第17話「実験体」
17話「実験体」
一人で泣くのは寂しい。
けれど、泣き顔は誰に見せるものではない。
それはみんな同じだろう。
だから、孤独を感じながら涙を流す。
夢もそれはわかっていても、泣き終わったときに虚しくなる。
「あー………何やってるのかなぁー。自分が悪いのに。」
ごじごしと手の甲で、目を擦り重たい体を起こした。
寒い中歩いてきたせいで、夢の左腕はまた固まっており動かなかった。
早く入浴して体を温めなければ明日の仕事に支障が出てしまうだろう。
夢は部屋の電気をつけて、浴槽にお湯を溜めた。
ベッドに座り、自分の右手を見つめる。
そこには、光らないただの石が埋め込まれた掌があった。
この石ころを「綺麗ですね。」と、心から言ってくれたのは今までで律紀だけだった。
もしかしたら、友人なども思ってくれたのかもしれないけれど、夢はそうは感じられなかった。
彼の言葉とキラキラした瞳は、今でも覚えている。
そんな彼をこの短い期間で、夢は気になり始め、そして好きになっていた。
落ち着いてとても年下に見えないところ。眼鏡をとったり、笑ったりすると幼い顔。そして、純粋で素直な性格。鉱石が大好きで夢中になると子どものようになってしまうところ。
そして、優しい微笑みでみてくれるところ。
好きで好きで、会いに行くのが、いつも楽しみになっていた。
けれど、所詮は契約の関係だった。
何故、冗談でもあんな事を言ってしまったのか。そして、途中で彼に本当の気持ちを伝えなかったのか。
…………今ではよくわかる。
彼に嫌われるのが怖かった。
告白して断られるのが怖くて仕方がなかったのだ。
所詮は、ただ右手に鉱石があるだけで、自分には何の魅力もないと夢は思っていた。
だからこそ、恋人も今まで出来なかったし、友達も多い方ではない。
それは全て自分に自信がないからだ。
だからこそ、好きなことを追求している律紀に憧れ、そして好きなったのかもしれない。
夢は、右手の鉱石を握りしめた。
今まで大切にしていた鉱石。
それを見たくなくなってしまった。
もう律紀と夢を繋いでくれない。
そう思ったけれど、夢はある事に気づいた。
もしかしたら、律紀はアメリカに行かなくてもいいかもしれない。
そう考えると、夢は急いでスマホを取り出して、ある人へと電話を掛けた。
「もしもし、夜分遅くにすみません。一七夜夢です。すみません、理央さんにお願いがああるんですけど………。」
祈る思いで、電話したのは以前、夢の事を率に教えた理央だった。
夢が最後に律紀と会ってから約10日が経った。お互いに忙しかったため、会うのが遅くなってしまった。
もう3月になり、少しずつ春の話題が多くなってきた頃、やっと夢は律紀に会うことが出来た。
「夢さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「お久しぶりです。えぇ……律紀さんは、忙しそう、みたいですね。」
夢はいつもの研究室よりも物が整理されてない状態や、律紀が少し疲れた顔をしているのをみて、そんな風に思った。
するの、律紀は苦笑しながら「すみません……。」と謝った。
そして以前と違う敬語での会話。
それだけでも、夢は胸がチクリと痛んだ。
「アメリカに行く前に仕事を片付けなきゃいけなかったので。」
「アメリカにはいつ行くんですか?」
「今日の夜ですよ。」
「今日………そっか、間に合いましたね。」
夢はほっとして小さく息を吐いた。
そして、律紀が本題を話す前に、夢から話を切り出した。
もし、彼から実験の事、そして契約恋人をやめようと言われたら、いくら覚悟をしていたとしても、律紀の前で泣いてしまうと、夢は思ったのだ。
夢は、泣かないように必死に耐えながら、律紀を見つめた。
いつもニコニコしている彼だったけれど、夢の妙な雰囲気を察知したのが今は、心配そうに夢を見ていた。
