episode4 ドヴォルザークの家路
ヤマアラシさまを望月文具店までお見送りに行って帰ってくると、17時を知らせる音楽が流れた。ドヴォルザークの“新世界より”家路。遠き山に日は落ちて、といえば通じるだろうか。聴きなれたそのメロディーを口ずさんで、今日のお仕事はおしまい。
さあ、家に帰ろうか。
ネームプレートを首から外して左手にバスケットを提げる。木のプレートはくるりと裏返して“Closed”に。ネームプレートを右手首にかけてくるくる回しながら家へと向かう。
“遠くに住んでてたまにしか会えない”
たまにしかおじいちゃんに会えないけど。でも会えるんだ、ヤマアラシさまは。
木でできた横断歩道を渡りきって、裏口から帰宅する。
「ただいま帰りました――あ、いらっしゃいませ! ごゆっくりどうぞ~」
18時まで営業している望月文具店には、まだちらほらとお客さまが見える。レジの後ろを通って奥にある住居部分へ。小さな赤い郵便受けを確認してから、引き戸をからからーっと20cmほど開けて体を滑りこませ、すぐにからからーっと閉める。脱いだローファーはかかとをそろえて下駄箱に。
「ただいまー!」
家中に声は響いたけど、帰ってきたのは静寂。そりゃそうだ。誰もいないのだから。
玄関ホールの階段を上がって2階へ。リビングダイニングを抜けると、6畳の和室がある。
「おじいちゃん、ただいま」
声をかけた仏壇の遺影は元気に笑っているけれど。
“凪ちゃんが、元気に学校に通ってくれること。それだけが、じいちゃんの願いだ”
病院のベッドでそう言ったおじいちゃんは。
“まぁ、凪ちゃんが幸せに生きられることが1番だけどね”
今はもう、ここにはいない。
「ごめんなさい、おじいちゃん……」
義務教育でありながら学校に行かなくなったのは、おじいちゃんが入院して少し経った頃のことだった。
どうして私は学校に行けないのだろう。行けたらいいのにな。
カメラのピントがずれたように、視界が濁ってきて。ようやっと、私が泣いていることに気が付いた。
深呼吸をひとつして、仏壇に手を合わせる。
3階の自室。フランネルのシャツとスキニージーンズに着替えた私は机に国語の教科書と日記帳を広げた。日記帳、とは言えど日記を書くのではない。文章を考えることは苦手だから。200字詰の日記帳なので、漢字練習に最適なのだ。
新出漢字の練習を終えた私は、机の端に置いておいた茶封筒に手を伸ばした。郵便受けから毎日取ってきているものだ。大きく書かれた学校名とその下に小さく書かれた“配達:莉玖”の文字。ゴシック体と角張った手書きそれにはもう見慣れた。この茶封筒には授業で使ったプリント類が入っている。
軽くプリントを読み流していると、もう夕食を作る時間になる。勉強は中断してひとつ下の階のキッチンへ向かう。
食後。がさごそとプリントを広げ、各教科の教科書と照らし合わせていく。時計の短針が9を回った頃、ふぁぁとあくびをしてしまった。そろそろお風呂に入って寝よう。
おやすみなさい、素敵な夢を。
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