第5話「冗談は現実に」






   5話「冗談は現実に」






 律紀は不思議な男性だった。


 自分の好きな事になると、目をキラキラさせて話をしてくれたり、研究に没頭してしまう。そんな研究者らしい所ももちろんある。

 けれども、しっかりと人を見てくれて、思いやりがあって、そしてとても優しく笑う人だった。

 

 自分の右手を真剣に見つめる彼の顔を、夢は呆然と見てしまっていた。



 「…………と、言う感じなんですけど。………夢さん?」

 「あっ…………。すみません!少しぼーっとしてしまいました。」

 「仕事終わりで疲れてますよね。すみません。」



 夢が呆然としてしまい、話しを聞いていなかった方が悪いというのに、彼は夢の体調を心配して逆に謝ってくる。本当に優しい、と改めて夢は思った。



 「大丈夫です。仕事しているのは律紀さんも同じですので。……すみません、なんのお話しでしたか?」 

 「いえ。この右手に埋め込まれているものなんですけど、少し皮膚から出ているところもあるのですが、ほとんど埋まってますよね?」

 「そうですね。半分以上埋まっていると思います。」



 右の掌を触ると石の感触があるのはほんの一部で他は肌の感触なのだ。それは、石が埋め込まれているという事を意味している。



 「僕はこの石の成分を調べたいのですが、そうなると少し削るのが1番なんですが、この面積を削るのはすこし困難なんです。」

 「……確かに、ほとんど石は出てませんもんね。」

 「はい。なので、この右手から石を取り出してしまうのはどうでしょう?」

 「………え?」

 「病院に行って切開して取り出して貰うんです。そうすれば、夢さんも何度もここに来る必要はなくなりますよ。」



 夢は律紀の話を聞いて、ショックを受けてしまっていた。

 律紀はきっと厚意で提案してくれるているのだとわかる。夢も何回もこの石を取ってしまおうかと考えたことがあった。


 けれど、これは絶対になくしてはダメだとも思っていたのだ。自分を助けてくれた人を忘れずに、感謝しなければいけないと思っていたからだ。



 それに、右手を切開するとなると多少なりとも手に傷がつくだろう。彼はそれでもいいと思っているのだろうか。

 それに、もう夢が大学に来ないでも済むということになれば、夢と律紀の接点もなくなってしまうのだ。

 彼は夢と会う必要などないと思っているのだろうか。

 それが、夢には悲しくて仕方がなかった。


 自分だけが、彼を気にして、ドキドキしていた。

 それがわかってしまったのだ。




 「それは、出来ません………。」

 


 夢は、今の自分の顔を見られたくなくて、視線を外に向ける。それに、せっかく提案してくれたのに、それを承諾しないのも申し訳なかったのだ。



 「あの……私、幼い頃事故に合ってしまって。あ、その時に右手に鉱石が入ってしまったんですけど。それだけじゃなくて、左腕も少し不自由なんです。なので、右手が使えなくなると、仕事も出来ないので、少し困ってしまうんです。………だから。」



 自分の気持ちを隠すように、言い訳をつらつらと早口で伝える。話したことは本当の事だけれど、少し罪悪感がある。

 右手を切ったぐらいで、仕事が出来なくなるわけではないだろう。

 

 けれど、律紀はとても悲しそうな顔をしながら、その話しを真剣に聞いてくれていた。

 そして、小さな声で「すみません………。」と言ったのだ。



 「いえ、律紀さんはわるくないですよ?」

 「…………。でも、女の人に簡単に傷を作れなんて失礼な話でしたね。本当にすみません。では、その鉱石の事は無理しなくていいですので。」

 「………あの、律紀さん。」


 

 律紀が今回の事はなかったことにしようと言おうとしたのだろうと夢は思うと、咄嗟にその言葉を遮るように、次の言葉を掛けた。



 「私、またここに来てもいいですか?」

 「え………ですが。」

 「私が知りたいです。この鉱石の事を。」



 律紀との繋がりを絶ちたくない。


 その一心で、夢はその言葉を彼に伝えてしまった。

 彼が夢の本当の気持ちを知ったのなら、どう思うだろうか。

 きっと、いい思いはしないだろう。

 わかっていても、もう気持ちを止めることは出来なかった。



 「ですが、毎回ここに来てもらうのは、申し訳ないですよ。私の仕事としてではないので、謝礼もできないですし。」

 「お金なんていらないです。この石の事がわかるのなら。」

 「ですけど……それでは、私が納得出来ないです。僕はあなたに何も返すことが出来ません。」

 



 あなたとの時間があればいいです。

 そう、言えたならばよかったのに、と夢は思った。けれど、今さら言えるはずもない。

 もう、後にはひけない。



 「じゃあ、恋人になってくれますか?恋人ごっこをするのは……。」



 ピリピリとした雰囲気を和ませるための冗談だった。自分でも何でこんなことを言ってしまったのか、夢にもわからなかった。

 きっと、自分が思っている以上に律紀と話す事は、緊張してしまっていたのかもしれない。

 

 こんな妙な事を口走ってしまうなんて。

 普段の夢からは考えられない事だった。


 驚いた顔をして、まじまじと夢を見つめる律紀を見て、夢は焦ってしまう。

 彼は真面目な人だ、きっと冗談だとわかっていない。急いで訂正しなければ、と夢は口を開いた。



 「あの、今のは……。」

 「いいですよ。」

 「え……。」

 


 今、彼は何と言ったのだろうか。

 予想外の言葉に、頭が追い付かない。



 「僕、恋愛経験がほとんどないので、先輩に教えていただきたいぐらいです。」

 「………本当に?」

 「恋愛ごっこですよね?実験をさせてくれるのであれば、喜んでお願いいたします。」



 ニッコリと笑った彼の笑顔。

 それがとても冷たい物のように感じてしまったのは、きっと彼の言葉のせいだろう。



 自分からお願いしたことなのに、傷付くのはおかしいとわかっている。 

 けれど、とても切なかった。


 彼の目的は右手の鉱石であって、恋愛ごっこはそれの報酬なのだ。

 実験をするのに変わりの行為。


 夢は、目から涙が出そうになるのをグッと堪えた。

 全て自分が悪いのだから、泣いてはダメだ。そう言い聞かせて、律紀の方を向いてニッコリと微笑んだ。

 上手に笑えているかはわからない。

 けれども、誤魔化すしかないのだ。



 「では、よろしくお願いいたします。彼氏さん。」

 「こちらこそ。よろしくお願いいたします。」



 ペコッと頭を下げて、律紀は少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。



 こんな事になっても彼に会える事が楽しみな自分がいる事に、胸の高鳴りでわかってしまった。



 そんな己の気持ちに嫌悪をしてしまい、右手を強く握りしめていた。





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