3 原稿用紙4枚

 香港に行った。初めて降り立った「異国」は関西国際空港のように、陸から長い橋を渡った海の上にある、新しい空港だった。

 ツアーの二日目にオプションのツアーを組んでいて、その中に漢方薬局に立ち寄ることが組み込まれていた。わたしは大学を出てすぐの年、半年ほど整形外科の調剤薬局でアルバイトをしていたから、薬の知識が少しはあった。楽しみにしていた。

 日本語が上手で、長い黒髪を肩の下まで垂らした女性がある商品の説明をするとき、わたしを指さした。

「あなた。体悪いでしょう」

「はぁ?」心は悪いかもしれないが、体は悪くないつもりだ。「いいえ。元気ですよ」

「あとで話しましょう」

 と言ってその女性は、別の商品の説明をつづけた。

 その人が売りたい、謂わばイチオシの商品を三つ四つ説明し、みんなが解散したあと、その人はわざわざわたしのそばにやって来た。

 まず志麻ちゃんを見て、

「あなたは全然問題ない」

 と言ってから、

「あなたの肌は絶対にヘンです。この薬を飲んだら、肌がきれいになります。金儲けではなくあなたのためを思って、この商品をお勧めするんです」

 と、熱心に勧めてくれる。

 しかし、

「わたし、お金ないんです」。

 肌がきれいになったところで心の問題が解決するもんじゃないし、肌がきれいなことがなぜいいことなのかもわたしには理解できない。わたしにはまったく、美容やファッションへの関心がなく――それは「今」でもあまり変わりはないが――、その点で大きく志麻ちゃんとは異なっていた。

「クレジットカードは? カードでもいいですよ。特別に三割引きにしますから」

 ゴリ押しだ。

 わたしは、値引きされても四万円以上する漢方薬を買わされた。あのころの月給の、五分の一も使ったことになる。

 まるで「人間失格」の烙印を押されたみたいで、とてもいやな気分だった。

 そのとき志麻ちゃんが言った。

「スミちゃんって目がクリっとしてて可愛いのに、肌がきたないから損してるやろなってずっと思っててん」

 優等生の、劣等生を見下すせりふだった。

 その旅先のホテルで、志麻ちゃんに出自のことを打ち明けた。志麻ちゃんはそのことを知っていた。私立高校を受験するのに戸籍抄本が必要で、それを志麻ちゃんのお母さんと見たときに、お母さんからわたしの生い立ちを聞かされたと言った。

 わたしは、私立高校の受験のときのことを記憶していない。養母が巧妙にごまかしたのだろう。

 そうやってみんながグルになって、わたしを騙していたのだ。

 世間のあらゆるものを、強く憎むようにもなっていた。

 それにだんだんと、「ついでにバレた」、ということ自体、許せないと感じていることも、わかってきた。

「高校入試に戸籍抄本が要るついで」

「パスポートを取るついで」

 そういうものだろうか? ましてや電話で済ませていい話か?

 せめて、十歳の誕生日とか、成人になったときとか、キリのいいタイミングを見計らって、けじめをつくるのも親の役目ではないのか?

 いろんなズルさに蔑まされていることを、痛感した旅だった。いろんなものが、寄ってたかってわたしを堕とそうとしている。

 いつまでつづくのか? 次はなんだ? なんでも来てみろ。

 もはや投げ遣りにさえなっていた。

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