられると付いてきただけなのであるが、そういった素振りを一切見せない威風堂々ぶりである。

 まるで、間違っているのは自分ではなく世界の方だといわんがばかりではないか。

 やはり本来は俺と住むべき世界が違う存在なのだ。


 そうこうしていると呼び出され、まさに高級旅館の一室のような個室に案内されて席につく。

 目の前には炭火と鍋が用意され、ここで焼き役である仲居さんが最高級の牛肉を焼いていくのである。

 このレベルの店になると、もはや肉を焼くのも自分ですることではなくなるのだ。

 それは客に手間を取らせないというサービスであると同時に、最高級の肉を最高の焼き加減にするという側面も併せ持っているという。

 そうして俺とカウヴァリスは仲居さんの所作の一つ一つをただ横で見ているのだ。

 鍋が温まるの確認し、箸でゆっくりと肉を持ち上げて鍋へと降ろしていく。

 あとは焼けるのを待つのみ。

 ここまでくればもはや自分の場違い感などどうでもいい。

 だが、問題はここから始まってしまったのである。


「おい待て、貴様、それは何を焼いている?」


 突如、カウヴァリスが興奮した様子で仲居さんに詰め寄ったのだ。


「えっ、はい……、和牛霜降り肉でございますが……」

「和牛……? 牛だと? 貴様、まさかこの私に牛を食えというのか!」

「ひっ……」


 みるみるカウヴァリスの顔付きが変わり、今にも仲居さんに殴りかからんがばかりの形相で睨みつけている。

 その視線はあまりにも恐ろしく、仲居さんは腰を抜かしたまま、後退りで部屋から逃げ出していってしまった。


「おい、どうしたんだ、いったい……」

「……そうか、そもそも貴様がここに連れてきたんだったな。猿よ」


 そして当然のごとく怒りの矛先が俺へと移る。

 話の筋はわからないが、どうやら牛が拙かったらしい。


「貴様らが我々の祖である種を喰らう。まあ、そこは百歩譲って良しとしよう。弱きものが喰われるのは必定だ。だが、それを私に喰わせようなど言語道断。もはや貴様も世界も、ただで済むと思うなよ……」


 そう宣言して、ゆっくりとカウヴァリスが立ち上がる。

 手にはいつの間にかきらめく剣が握られており、白刃が憤怒と殺意そのものであるかのごとく俺の目に刺さる。

 そうして、死を覚悟したその時だった。


「どうやら、間一髪間に合ったヒーローの出番はこれからのようだな」


 どうにも場違いな声がどこからともなく聞こえ、次の瞬間、カウヴァリスの剣を青い膜が包み込む。


「なっ、…なんだ?」

「何者だ?」


 カウヴァリスも俺も思わずその声の方に視線を向ける。

 すると視界に、違和感の塊が飛び込んできた。

 いつの間にか、部屋の隅に安物のジャージに身を包んだ、いかにも冴えない男が立っていたのだ。

 歳は俺とそう変わらなさそうだが、なんというか、纏っている雰囲気が違う。

 なにか淀んでいるというか、修羅場をくぐり抜けた風格があるというか、とにかく生きてきた人生の違いを感じてしょうがない。

 そんな雰囲気もあって、俺なんかの比ではなく、何一つこの店と調和しないような、違和感だらけの男なのだ。

 まずその見た目だけで不審者一歩手前だし、そもそもからして絶対こんな店には縁のなさそうな身なりである。

 だがその違和感本人は、まったくそんな事を気にする様子も見せずにさらに話を続けていく。


「何者、と問われても難しいが、ひとことで言えば『時空のおっさん』ってことになるかな。まあ、現状においてはこの答えはありとあらゆる意味で間違いデタラメもいいところだが。まず第一に、俺はおっさんじゃない」


 ジャージ男はそう言いながら青い膜をその手に引き寄せる。もちろん、カウヴァリスの剣ごとだ。


「はいはい、こんな物騒なものはこちらで預かります秘宝奪取よっと。そんなわけでここは一つ、穏便に済まそうじゃないか、獣魔神姫モーデナイゼ様」

「穏便に、だと? 貴様、こいつが何をしたのかわかっているのか? この私に、よりにもよって同族喰らいの汚名を着せようとしたのだぞ。これほどの侮辱が他にあるか……!」


 剣を取られてなお、カウヴァリスの怒りは収まることなく、さらにその憤りを昂ぶらせている。

 それはハッキリとした形としても現れ、彼女の右手には先程の剣とは比べ物にならないほどの力の塊が生み出されつつあるのが俺にもわかった。

 アレを放たれれば、このビルなどあっという間に消滅してしまうだろう。

 特別なことはなにもわからないが、そんな俺でもあの塊のヤバさは感じ取れる。

 流石にそれを察したのか、俺以上にこういった場に慣れているのであろうジャージ男も、少し顔をひきつらせながらカウヴァリスと向き合っている。

 だが、そんな反応と彼の態度は別物のようだ。


「穏便にって言ってるのにな。これだから本質的に言葉の通じない相手おっかない異世界人は困る……」


 この状況にも関わらず、ジャージ男の口は減らないままである。

 もちろん、カウヴァリスもそんな男の態度にさらに怒気を高めていく。

 もう目に見えるくらいに怒りが全身から溢れ出しているかのようだ。


「……わかった。ならばまずは貴様から始末してやろう」


 その怒りとは裏腹に、カウヴァリスは冷静な声でそう宣告し、その圧縮された力の塊をジャージ男に撃ち放った。

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