第7話「甘えたい」
7話「甘えたい」
律紀との奇妙な関係が始まってから、約2週間が経とうとしていた。
相変わらず彼からのメールは毎日きていたし、研究室に訪れる時はとても優しかった。
笑顔で迎え入れてくれて、鉱石を見ながら貰ったマラカイトのようなカップでコーヒーを飲みながら話をして、それから右手の鉱石を見せる。
それがいつもの流れだった。
「けど………なんか、恋人同士じゃないんだよね……。」
自宅のベットで本を読みながらゴロゴロと過ごしている夢は、そんなことを呟いた。
彼は優しいし、初日はいろいろ提案してくれて嬉しかった。けれど、それからは何もなくただ話をして、右手を見せて終わりだった。
契約の関係で、それ以上は何を望むのだろうか?と、考えるとこうやって一緒にいれる時間があるだけでも幸せだと感じる。
「けど、なんかもうちょっと甘い言葉とか手を握るとか、あってもいいかなぁーって思うんだけど……私が欲張りなのかなぁ?」
嘘の関係だとしても、それぐらいはしてもらえないのか?と、考えること自体、自分がはしたないようで少し恥ずかしくなる。けれど、それでも少しでも彼に近づきたいと思ってしまうのだ。
「こんな風にドキドキするような恋愛なんて、現実では絶対に起きないのかな。」
夢は、先程まで読んでいた本を見つめながら、そんなことを思っていた。
夢の趣味は、鉱石を集め眺めることの他にもうひとつだけあった。
それは恋愛小説や漫画本を読むことだった。自分があまり恋愛経験がないからか、そういう小説や漫画を読んでは憧れていた。それは学生の頃からそうで、大人になれば自分にも当たり前にそんな恋愛をするものだと思っていた。
けれど、現実では好きになる人も見つからず、出会いもなかった。
自分の感情が乏しいのだろうかとも思ったけれど、それは変えられるものではなくて、大した恋愛もせずにこの年齢になってしまった。
今では、その憧れをいろいろと考えては自分で物語を書くようにもなっていた。
そんな事をしているから、憧れや理想ばかりが大きくなってしまうような気もするけれど、それでも止められなかった。
そんな自分の理想を律紀に押し付けてしまうのは申し訳ない。そう思いながらも、彼との時間がこうあって欲しい、と考えてしまうのだった。
「あの、夢さん。今日は石を削ってみてもいい?」
「削る……?」
「うん、固さとかも見たくて。……細い金属で削るだけだから痛くはしないつもりだよ。」
「それぐらいなら……。」
鉱石を見るときは研究室の奥のスペースで行っていた。律紀の仕事をする机や、理科室にありそうな物が並べられた棚などが置かれている。
律紀の椅子の隣にパイプ椅子を持ってきて、夢と律紀は向かい合って座っていた。
今までは顕微鏡などで見たり、部屋を暗くして明かりの様子を見ることが多かったが、今日は少し違うことをするようだった。
「ありがとうございます!破片だけでも取れたらいいんだけど。」
「取れた方が律紀は詳しく調べられるの?」
「はい!あ、でも、無理はしなくていいので。」
その笑顔はとても幼くて、子どもが初めて何か知った時のイキイキした表情だった。
やはりこの人は研究者で、夢を相手にしてくれるのはこの右手の鉱石があるからなんだ。
そんなわかりきっていた事を、今更感じてしまう。
律紀は、自分ではなく鉱石を見て笑顔になっているのだと。
先が尖った細い工具を取り出して、ガリガリと石だけを引っ掻くように、真剣な表情で夢の右手の見つめて作業をしている。
「んー………固いな。これだと、破片でさえも取れないかも……。」
「…………….。」
「夢さん?」
「えっ!?」
「痛かったり、響いたりしてないかな?」
「うん、大丈夫だよ………。」
それでも、心配そうに顔を見つめてくる律紀に、夢は少し困った顔を「どうしたの?」と聞いてくる。
やはり、鉱石を詳しく調べるためには掌から取り出すしかないのだろうか。
彼に再度それを相談されたら、どうしようか。そんな事を考えてしまっていると、律紀は全く違う事を話し始めた。
「夢さんの方こそ、大丈夫?元気ないみたいだけど……。」
「そんな事……。」
「ないとは言わせないよ。好きな鉱石も見ないで考え事してるし、今もボーッとしてた。」
「それは……………。」
彼が自分の事をよく見ており、気にかけてくれていた。それが嬉しいのに、夢は何と答えていいのか迷ってしまった。
「本当は鉱石削るのイヤだった?大切な物みたいだったし…。」
律紀は、テーブルの上に置かれた夢の右手から、自分の両手を離した。先程まで彼の熱があった夢の右手から温かさが消えてしまって、夢は少し寂しくなってしまう。
「削るのがイヤとかではないよ。」
「じゃあ、どうしたの?………僕には話せないこと?」
律紀の言葉は、「契約の恋人だから話せない?」。そう聞いているようだった。
律紀は研究のために真剣に鉱石の事を知りたいと思っている。
それなのに、夢は恋人ごっこの事ばかり考えてしまっているのだ。もっと恋人らしいことをして欲しいだなんて、彼に伝えたどんな風に思うだろうか?
