第6話 たいせつなこと

「8月14日、朝のニュースです。昨夜未明……」


 テレビの音?

 誰かいるのか?

 今日は確か……佳乃さんは昼から来る日だったよな? 壁に貼ってある、佳乃さんの予定表を見る。


 ぼやけて見えないし。さすがは寝起き。


 俺は重いまぶたをなんとか開こうと、指でこする。昨日の夜は暑苦しくてなかなか寝付けなかったんだよなぁ。


 壁に掛けてある時計の針は8時を指している。あきらとの約束がなければ確実に寝ている時間だ。約束があっても寝てたのは、もう遠い昔のことだ。すでに俺は覚えていないぞ、うん。


 台所にあるテレビは、やはりついていてニュースキャスターが原稿を読んでいた。


「おはようございます、拓人さん」

「はわわっ! ……びっくりしたぁ」

「すみません。そんなにおどろくなんて」

「いや、俺が勝手に驚いただけだし。おはよう、佳乃さん。そんなことより今日って昼からじゃなかったっけ?」

「はい。実は昼から用事ができてしまって来られなくなってしまったんです。ですから朝のうちに夕ご飯を作っておこうと思って」

「そっか、ありがとう。それより、明日の約束。忘れないでよ!」

「はい。花火大会、楽しみにしてますね。あ、早く支度しないと図書館の席がいっぱいになりますよ。ほら、早く顔を洗ってきてくださいね」

「うぃーっす」


 俺は洗面所へと向かおうとした瞬間、テレビ画面に映っている男の写真と目があった。


「――この男性の身元の確認を急いでいます。その他、何人かの男性と思われる遺体の一部も発見されており、周囲の目撃証言など聞き込みを開始しているとのことです。続いて……」


――ドクン。


 えっ? アレって? 今の男って……。

 …………死亡?


――ドクン。


「今のニュースって?」

「最近多いみたいですよ、男性ばかりをねらった猟奇殺人事件だそうですね。昨日のワイドショーでも特集を組んでましたから」

「……」

「何でも死体はバラバラに引きちぎられていたとか。ペットとして飼われていた熊かゴリラの仕業じゃないかって。拓人さん? どうかしましたか、顔色……悪いみたいですけど……」

「……さっきの男、昨日見た……」

「えっ?! どこでですか?」

「ほら、昨日隣町の商店街に買い物に行った時さ、俺だけ醤油を買いに戻っただろ? あのとき」


 さすがに友達の友達と一緒に歩いていた、とは言えないな。それに……。


「でも、遠目に見ただけだから人違いかもしれないし」

「……」

「……佳乃さん?」

「あ、いえ、すみません。ちょっと考え事をしていたもので。ほら、拓人さん。早く支度しないと!」

「あ、いけね。もうこんな時間か!」


 時計の針は8時15分を指していた。待ち合わせ時間まであと30分しかない、急げ!




「ミッションオールクリア! ひゃっほーーーーぃっ!」

「わたしたち、ついにやったよねっ!」


 俺とあきらはついに夏休みの宿題をすべて終わらせることに成功したのだった。これでやっと――


「やっと本当の夏休みを満喫できるってもんだ!」

「そうだね!」


 じーーっ。

 あ、周囲の目が痛い。


「た、拓人。図書館では静かにしないと!」

「う、裏切り者。と、とにかく脱出だ」

「……だね」


 俺たちは周囲の白い目にさらされながらも図書館を後にした。




「やっぱり二人で宿題作戦はナイスアイデアだったみたいだな」

「そうだね」

「いやはや、あきらって見た目より勉強できるんだな、驚いたよ」

「そうだね」

「でも本当に助かったよ。俺一人だったらたぶん途中でやめてたと思うし」

「そうだね」

「……猫が寝込んだ」

「そうだね」

「……白?」

「そうだね」

「おーい、あきら?」

「そう……えっ? 拓人何か言った?」

「宿題が終わって気が抜けるのはわかるけど、ちょっとぼけすぎだぞ?」

「ぼけてないよ」

「い~や、ぼけぼけだね。言うなればキングオブぼけ」

「それってマジひどくない?」

「ふ、ふ、ふ、最高の褒め言葉だと思うが」

「ほめてないって」

「そうか?」

「そうだよ」

「まぁ、いいか。それよりなにをぼーっとしてたんだよ? なにか心配事か?」

「え、えーっと……ね、これからの事とか……さ」

「これからのこと?」

「うん……」

「これから、か……まだ昼過ぎだしな」

「えーっと……そうじゃなくって」

「……」

「……」


 これからの、事か……それってつまりは、そう言うことなんだろうなぁ。宿題、おわっちまったもんな。


『2年D組、二ノ宮あきらですっ! 結城君のことが好きですっ! カレカノしてくださいっっっ!!』


 もう4週間なのか。

 まだ、4週間なのか……。


「これから……どうしよう、わたしたち」


 あきらは俺をしっかりと見つめて離してくれない。逃げるのは……無理、か。今日までだって、俺はつきあってたつもりだった。カレカノをしてたつもりだったんだけど……コイツにとっては違ったんだな。


 そうだよな……一緒に宿題やって、バカ話して、ご飯食べてってだけじゃカレカノじゃない……か。俺だってわかってはいたんだ。でなけりゃ、昨日あんな事考えたりするわけがないか……。



 俺はあいつのことが好きなんだろうか?

