episode7 宛名のない手紙

「あの、もしよかったらお使いください」


 万年筆を取り出すついでに持ってきたのは小さなクッション。それをミケさまの前足と椅子の間にそっと差しこんだ。


「あ、すみませんありがとう」


 驚きつつも右足をクッションにおいた彼女は安堵の表情を見せた。


「今回代筆依頼をくださったのは、けがをしてしまったからですか?」


 私が問うと、ミケさまはこくんと首を縦に振り、こう言った。


「私の不注意で、トラックに轢かれそうになったの。でも、危ないところをひとりの男の子が助けてくれて。お礼を言いたくて、ここへやって来たんだけど、宛先がわからないからどうしようもないわよね……」


 お礼を言いたい気持ちはよくわかる。その男の子を見つけたいな。


「なにかその男の子に関する手掛かりはありませんか?」


「そうね……制服を着てたわ。幼く感じたから中学生だと思うの」


 この町に中学校はひとつしかない。私が今着ている制服の中学校だ。


「顔を覚えていればですが……。その中学校へ行って生徒の下校時刻に校門で待ち伏せするというのはどうでしょう? 不安であれば、私も同行しますし」


 何百人といる生徒の中から探し出すのは難しい。だからと言って、もがく前から諦めることはしたくない。


「いいの? 月凪さん、学校行って具合悪くならない?」


 心配そうに優しい瞳を向けてくるミケさま。私は


「私には魔法のアイテムがあるので大丈夫です」


 と不敵に微笑んで見せた。




 それから数時間後。


 私が代筆したお手紙を大切そうに抱えているのはミケさま。私は活性炭マスクをして、校門から出てくる生徒を遠くの木の影から見ている。


 仮にも不登校をしている身なので、堂々と校門に立っていることはできないのだ。そのため、私に抱えられているミケさまも遠くから人探しをすることになる。


 活性炭マスクは、値段は少しばかり張るけれど、魔法のアイテムだ。


 そろそろ人波が途絶えそうだ、と思ったその瞬間。


「あっ、あの子だ! 月凪さん! 私の命の恩人!」


 ミケさまは嬉しそうにひとりの男子生徒を指差した。もふもふした彼女の手が差す方を見ると、そこにいたのはよく知ってる顔。


翔唯かいくん!」


「あっ、凪さんだ!」


 驚いた私の声に反応して彼はたたたっと駆け寄ってきた。いつも授業で使ったプリントを届けてくれる私の幼馴染み、莉玖りくの弟くんだ。年子なので、中学1年生。


「おふたりはお友達なの?」


 目をぱちくりさせて訊いてくるミケさまをさらっとスルーして、


「久しぶり! 凪さん――凪先輩か」


 彼は声変わりしてない声で元気に言った。


 まぁそんなところです、と彼女に言ってから、私は


「久しぶり! 今までと同じ呼び方でいいよ」


 と翔唯かいくんに軽く片手を上げた。

 

「それで? 今日は急にどうしたの? 1年半くらい学校来てないでしょ」


「うん。今日ちょっと別の用事でさ。……覚えてる?」


 私はミケさまのけがを悪化させないようにそっと彼女の背中を押した。彼は数秒間ミケさまをじっと見つめてこう言った。


「この前トラックに轢かれそうになってたところを助けたねこさんでしょ? まあまあお元気そうでよかったよ」


 そして、ふわりと微笑む。つられてミケさまも嬉しそうに微笑んだ。


「あの、助けていただきありがとうございました」


 彼女は宛先が書かれていない手紙を差し出した。


「どいたしまして! 手紙までありがとう、凪さんが書いたの?」


 翔唯かいくんはミケさまの足のけがを見て言った。


「ご名答。私が代筆させていただきました」


「そか。ありがと」


 そして、私の目を見てふわりと微笑んだ。


「どういたしまして。そろそろ帰ります、じゃあね」


「あ、あのさ。ねこさんって帰る家ある?」


 背を向けて歩き出した私の腕の中のミケさまは引き留められた。


「ありません。野良猫ですから」


「じゃあ飼い猫にならない?」


「飼い猫にならない、って?」


 気が付けば私はそう訊き返していた。


「おれが世話とかできるかなーって思って。ねこさんが事故った日に母親に訊いてみたの。そしたら責任取れるならいいよって。もう会えないと思ってたから会えてよかったよ。どう?」


「住まわせていただけるなら……お願いします!」


 ミケさまは深く頭を下げた。


「おっけ。凪さん、いいかな?」


「私が判断を下せることではないけど……ミケさまがいいならいいんじゃない?」


 深く頭を下げたままの彼女を見た翔唯かいくんはふざけて


「面を上げぃ」


 と言った。


 それがなんとなく面白くて、みんなで笑った。同年代の子と話したのって久々だなって、そのとき気が付いた。




「じゃあ、よろしくね」


「任せとけって」


 彼のサムズアップを信じ、私は彼女にまた今度、と言った。ミケさまは翔唯かいくんの腕の中で満面の笑みを浮かべてまたね、と返してくれた。


 ミケさまが素敵な生活を送れますように。




 リリリリリリリン。リリリ――カチャッ。


 ログハウスに帰ってきた私は涼しげに鳴る黒電話の受話器を耳に当てた。


「お電話ありがとうございます、ツキナギだいひ――」


凪紗なぎさ! 望月もちづき凪紗なぎさ!」


 定型文を遮って電話口から懐かしい声で鋭く強く言われたのは、私の本名だった。

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