4 原稿用紙3枚

 三泊四日のその旅行の帰り。空港へは辿り着けたものの、関空からのJAL便は「遅延」。台風が香港に近づいているとのことだった。結局十二時間、離陸が遅れた。そのあいだに空港の外では、中華航空機が横転するという、香港の空港が新しくなってから初めての事故が起きていた。

 その次の月、九月のお彼岸のころだった。祖父が突然他界した。わたしの混乱に、心を寄せてくれた唯一の人であり、実父について話し聞かせてくれたただ一人の人を失ったことは、まったくの予想外で、さすがに残酷だった。

 一連の葬儀のときも、ナオちゃんは夫の陰に身を寄せて、わたしからは距離を置いた。

 通夜の夜。養父母と過ごす久しぶりの夜。

 酒の勢いもあってすぐに眠りに入った養父のいびきを聞き、大きな安心感を得た。

「この人たちが本当にわたしの両親なら、わたしはこんなに混乱しなかったのに」

 漠然と、そのときに感じた。


 二〇〇〇年に入ったころからだったろうか? 仕事中、

「たばこの火を消したかな?」

「炊飯器をカラだきしたままじゃないかな?」

「ガスコンロの火、ちゃんと消したかな?」

 仕事中不安になり、職場から寮へ電話をかけ、寮長さんに確認をお願いした。

 あまりにもそんなことが多いので、寮長さんに申し訳なく、昼休みに職場を抜け出し、昼食を抜いて、寮まで確かめに自転車で戻ったことが幾度もある。

 こういう症状を「強迫神経症」と呼ぶということも、「ずい分あとになってから」、知った。


 休みの日。大学時代の友人と連れだって、月に何度か小劇場の舞台を観に出かける以外、ほとんど実家へ戻った。

 そんなころだった。午後八時までに帰ることがほとんどない職場。ましてや金曜の夜。帰宅してつけた、兵庫県のローカルチャンネルであるサンテレビ――大阪市の北東部、上新庄のテレビでも、サンテレビを受信できたのだ――で、わたしは初めて『STAR TREK(スター・トレック)』を観た。ピカード艦長を主人公とする『新スタートレック』を知ったのだ。

 それはわたしが小説を書きたいと思った、原点を思い出させた。

 中学時代に眉村卓(まゆむらたく)「先生」の『ねらわれた学園』が映画化され、原作を読んだ。それからわたしは眉村先生のSF小説のファンになった。

 大阪芸術大学の文芸学科に進み、眉村先生がそこで教授をしていると知ったとき、「これは運命だ!」と感じたほどだったのに……いつしかわたしは小説を書くことを、忘れていた。


 眠れない夜がつづき、仕事では夕方の締めの時刻、お金が合わないことが増え、わたしは四年間勤めただけで郵便局を辞めた。実家へ戻った。長いあいだ海の上を漂った蝶が、ようやく安心できる越冬地へ戻れたような気分だった。あるいは親鳥の待つ巣に帰った雛鳥の心境……幼児返りもしていたようにも思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る