第80話

 宿屋『兎の宿』に戻ったリゼの姿を見て、女主人のヴェロニカは驚く。


「なんだい、今日は早いね」


 ヴェロニカはリゼに気付かれないように平然を装い、声を掛けた。


「はい。とりえず、部屋で待つように言われたので――」

「部屋で?」


 リゼの返答に首を傾げるヴェロニカだったが、後で誰かがリゼを迎えに来ることは理解できた。

 ゴブリン討伐隊が戻って来たことや、町の噂で銀翼のメンバーがオーリスに来ていることも知っていたので、リゼが戻って来たことと無関係だとは思っていなかった。

 リゼも話したがらないので、深く聞く気もない。


「リゼ、体調が悪かったりしていないかい?」

「はい、大丈夫です」


 ヴェロニカは、ここ数日のリゼを見ながら、疲れが溜まっているように感じていた。

 即答するリゼにも、自分いや他人に心配を掛けたくない思いから出た言葉ではないのか? と勘繰ってしまう。


「あまり無理は――」

「ありがとうございます」


 ヴェロニカが全てを言う前に、リゼは心配してくれたことに礼を言う。

 リゼは自分の言動で、ヴェロニカに心配を掛けさせてしまったことを、心苦しく思っていた。

 自分のことで、他の誰かに負担を掛けること――リゼは、良く思っていなかった。

 誰にも迷惑かけることなく、一人で生きていくというリゼの根本にある考えだ。


「なにか食べていくかい?」

「ありがとうございます。お腹も空いていませんので……部屋に戻ります」

「リゼを訪ねて来た奴がいたら、声を掛ければいいかい?」

「はい、御手数ですが御願いします」


 リゼはヴェロニカに軽く頭を下げて、自分の部屋へと戻って行った。


 部屋に戻ったリゼは、小さくため息をつく。

 自分にとって憂鬱でしかなかったからだ。

 報酬は保証してくれると聞かされたが、報酬は当然欲しい。

 しかし、クエストを通して強くなりたいという思いもあったので、クエストを出来る限り受注したかった。

 それが討伐のクエストでなく、清掃系や採取系のクエストでもクエストを通して得られるものがあると思っていた。

 だから部屋で、じっとしているだけの、この時間がもったいないと考えていた。

 少し前までであれば、この空いている時間に保留にしていたクエストが出来たのだが……今は、そのクエストさえない。


「……暇だな」


 心の声を口にする。


(……あれ?)


 リゼは、自分の考えがおかしなことに気付く。


(クエストがなければ、何もしない? 私は、いつから……そんな考えになちゃったんだろう?)


 自主的に特訓をしたりする考えが、完全に頭から抜け落ちていた。

 クエストが無ければ、体を動かさない。

 そのことに気付いたリゼは、自分の考えを改める。

 リゼは初心に戻って、腰から小太刀を抜いて、イメージトレーニングをすることにした。

 イメージする相手はスライムだ。

 暴風団から教えてもらったことを、頭で何度も復唱して確認をしながら、小太刀を振る。

 反復練習が大事なことは分かっている。

 しかし、クエストを理由にサボっていた。

 そのことに気付かなかったことに、リゼは自分自身に憤っていた。

 冒険者として、これから生きていく。

 そんな決意でいたはずなのに、いつの間にか甘い考えを持つようになっていた。

 自分が、そんな甘い考えだったからこそ、心の隙をつかれて暴漢に襲われた。

 小太刀を振るリゼの頭は、雑念で一杯だった。

 リゼは、そんな雑念を振り払うかのように小太刀を振る。

 もう、暴風団に教えてもらったイメージ。

 そして、複雑な動きをしていたスライムの姿は無くなっていた。

 しかし、リゼは気付かない。

 自分の都合の良いようにイメージされたスライムに向かって、ただ切るだけだった。

 その後もリゼは、何度も同じことを繰り返していた――。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 兎の宿の扉が開く。