「アメリカに行く前に、律紀さんに渡しておきたい物があるんです。」
「夢さん………。」
夢は、鞄の中に大切に入れていたもの。白いハンカチに包んでいたものを取り出して。
夢は、テーブルの上に置いた。
そこにあるのは、見た目はどこにでもある、道端に落ちているような小石だった。
「これは、もしかして……!」
律紀は一目みて、それが何かを理解したのか、すぐに顔をあげて驚いた顔で夢を見ていた。
「はい。私の右手にあった、光る鉱石です。最近、理央さんに病院を紹介してもらって取りました。」
「そんなっ………大切な物だって前に話してましたよね。」
夢は自分の右手を見つめる律紀に気づいたけれど、掌は見せるまいとぎゅっと右手を握りしめた。
まだ傷口が痛いけれど、その痛みが夢を冷静にさせてくれているようだった。
「律紀さんが今まで1番この鉱石を嬉しそうに見てくれていました。誰よりも……きっと、私よりも。だから、持っていてください。」
「そんな………。」
「私の手にあった物なので、気持ち悪かったりして嫌だったら処分してくれてもいいので。」
「そんなことはしないです!」
律紀は、夢が聞いたことがないような大きくて強い声で、そう言った。
夢は体が震えそうだったけれど、毅然とした態度で、まっすぐに彼を見据えたまま「なら、よかったです。」と、返事をした。
「律紀さんはアメリカに行きますし、私の右手には鉱石がなくなったので、もう実験はなしですよね?それと、契約の恋人という関係も。」
「僕は、そんな事………!」
「じゃあ、契約恋人をまだ続けるんですか?」
「それは………。」
律紀は、言葉を濁して夢から視線を逸らした。
それ見た瞬間に、夢は「あぁ、この人は恋人を続けたいわけじゃないんだ。」そう、夢はわかってしまった。
「私の我が儘に付き合ってくれて、ありがとうございました。もう、おしまいにしましょう。………あんまり上手に恋人同士の事、教えられなくてごめんなさい。」
「えっ……夢さんっ!?待って!」
夢は言い捨てるようにソファから立ち上がり、研究室から出ていこうと小走りで駆け出した。
もう渡したかった物渡したし、言いたかった事も言った。
律紀への自分の気持ちは、自分だけに留めておく。夢はそう決めたのだ。
彼には想い人がいる。
結果が、わかっているのに、彼に好きだと言う気持ちを言えるほど、夢は強くはなかった。
早くこの部屋から出なければ、もう涙が出てしまいそうだった。
我慢しなきゃ……まだ、泣いちゃいけない。
夢は、掌に大きなガーゼが当てられている右手でドアを開けようと手をかけた。
ドンッッ!!
けれども、その大きな音と共に、ドアは開かずに閉まってしまう。
ドアを開けるのを止めたのは、律紀だった。右手で勢いよくドアを叩くようにして、手を伸ばし、夢を後ろから拘束していた。
「………壁ドンって、こういう時に使うんですよね?僕、勉強したんですよ。」
「………手をどけてください……。」
夢は、彼の顔を見ることが出来ずに、俯いたまま消えてしまいそうな声でそう言った。
夢は律紀の側いると、自分が虚しくなるだけだった。
彼が好きでも叶わない恋。
それに、夢は耐えられなかった。
「夢さん、僕は……。」
「もう、止めて!」
「………。」
夢は、彼の方を振り向いて、我慢できなかった涙を流しながら、律紀の顔を見つめた。
きっと、これが最後になる。
わかっているのに、気持ちが抑えられなかった。
「もう、恋愛の実験体にするのはやめて……。」
夢はボロボロの顔と声で、それだけを伝えると、彼の腕の力が弱まった隙にドアを開けて、研究室から飛び出した。
この間と同じ夜の道を、夢はまた同じようにひとりで走る。
その後を誰も追いかける人はいなかった。
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