第6話「年下の余裕」







   6話「年下の余裕」





 夢は後悔していた。

 何でそんなことになってしまったのか。

 「冗談でした。」と言える機会はいくらでもあったはずだ。もしかしたら、彼もそのつもりで言ったのかもしれない。


 けれど、そんな冗談を言ったことで明かしてしまったら、彼に嫌われるかもしれない。

 そう思うと、何も言えなくなってしまったのだ。

 嘘を重ねる事で、ますます嘘が増えてしまうのをわかっているのに。

 そして、もっと嫌われる要因が増える事を知っているのに。






 そして、まだ2回しか会っていないが、夢はわかった事がある。律紀は、とてもまめだった。 


 帰る間際に、「恋人になってら、どんなことをすればいいですか?」と聞かれた。

 夢は、頭の中は真っ白になっていたので、ただ思い付いた事を彼に伝えた。


 それが、「朝と寝る前の連絡。」だった。

 彼との恋人契約は、会って研究をしているだけだと思っていた。

 それなのに、話したときはそんな事を忘れてしまっていた。

 けれど、彼はそんな事は気にしていないようで、「わかりました。」とにこやかに笑って言ったのだ。



 そして、夢が家に帰り自分の失態で泣きそうになっていると、先程交換したばかりのスマホの連絡先に、律紀からのメッセージが届いた。

 夢はすぐにそのメッセージを確認すると、「今日はありがとうございました。これから、よろしくお願いいたします。おやすみなさい。」という、律紀らしい真面目なメッセージが入っていた。



 それを見るだけで、夢は心が温かくなった。

 自分がした事は間違いないだったのかもしれない。けれど、それでも彼からのメッセージはとても嬉しいのだ。

 


 律紀からのメッセージを見つめながら、夢は改めて思った。

 自分は、律紀に惹かれ始めているのだと。








 律紀の研究室に行くのは週2回になった。

 律紀の講義やゼミの都合もあり火曜日も金曜日の仕事終わりに決まった。


 予定がない日でも、律紀はしっかりとメッセージをくれていた。

 そして、もちろん金曜日であるこの日の朝も。



 夢は朝貰ったメールを見ながら、大学に向かう電車に乗っていた。

 「おはようございます。今日はよろしくお願いいたします。」という、恋人らしさもないメッセージ。

 だけれど、彼から来たメッセージだと思うと、自然と顔が緩んでしまうのだ。


 



 彼の研究室の前に立ち、夢は大きく深呼吸をした。そして、バックから鏡を出して身だしなみをチェックしていた。

 

 「夢さん、こんばんは。」

 「…………っっ!律紀さんっ…。」

 「今日もありがとうございます。寒いですから、中にどうぞ。」


 どこかに外出していたのか、いつの間にか彼は夢の後ろに立っていたようだった。

 鏡を見ているのを見られたのかと、夢はドキドキしつつも、律紀は気にしてないようだったので、ホッとした。



 「今日も1つ鉱石を選んでください。コーヒー入れてきますね。」

 「ありがとうございます。」


 研究室に入ると、律紀をそう言ってコーヒーの準備をしに離れてしまう。

 契約だとしても、恋人同士になった相手を前に、夢は緊張してしまったけれど、律紀は前回と同じような冷静な様子だった。

 彼はやはり本気ではなかったのかな?と思うと、少しだけガッカリしてしまう。


 目の前の鉱石を見つめていても、今日は何だか心ここにあらずで、ただボーッと見つめてしまうだけだった。



 「今日は、気になるものがありませんでしたか?」



 いつの間にか、コーヒーを準備し終えたのか、律紀がすぐ隣まで来ていた。

 夢はそれだけで、またドキリとしてしまう。



 「いっぱいあって、少し悩んでしまいました。」

 「じゃあ………前回と雰囲気は違いますが、同じ緑のものを選んでみますか?」



 そう言うと、律紀は夢が届かない棚の上段にあった鉱石の箱を取り出した。



 「これです。」



 律紀が選んだのは、新緑のように爽やかな緑色をした鉱石だった。



 「これは、グリーンガーネットですか?」

 「正解です。ツァボライトといも言われていますね。今回はこれにしましょうか。」



 律紀は、その鉱石は持ってソファに座った。

 夢は、その鉱石がとても綺麗でテーブルに置かれている時もジーっと見つめてしまった。



 「気に入りましたか?」

 「あ、すみません!あまりにも綺麗なので、見いってしまって。」

 「いえ。これは私の私物なんですけど、気に入っているのでここに置いています。」

 「宝物、なんですね。」

 「………そうですね。でも、1番の宝物はここにはないんですよ。今度、お見せしますね。」



 宝物の話しをしているはずなのに、律紀は何故か切ない顔をして話しをしていた。

 夢は彼が時々見せる、その表情がとても気になってしまっていた。

 けれど、その話をする前に彼はすぐに、いつものニコニコとした表情に戻ってしまうのだ。


 それを見ると安心しつつも、心のどこかにひっかかってしまう。




 そんな事を考えていると、せっかく律紀がコーヒーを淹れてくれていたのに、冷めてしまうと気づき、「コーヒーいただきます。」とお礼を言ってからコーヒーカップを取ろうとした。


