第2話「冷たい指先と出会い」
2話「冷たい指先と出会い」
あの日から、3日。
夢の元には、理央からの連絡は何もなかった。
きっと自分の右手の石は、大したことがなかったのだろう。
少し落胆したものの、夢は気にしないようにして、いつも通りの日々を送っていた。
この日は厳しい冷え込みで、夢の左腕の調子が悪かった。朝から腕を温めてみたけれど、上手く動かない。
けれど、忙しい時期だったために、仕事を休むわけにもいかずに、出勤をしていた。が、やはり手が上手く動かずに苦戦を強いられていた。
「十七夜さん、大丈夫?今日、ペース遅いみたいだけど……もしかして、調子悪い?」
「すみません。少しだけ動きにくくて………でも、頑張りますので。」
上司に心配されつつも、夢は申し訳がない気持ちでいっぱいになり、俯いたままそう答えた。
「あんまり無理しないで。帰ってもいいからね。」
「……はい。」
きっと上司は、夢の体調を心配して声を掛けてくれたのだと夢もわかっていた。
それでも、期待されていないと感じてしまい、夢は更に落ち込んでしまった。
どうにか就業時間まで頑張ることは出来たものの、仕事はいつもの半分ぐらいしか終わらなかった。
「明日、早く出社しようかな。」
ため息を着きながら、帰りの支度をして職場をひとりで出た。
今日の夕飯は何を食べようか。そんな事を考えながら、夢がトボトボと歩いていた時だった。
「すみません。……あの、十七夜夢さん、ですか?」
「え…、はい。」
夜道で名前を呼ばれ、驚いてしまい、つい返事をしてしまう。
呼んだのは男の人の声だったので、夢は体が強ばってしまった。
恐る恐る声がした方を見ると、そこには長身で細身の黒髪の男が立っていた。ロングコートにチェックのマフラーを首にぐるぐる巻きにしおり、顔には眼鏡をかけていた。コートから出る黒のズボンは男の人とは思えないぐらいほっそりとしていた。そして、綺麗な黒髪は何故かボサボサだった。けれど、整った顔のせいか、それさえも似合って見えていた。
「と、突然すみません。あの、鉱石についてちょっと聞きたいことがありまして。」
「………あ。」
その男の人は、少しおどおどしながら、夢がスマホを持っている右手を見つめていた。
それで、夢はすぐに理央さんが言っていた人がこの男性だとわかった。
夢が初めて会う人で、右手にある鉱石を知っているはずがないのだ。
きっと、理央から聞いてここまでやってきたのだろう。
「もしかして。理央さんの………。」
「そうです!写真を見せてもらって。よかったら、見せてくれませんか?」
「…………えっと、ここでですか?」
「はい、ぜひ!」
先程のオドオドした顔から一転して、その男性は目をキラキラして夢の右手を見つめていた。
そんな顔をされてしまったら、断ることも出来ない。悪い人ではないのは雰囲気でわかった。
夢は、仕方がなく外用の手袋を右手だけ外して「……これです。」と 右手を差し出した。
すると、何故かその眼鏡の男性は少し驚いた顔をして夢を見つめた。
何故右手を見る前から驚いているのか、夢にはわからなかったので、「どうしました?」と、小さな声で尋ねてみる。自分の顔に何かついているのだろうか?そんなことさえ考えてしまった。
「いえ、すみません。拝見します。」
優しく夢の手に触れた瞬間。
「っっ!!」
あまりに彼の指先が冷たかったので、夢は体をビクつかせてしまった。
それに、彼も驚き「す、すみません!」と、せっかく伸ばした手を引っ込めてしまった。
「ご、ごめんなさい。あまりにも手が冷たすぎて。もしかして、結構長い時間、外で待っててくれましたか?」
「あ………、はい。あなたの仕事がどれぐらいに終わるかわからなかったもので。……15時ぐらいから。」
「えっっ!3時間も外で待ってたんですか?!」
「………すみません。」
今は18時過ぎで、とっぷり日が暮れている。
普通でも3時間も待っているのは辛いというのに、この真冬に外で待っているのは、相当過酷だっただろう。
よく見れば眼鏡の男性の唇は、真っ青になっており、体も少し震えていた。
この目の前の男性と夢は待ち合わせしていたわけではない。けれども、自分を待っていてこうなってしまったと知ってしまったら、夢は申し訳ない気持ちになってしまった。
夢は彼の腕を掴んで、ずんずんと歩き始めた。
「あ、あの……、どうしたんですか?」
「そんな冷えきった体でいたら風邪ひいてしまちますよ?まずは、暖かいところに行きましょう。」
「僕は大丈夫なので……。」
「だめです。私も寒いの苦手なので、ついてきてください。」
彼は納得いかない様子だったけれど、夢が後ろを振り返りながらそう言うと、渋々ついてきてくれた。
夢は自分でも、初めて会った人なのに何で手を掴んで一緒に歩いているんだろう?と不思議に思ってしまった。けれど、繋いだ腕から氷のように冷たくなっていた。彼を放っておけない。そう思ってしまうのだ。
「おいしいですね。このビーフシチュー。」
「よかったです。少しは暖まりましたか?」
「はい。お陰さまで。ありがとうございます。」
しっかりとお辞儀をしながらお礼をする彼を見て、夢は真面目な人だな、と感じた。
店に入ってからは、我慢していたのか体が震えていて、お店の人に白湯を出してもらったぐらいだったが、今は大分落ち着いたようだった。
「あの、自己紹介をまだしてなかったですよね。僕は、皇律紀(すめらぎ りつき)と言います。」
そう言いながらカバンから名刺を取り出して、夢に渡してくれた。
仕事以外で名刺を貰うとは思っていなかったので、少し驚きながらそれを受けとる。
その名刺には大学の鉱物学部の准教授と書いてあった。それを見て、夢は更に驚いて目を大きくした。
自分の右手にある石は、そんなにすごいものなのだろうかと、不安になってしまう。
それに、彼が自分より少し年上だろう、その若さで准教授になっているのだから、すごい人なのだとわかる。そんな人が、わざわざ寒い中で待ってまで、自分に会う価値などあるのだろうか、とも考えてしまい、夢はテーブルの下でこっそりと右手を握りしめていた。
「ごめんなさい。私は名刺を今、持ってないので……。十七夜夢です。デザイン関係の仕事をしています。」
「夢さん。……理央先輩から写真を見せて戴いてからずっとお会いしたかったです。」
にっこりと微笑む彼の瞳は、真っ黒だけれどもキラキラしており、宝石のようだった。
これが、夢と律紀の初め会った日の出来事だった。
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