⑨
「……武具がいるな」
ナナカマドはぼそりと言う。言葉の端が鋭い。
「農具を全部鋳つぶしたとしても全員に行き渡るだろうか」
周囲で声が上がる。
「うちには森を切り拓いたときのものがある」
「斧だって武器になるはずだ」
「俺の先祖は竜がいた時代に起きた戦争で落ち延びてきた。その頃の鎧がまだ取ってある。まだ使えるはずだ」
「忙しくなりそうだな」
ナナカマドは口の端を持ち上げる。勇ましい言葉が行きかう。だが、この里が戦いに巻き込まれたことは絶えてない。それなのに誰も不安を口にしない。反対する声は乏しい。偽の贈り物を持ち出した使者に対して全員が腹に据えかねていたのだろう。女王の誠意などその程度だと知れたし、そんな相手に〈竜の谷〉を渡すわけにはいかなかった。彼らが手に入れた力で、連中はどんなことをするつもりか目に見えている。それから、ナナカマドは兄弟に目をやった。
「お前たち、少し離れてろ」
その言葉にニレは青ざめた。それは、子供は安全なところに引っ込んでいろという、ナナカマドなりの配慮だったのかもしれない。けれども、ニレはそう受け止めることができなかった。なぜなら、ニレはすでにまじないの力に目覚めているとわかってしまったからだ。しかも、それはまじないを効かなくさせる性質のものだ。この間ミズゴケは否定しようとしていたが、それは覆せなくなった。しかも、かなり強力なものだ。都の力のある魔術師がかけたのであろう幻術を破ったのだから。そして、ニレがいる限りナナカマドはまじないで武器を鍛えることができない。だからあっちに行けと言った。ニレはミズゴケの背後に隠れ、彼女はナナカマドからニレを守るように口にする。
「ナナカマド。お前さんの考えは少しばかり血なまぐさい。戦いは避けねばならん」
「しかしな、婆さん。相手には最初から仲良くやるつもりがないんだぞ」
「希望を捨ててはならん」
彼はため息をつく。
「……あんたにはずいぶん世話になってる。あんたがむざむざ殺されるのは見たくないんだよ」
「だがね……」
「あの、僕は」
ミズゴケが長い話を始めかけたところで、引っ込んでいろと言われた側のハシバミは口を挟む。
「医術についてミズゴケからひと通り学びました。武器は持てませんが、けが人を手当てできます」
あたりは水を打ったように静まり返る。
「〈竜の谷〉は母さんにとっても大切な場所でした。それはとりもなおさず、僕にとっても守らないといけない場所だということです」
ハシバミの言葉にあたりは沈黙したが、すぐに彼の勇敢さをたたえる声がした。歓呼の声が迎える。
「あんな小さな子供も戦うつもりだ。いい大人が逃げたら恥だ」
「あの子は里の誇りだ」
「百人力になった気がするぞ」
「何を言うか」
だが、ミズゴケはハシバミの頬を叩いた。歳のせいもありまったく痛くなかったが、ハシバミは声を失った。辺りも再び水を打ったように静まり返る。彼女は今までハシバミにもニレにもに手を上げたことはなかったからだ。
「子供を戦場に出してはいかん。絶対にだ。戦がどれほどむごいものか、お前さんはわかっておらん。第一、お前自身は〈竜の谷〉に足を踏み入れたことなどないではないか」
今にも倒れてしまうのではないかと不安になるほどミズゴケの声は震えている。
「お前さんは母親恋しさのあまり、己に酔っておる。それは蛮勇と呼ぶのだ。医術で一番肝要なのは予防することだ。そもそも病にかからぬよう心がけることが最上なのだ。戦になることを避けねばならん」
「だからそれはもう無理なのがわからないのか」
彼女はナナカマドの言葉に激昂する。顔を真っ赤にして崩れ折れる。人々は駆け寄り、誰かが水を飲ませる。口から水をこぼして石畳を汚す。多くのものに抱えられて家の中に消える。常に冷静だったミズゴケが度を失ったことで人々は混乱した。同時に、彼女の権威がぐらついたのかもしれない。
「そうだな」
ミズゴケの後を受けたシナノキは難しそうな顔をしていた。
「女と子供、それから年寄りは安全な場所に行くのがいいだろう。山の中で清らかな水が手に入るところにこもるとしようか。わしには地下の水脈が見える。さいわいにして季節は春、森にも食べるものはあるだろう」
「獣も、まじないで幾らでも狩れる」
「必要なら、家畜を何頭か解体してもいい」
「畑には作付けが澄んだ分があって惜しいが、命には代えられない」
「あまり荷物を増やさないほうがいいだろう」
「……そういえば、あの坊やは」
「ニレ」
群衆の中で振り向くが弟の姿はない。まさかと思い、広場を見渡すが見当たらない。
「あの馬鹿」
ナナカマドは毒づき、隣の羊飼いに尋ねる。
「見出しのまじないで探せないか」
このまじないは、もともとは羊の群れからはぐれた一頭を見つけるのに使われていた。だが、人を探すのにも役に立つ。だが。羊飼いは首を横に振る。
「だめです。霧がかかったみたいにぼんやりしていて……」
人のよさそうな彼は困惑している。ナナカマドの眉間の皺は深い。
「手分けして探す。戦いが始まる前に捕まって人質にでもされたら厄介だ。二人一組で行動しろ。子どもの足では遠くまで行けまい」
二人ずつ指さしてどちらに行くか指示を飛ばしている。同時に、日没までに見つからなかったら諦めろとも告げる。後姿を見送りながら彼は吐き捨てる。
「……まったく、厄介な小僧だ」
ナナカマドは苦虫を噛み潰したような顔をしている。そしてその場を去ろうとしたハシバミをとがめる。
「おい、どこに行く」
「僕も探します」
「これ以上俺たちの仕事を増やすな」
「お願いです。僕にとっては、たった一人残された肉親なんです」
「……」
「日没までには戻りますから」
彼はそっぽを向いた。眉間の皺はさらに深い。
「勝手にしろ」
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