――嫌いじゃない。


 つきあいたいのか?

――つきあってもいい、かな。


 ならつきあえばいいじゃないか。

――でも。


 そして、俺はつきあうことにしたんだ。心の中の違和感なんて、時間が解決してくれるって。そう思って。『でも』はきっと、コイツ……あきらとの時間が足りないからそう思っているだけなんだって。


 そう考えると、急に心が軽くなった。今まで見えていなかった、あきらの心配そうな、ふるえてる子猫のような瞳。俺はできる限りやさしい目をして……照れる。


 まずい。

 視線を合わせられない!


 俺はとっさにあきらの視線から体ごと振り向く。それが……その行為をあきらがどう受け取るかを考えもせずに!


「たく……と?」


 あいつの声が……震えてる。

 違う、そうじゃないんだ。


「……」

「……ごめん、ね」


 違うんだって、そうじゃないんだ。

 あ゛~~~~~~っ! 俺は反射的にポケットに手を突っ込んだ。


――くしゃっ。

 くしゃ?

 紙?

 二枚……ある。これって……たしか、昨日の……?


 と、とにかくなにか話さないと!


「あ、え~、その……つまりだ」

「……」


 俺はポケットから手を抜くと同時に振り向いた。そして、あいつの顔があると思われるところに紙を広げてかざす!


「……?」

「ここにだな、ウォーターワールドの券が二枚ある」

「……」

「秘密裏に入手したものだ。一枚は俺のものなんだが……もう一枚の使用者を現在募集している」

「もらって……いいの?」

「先着1名様限りだ」

「わたしが……もらって……いいの?」

「早い者勝ちだ」

「あとで返せっって言っても……返さないよ?」

「ああ。公正取引法に違反しない限りは大丈夫だ」

「公正取引法なんてしらないよ」

「奇遇だな、俺も知らん」

「……ばか」

「バカはひどいな」

「ばか。ばかばかばかばかばかばかばかぁぁぁ~~~!」

「痛いって、やめろ、おぃ、痛い……ぞ」

「だって……ぐすっ」

「……泣くなよ」

「だって……」

「泣くなって、ほら」


 俺はあきらを抱き寄せた。なんか……見てられなかった。

 こいつって……こんなに小さかったんだな。全然気がつかなかった。


 当然か。俺が……俺自身が逃げてたんだから。コイツのことを知ろうとすることから、逃げてたから。



 遠く、近く、蝉の鳴き声がこだましている。


「……」

「……」


 夏の陽射しとは違うやさしい木漏れ日が……気持ちの良い風が、俺たちを包み込んでいる。


「拓人って……大きいんだね」

「落ち着いたか?」

「……まだ」

「……」

「……」


 太陽の傾斜が変わり、夏の強靱な陽射しが俺たちをじりじりと照りつけている。

 暑い。


――ぐぃ。

 俺はあきらを離そうとする。

――はしっ。

 離そうとしない、あきら。


 暑い。


――ぐぃぐぃ。

――はしっ。


 暑いって。


――ぐぃぐぃぐぃ。

――ぎゅ~~~~っ!


 暑い。暑い暑い暑い暑い暑い暑いあついーーーーーーっ!


「だぁぁぁぁぁ~~~~!」

「きゃっ! 何するのよ!」

「いつまでも抱きついてんじゃねーよ! もうとっくに泣きやんでるじゃねーかよ!」

「だって~~~」

「だって~~~じゃない!」

「でも~~~」

「でも~~~、でもない! 危うく熱中症になるところだぞ」

「う~~~意地悪!」


 あきらのちょっとすねた横顔。でもまんざらでもなさそうだ。ふふふ、かわいい奴め。


「あ、拓人の今の顔……何となく偉そうだった」

「はぁ?」

「なんか悔しい」


 あなたは何か、変な力に開眼しようと言うのですか? エスパーですか? 心を読んだりしますか?

 これからのことを考えるとそれは怖いかもしれない。


「とにかく、この券もらうからね!」


 そう言って、俺の手から券を奪い取り、そのまま腕を絡めてきた。


「お、おぃ。暑いって」

「いいからいいから♪」

「よくないって、恥ずかしいって」

「ふふふん♪」

「やめろって、おぃ聞けよ。聞けって!」

「きーこえーませーん」

「あーうー」


 俺の叫びが焼けたアスファルトにこだました。


 はぁ。

 まぁ……こういうのもあり、かもな。


 俺は左腕の温度を感じながら、これからのことを考え始めていた。

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