第114話

 今日はアイリの最終出勤日だった。

 アイリが担当していた冒険者たちは勿論、オーリスの冒険者たちはアイリに声を掛けていた。

 最終日ということもあり、今日は受付の仕事でなく、別れの挨拶がアイリにとっての仕事なのだろう。

 仲の良かった女性の冒険者は泣く者もいた。

 冒険者として駆け出しの頃から、アイリの世話になっていた冒険者たちの中には、別れを寂しがり、涙ぐんでる者もいる。

 誰もがアイリを温かく送り出そうとする優しい雰囲気が、ギルド会館を包んでいた。

 リゼも朝早くから来ていたが、代わる代わるアイリの前に冒険者がいるので、なかなか声を掛けることが出来ないでいた。


「リゼ!」


 見かねたレベッカが受付の仕事の合間を見つけて、リゼを手招きして呼びよせる。


「なんでしたか?」


 レベッカに呼ばれる理由が見当たらないリゼは、戸惑いながらレベッカと話し始める。


「アイリと話をしたいんでしょう?」

「……はい。でも、他の方々もアイリさんと話をしたいようですし――私よりも長い間、アイリさんと接していた方のほうが多いので、冒険者になって間もない私は、皆さんの後でもいいと思っています」

「そんな気づかいしなくても――」


 多くの冒険者と接しているレベッカは、リゼのように引っ込み思案の冒険者とも話をしたことがある。

 しかし、冒険者の多くは傲慢、自意識過剰等の言葉が当てはまるような者ばかりだ。

 逆に冒険者とは、そうでないと長く続けられないのだとレベッカは思っている。

 リゼはアイリの前から冒険者が居なくなるのを待つつもりのようだが、このままでは話すことさえ出来ずに、今日という日が終わるのだろうと確信していた。


「ちょっと、待っててね」


 レベッカは受付の机の下から書類を取り出すと、アイリの様子を伺っている。

 冒険者との会話に区切りがついたのを見計らい、アイリを自分の所に呼び寄せる。

 アイリと話をしていた冒険者に頭を下げる。


「どうかしたの?」


 リゼの引継ぎに問題があったのかと、不安そうな表情でアイリは駆け寄る。

 アイリの焦る表情を見たレベッカの表情は対照的に笑っていた。


「リゼがアイリと話せる機会が無くて困っていたわよ」

「えっ! ゴメンね、リゼ」


 アイリもリゼの姿は目にしていたが、次々と訪れ冒険者たちを無下にすることは出来なかった。


「いいえ、こちらこそ――すみません」


 他の冒険者との会話中に割り込んでしまったと、リゼは申し訳なさそうに謝る。


「いままで、いろいろと御世話になりました」


 リゼはアイリに向かい、頭を下げて感謝の言葉を口にする。

 そして、他の冒険者たちの迷惑にならないようにと簡潔に済ませようと思っていた。


「いいのよ。リゼと出会えて私も嬉しかったわ」


 頭を上げると笑顔のアイリが目に入る。

 アイリが口にした「出会えて嬉しかった」という言葉が、リゼの心に響く。

 今までの人生で、この言葉を耳にしたのは三回目だ。

 一度目は母親。

 二度目は、元父親の元で一緒に暮らしていた時、苦楽を共にしていた自分を担当していた使用人だ。

 ふと、リゼは思いだした使用人が心配になるが、今の自分ではどうすることも出来ないので、無事に過ごしていることを願った。


「ありがとうございます」


 アイリの言葉はリゼにとって、自分の存在を肯定してくれるということが嬉しかった。


「あっ、あの……これ、御世話になったお礼です」


 リゼはアイテムバッグから髪飾りを取り出して、アイリに渡そうとする。

 受け取ってもらえると思っていたリゼだったが、リゼの思いとは裏腹にアイリとレベッカが困惑の表情を浮かべた。


「リゼ……申し訳ないけど、受け取ることは出来ないの」


 アイリの言葉にリゼは驚き落ち込む。

 自分の行為がアイリにとって迷惑だったのだと感じた。


 落ち込むリゼにアイリとレベッカが理由を話し始めた。

 冒険者から受付嬢が贈り物を貰うのは、冒険者ギルドの規則で禁止となっていた。

 賄賂だと疑われる可能性があるためだ。

 クエストの成功率を上げるために、冒険者と受付嬢が組み冒険者ギルドに不利益を被ることが、過去にあったらしい。

 今では対策が講じられているため、そのようなことをしても自分たちの犯罪をさらけ出すだけになる。

 受付嬢に好意を抱く冒険者からの贈り物を防止するという意味もある。

 冒険者との関係を円滑にすることや、疑われる行為は極力避けるということもあり、冒険者と受付は一線を引いているのだった。


「まぁ、例外もあるけどね……」


 レベッカがいう例外とは、冒険者と受付嬢の恋愛だ。

 冒険者と受付嬢の恋愛は、禁断だとも言われている。

 冒険者が、その町のギルドを去るか、受付嬢がギルドを辞めるかだ。

 そして冒険者と担当受付の場合は、即座に担当から外れると共に、過去のクエストにも疑惑の目が向けられ調査される。

 それだけのリスクを負う必要があった。

 受付嬢が冒険者の担当を外れて、補充の受付嬢が来るまでの暫くの間のみ、ギルド会館以外の場所での物を贈り合うことが出来る。

 受付嬢になる時の研修で、冒険者との必要以上の接触は避けるように教えられていた。

 ギルマスや領主からの命令であれば、そちらを優先されることになる。


 レベッカは冒険者と受付嬢の間に生まれた。

 小さいころから、周囲の冒険者たちから何度も耳にしていたので、冒険者とだけは恋愛関係にならないと、心に誓っていた。


「別に賄賂って訳でも無いんだし、いいんじゃないの?」


 別の所で話を聞いていたシトルと数人の冒険者が話に入ってきた。


「俺たちがアイリちゃんに物を贈れば、賄賂や下心があったと思われても仕方がないと思うけど、リゼは別の意味で俺たち以上にアイリちゃんに世話になったようだしな」

「そうそう」

「でも……」


 規則を軽んじる発言をするシトルたちの対応にアイリは困っていた。

 周りにいる冒険者たちも、リゼがアイリに物を渡すことに対して不快感を抱く者はいない。

 冒険者とはいえ、まだ幼いリゼを温かい目で見ていた。

 自分のことで、思っていた以上に大きなことになってしまったリゼは、どうして良いのか分からなかった。


「規則は規則です。簡単には変えられません」


 受付が騒がしいので、様子を見にきたクリスティーナが現れる。

 クリスティーナが現れたことにより、今までの雰囲気が一気に変わった。

 先程まで、勢いの良かったシトルたち冒険者も黙り込んでしまった。


「リゼ。知らなかったとはいえ、規則違反をしようとしたことは見逃せません。申し訳ありませんが、私とギルマスの部屋に行ってもらいます」


 クリスティーナの言葉に、アイリとレベッカは驚き戸惑っていた。


「そんな、リゼは知らなかっただけで――」

「知らなかったと言えば、許されることでもありません」


リゼを庇おうとするアイリの言葉を遮るように、クリスティーナは厳しい口調で返した。


「ではリゼ、行きましょうか」

「……はい」


 リゼは何かしらの処罰があるのだと思っていた。

 クリスティーナの言い分も分かっている。

 規則を破れば、それなりの代償が待っている。


 リゼはクリスティーナと、ギルマスであるニコラスのいる部屋へと移動する。

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