そんな下らない理由で悩んでいたのかと思われないだろうか。
夢は元々考えすぎた所が多いと自覚していたけれど、律紀に会ってからは今まで以上に弱気になってしまっているような気がした。
「そういう訳では。」
「………笑ったり、怒ったり、バカにしたりなんてしないって約束するから。夢さんがそんなに悲しんでる理由を教えて欲しいんだ。」
夢を安心させようと、ニッコリと笑う。
夢が心配している事をわかっているかのように、優しい言葉をかけてくれる律紀。
本当に自分より年下なのだろうかと思うぐらいに、彼はよく気持ちをわかってくれていた。
彼に話しても大丈夫じゃないか。
そう思えてしまうぐらいに、彼の瞳や物腰はとても柔和でホッとさせてくれる物だった。
律紀の笑顔を見ていると、年下なのに甘えてもいいのだろうかと思えてしまうから不思議だった。
「………笑わないでね?」
「笑わないよ。」
「………もっと恋人らしい事したいなぁーって思ってたのです。」
少し伏せ目がちに、律紀を見ながら恐る恐るそう口にしてしまう。
恥ずかしくて彼を見ていられなかったけれど、どんな反応をするのか不安で彼を見つめた。
すると、律紀は笑いもせず、そして呆れ顔も見せずに何故かホッとした表情になったのだ。
「なんだ……そんな事か。よかった、安心したよ。」
「え?」
「いや、同じことなのかもしれないけど、恋人らしくないから、恋人役失格かと思った。」
「そんな事ないよ。律紀くんは、優しくしてくれるし、それに……。」
「でも、恋人らしくないんだよね?」
そう問われてしまうと、夢は返答に困ってしまう。
確かに彼と過ごす時間はゆったりとして穏やかかもしれない。
でも、夢はドキドキした時間も感じてみたい。気になる相手である、律紀と一緒に。
本当の恋人でもないのに、そんな事を頼むのはおかしいとわかっているけれど、恋人契約をしているとなればお願いできるのだろうか。
迷いながらも、夢は頷く。
「始めにも話したけど、僕は恋愛経験もほとんどないし、女の人がどんなことをしたら喜ぶのかなんて全然知らないんだ。だから、僕はそういうのも知りたいって思ってる。……夢さん、僕に教えて?夢さんがして欲しい事って、どんな事?」
律紀は真剣な顔で、夢に質問した。
彼は夢の願いを叶えようとしてくれているのだ。
彼がどうして女の人が喜ぶことを知りたいのか。
それを考えると、胸がチクリと痛んだけれど、夢は今はそんな事を考えるのを止めることにした。
彼との契約の恋人関係だとしても、彼に甘えよう。そう決めたのだ。
その関係が終わりを迎えたときに、後悔しないように。
律紀との契約関係の時間だけでも、彼に甘えていたい、と夢は思った。
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