2 原稿用紙4枚
播磨町の実家のそばに、母方の祖父が一人で暮らしていた。その洗たく、家の掃除、食事の用意やあと片づけは、全て養母がおこなっていた。
わたしの実母に当たる「ナオちゃん」は、神戸市西区にある新興住宅地の、大きな家に住んでいた。小学校の校長をしている夫と、わたしより十歳年下の娘がいる。ナオちゃんは、小学校の事務員として、あのころはまだ働いていた。養母より四つ年下だったはずだ。
香港へ行く前の盆休み。母方の祖母の法事が祖父の家で行われた。当然ナオちゃんの家族も来る。わたしはその人たちに対して、どんな思いを自分がいだいているのかわからず、やはり戸惑った。
お坊さんが来てお経を読み、帰る。養母、ナオちゃん、従妹、三人の女性たちが、奪い合うように出しゃばって、手分けして、お供えのお菓子を分ける。
わたしにはそういう喧噪が性に合わない。この一族が気に入らない。
三人の女性たちは仏間から、お坊さんに出したお茶やお菓子を下げ、自分たちで飲むお茶の用意をするために、台所へ行った。
台所では使った食器を、三人の女性たちが、取り合うようにして洗ったり、ふきんで水滴を拭き取っているようだ。三人もかけてすることだろうか? わたしは冷めている。そうしていつも養母から、
「あんたは気のきかん子や。ナオちゃんの子の気配りを見習ったらええのに」
と……いつも誰かと比べて貶められるのだ。幼いことからずっとそうだった。香港へ行くことになっている志麻ちゃんとも、ずっと比べられて育ってきた。
仏壇のある部屋では養父と、ナオちゃんの夫を相手に、祖父が、最近ますます腰が曲って来て、どこへ行くのも億劫になっていると話している。わたしは立ち上がる気力もなく、聞くともなしに祖父の身の上話を聞き流す。
三人の女性たちが冷たい麦茶を透明のグラスに入れて持って来る。
この三人の女性たちの身の上話が始まると、もうあまり大きな声を出せなくなっている祖父は、娘や孫が話をしているのを、にこにこと笑って見ているだけになる。
やがて。ナオちゃんたちが車で神戸へ帰る。
わたしの養父母も、正座を崩してぼんやりしているわたしに、「帰らへんの?」とだけことばをかけ、祖父のもとから去って行く。
わたしは一人ぼんやりと、仏壇の中央に飾られ、金色に輝く阿弥陀如来を眺めていた。
「スミちゃん」
祖父がわたしを呼ぶ。
振り返る。
「ナオちゃんのこと、気にしとんか」
わたしはうなずく。黒いパンツの太ももの上に、涙が落ちた。初めて泣いた。
「スミちゃんのお父さんはなぁ、ヤマちゃん、いうて、スミちゃんとよう顔が似とる。眉がはっきりして、鼻が小そうて、スポーツマンやった。
結婚式のときの写真、見せたろか」
祖父はわたしが返事をしていないのに、曲がった腰に左手を当てて、ガニ股で隣の部屋へ行き、右手に黄ばんだアルバムを持って戻って来る。
「これや」
よくある集合写真。わたしの視線は中央にいる新郎新婦ではなく、二十六年ほど前の養父母を探した。
「ヤマちゃんはなぁ、ナオちゃんと離婚したあと別の人と再婚してな、娘ができたそうや。詳しいことは知らんけど、ヤマちゃんは自殺したらしいで。そのあと――ドラマみたいな話やけど――遺された嫁さんは娘に、『何が一番したい?』て尋ねて、娘が『東京ディズニーランドに行きたい』言うて。そんなら嫁さんが『東京ディズニーランドに行ったら、そのあとで一緒に死んでくれる?』て約束して、ほんまにそのまま二人で無理心中したそうや。
ナオちゃんのこと聞いたら、小説のネタになりそうな話がぎょうさんあるで」
「以前の」わたしは小説を書いていた。そのための大学、大阪芸術大学の文芸学科へ進んだのだった。
実父の顔はよく見なかった。いや。見ようとしなかった気がする。憎しみをいだいていた。わたしは養父が好きだった。養父は養母を愛していた。わたしさえいなければ、養父母はもっと裕福でおだやかな老後を、二人で過ごせていたかもしれないのに、と、自分の存在をも憎むようになっていた。
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