 受付嬢のレベッカが立っていた。

 ヴェロニカと娘のニコルと目が合ったので、レベッカは軽く頭を下げる。


「……リゼかい?」

「はい」


 返事をするレベッカから視線を外すことなく、ヴェロニカは叫ぶ。


「ニコル、リゼを呼んできておくれ」

「はい!」


 ニコルは持っていたトレーを厨房まで持っていくと、そのままリゼの部屋へと走っていった。


「まぁ、座りな」

「いえ……すぐに戻りますので」

「そんなこと言わずに!」


 ヴェロニカは強引にレベッカを座らせると、対面に自分も座る。


「忙しそうだね」

「はい。ゴブリン討伐から無事に戻って来られましたので、処理などが忙しいですね」

「まぁ、そうだろうね……で、暴風団の連中は?」


 レベッカは視線を落として、黙って首を横に振った。


「そうかい……いい連中だったのに、残念だ」


 ヴェロニカは暴風団を思い出すかのように、天井を見る。


「ポンセルのフォローを頼むな」

「はい……できる限りのことは、させていただきたいと思います」


 ヴェロニカはギルドに、なにかを期待して言ったわけではない。

 傷付いている冒険者に対して、ほっとけないと思った気持ちから発言したに過ぎない。


「リゼに話って……事件のことかい?」

「はい」

「だろうね……あまり、リゼに辛い記憶を思い出させるような真似は止めてくれよ」

「はい。出来る限りのことはするつもりです」

「頼んだよ」


 ヴェロニカは立ち上がると、レベッカの肩を軽く叩いて去っていった。

 レベッカは去って行くヴェロニカの後姿を見ながら、リゼが来るのを待つ。


 ――数分後、ニコルとリゼが姿を現すと、レベッカは立ち上がる。


「お待たせしました」


 リゼは待たせてしまったレベッカに頭を下げる。


「いいえ。こちらこそ、ギルドの都合で色々と申し訳御座いません」

「いえ、そんなことは――」


 リゼは言葉に詰まる。

 たしかに、ギルドの都合で振り回されているのは間違いないからだ。


「では、リゼさん。行きましょうか」

「はっ、はい‼」


 レベッカに返事をしたリゼだったが、違和感を感じた。


 ギルドまでの道中、リゼから話し掛けることもないので、静かに移動していく。

 町は、宿に戻って来た時よりも騒がしくなっていた。

 リゼの気持ちは、町の人たちとは対照的だった――。


 元々、レベッカもアイリほど、話すタイプでない。

 少しだけだが気まずい雰囲気のまま、黙々と足だけが進んでいく。

 レベッカも、受付長のクリスティーナの言葉が頭から離れなかった。

 クリスティーナから注意されたことで、必要以上にリゼのことを意識していた。

 たしかに……リゼを冒険者というよりも、可哀そうな孤児という意識があり、知らない間に接していたのかも知れないと思い返していたからだ。


「あの~」


 リゼは勇気を振り絞って、思い切ってレベッカに話し掛けた。


「はい、なんですか?」

「……その、レベッカさんは私が、どうして呼ばれたのか知っているんですよね?」

「詳しくは知らないですね」


 レベッカの態度が今までと違うことに、リゼは薄々気付く。


(私が気付いていないだけで、もしかして……レベッカさんの気分を害するようなことをしたのかな?)


 リゼはレベッカと接した記憶を思い返す。

 しかし、リゼに心当たりが全くない。

 一方のレベッカも、今までと露骨に態度を変えるとリゼが不安になると分かっていたが、上手に切り替えることが出来ない。

 自分でもリゼとの接し方が、ぎこちないことに気付いていた――が、どのように態度を変えたらしいのか分からずにいた。

 それもあり、いつも以上に口数が少なくなる。

 考えている顔がリゼには、怒っているように見えていることにも気づいていない。

 リゼは会話が続かなかったので、それ以上のことを聞くこともなかった。

 そして、無言のまま歩き続けて、ギルド会館が近づくにつれて人が多くなっている。

 人の間をすり抜けるようにレベッカの後を付いて、ギルド会館に到着した。

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