 けれど、昨日の来客用であろうコーヒーカップとは違う、翡翠色の綺麗なカップが夢の前に置かれていた。


 どこかマラカイトに似ているその色に、夢は目を奪われた。



 「律紀さん、このカップは………。」

 「あぁ、気づいてくれましたか。僕の恋人のために用意してみました。」

 「え………。」

 「僕は恋人としてどんな事をしていいのかわからなくて。なので、取り合えず形からはいればいあいかなと思いまして。安直かもしれませんが。」



 律紀は少し恥ずかしそうに苦笑しながら、そう話してくれた。

 夢は、その綺麗な緑色をしたカップをジーっと眺めていた。

 彼が自分のために選んでくれた物。そして、偽りであっても恋人として見てくれる時間があったこと。それが何より嬉しかった。

 隣に置かれているグリーンガーネットの輝きもとても綺麗なものだった。けれど、夢はその鉱石よりもこのコーヒーが入ったカップが、どんな鉱石よりも輝いて見えた。



 「………あまり好きなデザインではありませんでしたか?」

 「いえ!そんな事ないです。とっても嬉しいですっ。」

 


 自分でも顔が赤くなりニヤけてしまうのがよくわかった。けれども、それを我慢できるはずもなく、夢はそんな表情のまま彼を見た。



 「ありがとうございます。律紀さん。」

 「………いえ。喜んでもらえれば、僕も嬉しいです。」



 彼は耳を赤くしながら、視線を夢から外した。

 律紀が少し照れているように感じたのは、きっと見間違いではない、と夢は思った。





 「あの。ずっと気になっていたのですが………….。」

 「はい?」



 2人がコーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせた頃。

 律紀が、少し遠慮がちに話をふってきてくれた。


 

 「夢さんの方が年上なのに、なんで敬語なんですか?」

 「え…………それは、会ったばかりの人ですし、大学教授の方だから、ですかね?」

 「大学教授とかは関係ないですよ。それに会ったばかりだけど、恋人同士なんですよね?」

 


 律紀は不思議そうな表情で、そう訪ねてきた。

 確かに年下の相手で、しかも恋人なのに敬語は可笑しいかもしれない。



 「じゃあ、敬語は止めた方がいいのでしょうか?………恋人同士なら律紀さんも止めてくれますか?」

 「わかりました。普通に話しますね。」

 「…………はい。じゃあ、よろしく?」



 突然敬語を使わないというのは、恥ずかしくなってしまう。けれど、きっとここで変えなければずっと敬語のままになってしまうのは、よくわかっていた。

 夢はドキドキした気持ちを押さえながら、たどたどしく普通に声を掛ける。



 「はい。よろしく。」

 「律紀さんは………。」

 「あ、夢さんは僕にさん付けじゃなくていいよ?」

 「え……なんでです……じゃなくて、なんで?」

 「年上だから。さん、以外で好きに呼んでみて。」

 「えー…………そんな急に呼び方まで変えなくても……….。」

 「いいから、ね。」



 いきなりの無茶ぶりに、夢はどうしていいかわからなくなってしまう。

 敬語を使わないのだけでも恥ずかしいのに、呼び方も変えるとなると一気にハードルが上がる。


 緊張のしすぎなのか、目がうるうるとしてきてしまう。それでも、彼はニコニコと夢の言葉の続きを待っている。


 夢は、俯きながら小さな声で、「律紀………くん。」と呼んでみた。


 呼び捨てだとハードルが高すぎるし、だからと言ってあだ名などつけられるはずもなく、1番言いやすい君付けにしてみることにした。

 自分より年下だし、いいかなぁと思ったのだ。


 囁くように言ったので、律紀に聞こえているのだろうか?

 それに、彼はその呼び方を許してくれるだろうか?

 夢はそれが気になって、恐る恐る目線を彼に向けてみる。



 すると、ニッコリと微笑んで、「はい、夢さん。」と、嬉しそうな表情を見せていた。


 何故年下の彼の方が、冷静なのだろうか?

 恋愛経験がないというのは、嘘なんじゃないか。夢はそんな風に思ってしまう。



 「なんか、ズルイ………。」

 「え………?何でですか?」

 「………秘密です。」

 「あ、敬語。」

 「秘密っ!」



 夢はプイッと外を向いて、怒ったように口を尖らせてしまう。

 けれど、律紀はそんな夢を見ても、ニコニコと笑っているだけだった。





 律紀からの提案で始まった、敬語禁止と呼び方のお陰で少しだけ彼との距離が縮まったように感じられた。

 間違いだった関係だけど、それでも良かったのかもしれないと思ってしまうぐらい、夢はこの時間が幸せで心地がいいものになっていた。



 始めて律紀から貰った、緑色の宝石のようなカップを持って、夢はつかぬ間の幸せに浸っていた。






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