第5話 鬼姫伝説

「そうか、お主、あの遺跡を調べに来たのか……。ということは、調査団やら発掘隊やらか?」

「ああ、俺自身はそういうのとは微妙に違うんだがな。俺のような民俗学と考古学を一人で協業しているようなやつは、学会的につまはじきなんでね。いわゆる、異端ってやつだ、認知してもらえないのさ」

「……」

「明日にはじいさんの言う、調査団ってのがこっちに乗り込んでくる……はずだ。そうなる前に調べておきたかったんだが……」

「なにか、あったのか?」

「いや、たいしたことじゃあない。それより、俺は感謝してるんだぜ? じいさんがあの番組中でここの遺跡のことを話してくれたおかげで、俺の追っている伝説に一歩近づけたんだからな」

「伝説?」

「ああ、紀州に伝わる――鬼姫伝説だ」




 紀州の鬼姫伝説、それはこういう昔話。


 時に弥生時代後期、西暦にして250年頃。


 その頃の日本は大和朝廷成立以前、未だ日本としての国は形成されず各地で小国が乱立、戦乱という名の小競り合いを繰り返していた。

 そんな中、平和に暮らす一つの小国があった。名は伝わっていないが、一人の若い皇子と13歳になる妹巫女が治めるそんな小国。この小国は後の世で邪馬台国ではないかと目されることとなるが、それはまた別の話である。


 だが、そんな小国も戦乱に巻き込まれることとなる。


 ある日、戦から帰ってきた皇子が妹巫女を捜すが、見あたらない。それどころか、社には人影すら見えない。どうしたものかと辺りを見回すが誰もいない。

 これはおかしい、何があったのかと寝所へ出向くとそこには半分乱れた真っ赤な着物を羽織った一人の娘が嘆き悲しんでいる。皇子は何事かあったのかと問いつめようとしたところ……その娘の周囲には、おびただしい血。むせるような、吐き気を覚えるのに事欠かない血のにおい。


 娘の羽織っている着物の赤は、その返り血だった。

 娘の羽織っている着物は……皇子の最愛の妹巫女のものだった。

 娘だと思っていたモノは……ヒトを喰らう鬼、だった。


 鬼は皇子に正体を見破られると、北へと逃げた。

 皇子は一族の、そして己が愛しき妹のカタキとして、鬼を追う。


 幾百の山、幾千の谷を越えて皇子はとうとう鬼を追いつめた。観念した鬼は皇子に提案する。一つだけ約束を守ってもらえるなら私はもうどこにも逃げません、おとなしく殺されましょう、と。


 その約束とは『私が死んだ姿を見ない』こと。


 そして、出来れば人目につかない様、地中深くに埋めて欲しい……とのことだった。


 皇子も一族のカタキの鬼とはいえ、最後の頼みとあっては断れず承諾する。皇子は村人に言い、鬼が入る木箱を用意させた。その中に鬼が入るのを確認すると、地中に続く洞窟の奥深くへと運び……持っていた銅戈どうか(長い柄の先に直角に取り付け相手に突き刺す武器、後には祭器)を木箱に打ち付けた。


 木箱から脈々と流れ続ける赤い血。

 何度も何度も打ち付ける。

 流れ落ちるものが無くなるまで、木箱に銅戈を打ち続けた。


 すべての血が流れ落ちたとき、皇子は己の所業の達成感から我を忘れていた故か、約束を破って鬼の死に顔を見てしまう。


 そこには自分が愛した妹巫女の姿があった。


 なぜこんな事に――っ!

 皇子は自分を激しく呪う。

 なぜだ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜだっ?!、と。

 その声に呼応したかのように天は七日七晩激しく荒れ狂い、いつしか皇子もその雨に融けて……洞窟はいつしかみずうみへと姿を変えていた。




「これが俺の調べている、紀州の鬼姫伝説の一部だ」

「おもしろい……話じゃな。だがそれと……この木崎湖になにか関係があるとでも……いうのか?」


 老人の声がかすかに震えている気がする、気のせいか、それとも?

 しかし、気にせず深山真一は話を続けた。


「それはわからない。だが、この湖の木崎――鬼をくと読めないか? 鬼裂き湖、だ。そして、1800年代後半に発掘された銅戈どうかがここ大町市で有形文化財として保存されている事実。そして今回発見された遺跡……いや、おそらくは古墳だな。これらの事からあながち無関係とも言い切れないと俺は思っている」

「そうか」


 老人はそれだけ言うと、何かしらの考えを巡らせているのか湖面を眺め続ける。深山真一も同じく湖面を見つめた。


 いつの間にやら風は止んでいた。湖面に映った月はゆれることもなく、ただ丸い。おそらく明日は満月、だ。そんなことを思わせる、ただきれいなまるい月。だが、それはどんなに手を伸ばしてもつかむことは出来ない、泡沫うたかたの月。


 どれだけの時間がたったのだろうか?

 先ほどまでくすぶり、鍋を温めていた炭も今はその残り火を確認することすら難しい。炭の内部ではまだ赤々としたものが残っているのだろうか?

 深山真一は、この炭と横に座っている老人を重ね合わせて見ている自分に気がついた。このじいさんの中でくすぶっているものの正体は何だ? それともそれは俺の気のせいか?


 そんな時、老人は誰に聞かせるともなくおもむろに口を開いた。


「約束は……どんなことがあるにせよ、守らねばならんのじゃのう」

「じいさん?」

「なんでもない。お主、どうせ泊まるところもないのじゃろう? 毛布の一つも貸してやるからその辺で寝るがいい。おもしろい話をきかせてもろうた礼じゃ」

「ありがたい、実はさっきから今夜の寝床はどうしたものかと困ってたんだ」


 老人と熊の笑い声が木崎湖にこだました。


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