第45話

「お疲れ様でした」


 スライムの討伐クエスト達成したリゼに、アイリが優しく話し掛けた。


「ありがとうございます」

「……浮かない顔だけど、何かあった?」

「いいえ、なんでもありません」


 リゼは「ポイズンスライムと戦った」とは言えなかったからだ。

 しかも落ち込んでいる理由が、討伐出来なかったとは……。


「リゼちゃん。ポイズンスライムと戦ったんでしょう」

「えっ!」

「その表情は当たりのようね」

「……すいません」

「まぁ、無事ならいいよ。ただし、本当に危険だと思ったら、迷わず逃げてね」

「はい……」

「約束だからね!」

「はい」


 アイリはリゼがポイズンスライムか、アシッドスライムと戦うだろうと思っていた。

 スライム討伐をした冒険者の殆どは、自分の力を過剰に評価して、より上位の魔物を倒そうとする傾向が強いからだ。

 そもそも、スライムが弱いと思われているのは、熟練冒険者たちなら簡単に倒せるからだ。

 魔物討伐もろくにしたことのない冒険者であれば、決して弱い魔物ではない。

 何年かに一度だが、ポイズンスライムやアシッドスライムを討伐をしようとして、大怪我をする冒険者がいるし、討伐実習を行った学習院の生徒たちでも、大事な子供が怪我をしたと騒ぎ立てる親がいるので、目の届く範囲での安全な討伐しかしない。

 特に孤児部屋出身者は、より強くなりたいと思う気持ちが人一倍あるから、無茶な討伐をする傾向が強い。


 本来であれば、冒険者を管理するギルド職員のアイリからすれば、きつく叱るところだ。

 しかし、落ち込んでいるリゼを目の前に、アイリは厳しい言葉でなく、優しい言葉で注意をした。

 リゼであれば、分かってくれると信じていたからだ。


「引き続き、クエストを受注するの?」

「はい、そのつもりです」

「そう、頑張ってね」

「ありがとうございます」


 アイリに頭を下げて、リゼはクエストボードの前に走った。


 リゼはクエストボードを見ながら、アイリに叱られると思っていたので、少しだけ安心していた。

 しかし、アイリが悲しそうな目をしていたことが、頭から離れなかった。

 自分が死んでも悲しんでくれるのは誰もいないと思っている。

 いや、一人だけ。元両親の所にいる自分の担当使用人だ。

 しかし、彼女とも連絡を取ることは、もうない。

 リゼは改めて、自分が死んだら……と考える。

 もしかしたら、この街でかかわった人たちは悲しんでくれるのだろうか?

 そもそも、死と隣り合わせの冒険者なのだから、悲しむこと自体が間違いなのだろうか?

 リゼは頭の中で、色々なことを考えていた。


 そんなリゼの様子を受付からアイリは見ていた。

 強く叱ったつもりは無いが、もしかしたらリゼが落ち込んでいるのでは? と思ったからだ。


「冒険者とはいえ、まだ小さい女の子なんだよね……」


 無意識に独り言を口にする。

 決してリゼを、冒険者として見ていないということではない。

 心情的にどうしても割り切れないだけだ。


「なにをしんみりした顔をしているのよ。さぼっていないで、仕事してよ」

「あっ、ごめん」


 アイリはレベッカに謝ると、手元の書類に目を通し始めた。


「又、リゼちゃん?」

「……うん」

「前も言ったけど、深入りしすぎると……」

「うん、分かっている」


 アイリはレベッカの言葉を遮るように話した。

 レベッカに言われなくても、自分でも自覚があったからだ。


「心配してくれてありがとうね」

「まぁ、親友だからね」


 レベッカは笑う。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 夕刻。

 リゼはクエストを終えて、兎の宿へと足を進める。

 頭の中は、ポイズンスライムのことで一杯だった。

 あの時こうすればなど、考えてもきりがない。

 初めて魔物討伐をした感動よりも、ポイズンスライムを倒せなかった後悔の方が大きい。

 その気持ちにリゼは気付くことなく、ポイズンスライムの攻略を考えていた。


「よっ、リゼ!」


 名前を呼ばれた方を見ると、冒険者のシトルがいた。

 リゼはシトルが苦手だった。

 人見知りの自分と違い、遠慮なく話し掛けてきて失礼なことを平気で言う。

 よく、受付嬢のアイリやレベッカからも、冷やかな目で見られている。


「難しい顔してどうした? 悩みなら冒険者の俺が聞いてやるぞ?」

「……大丈夫です」

「またまた、遠慮せずに話せよ、聞いてやるから」


 リゼはシトルのこういうところが嫌いだった。


「本当に大丈夫です。別に悩んでいませんから」

「本当か? ヒック‼」

「……」


 シトルは、にやけながらリゼの顔を見る。シトルの息からアルコール臭がする。既にどこかで吞んでいたようだ。

 酔っ払い。元父親も、気に入らないことがあればエールを呑み、何かと理由をつけて自分や使用人に暴力を振るっていた。

 大勢で呑んでいるのを見ている分には、自分に被害が無いので楽だった。

 しかし対面になると、どうしても元父親のことを思い出してしまう。


「んっ、どうした?」


 シトルはリゼのことは、お構いなしに話し掛けてくる。

 リゼは、もう逃げるしか無いと思い、全力で逃げることを決意した。


「すっ、すいません!」

「おっ、おい!」


 リゼは早口でシトルに謝ると、その場から一目散に逃げ出す。

 呆気にとられたシトルは、リゼの後ろ姿を呆然と見ていた。


 当然、その様子は街の人々に見られていた。

 日頃の行いや、状況的にも誰もがシトルのせいで、リゼが逃げ出したのだと思った。


 シトルから逃げ出したリゼは、勢いよく兎の宿へと入る。

 あまりの勢いに、その場にいた者たちがリゼの方へ一斉に顔を向けた。


「何かあったのかい?」


 異変を感じたヴェロニカが、リゼの所に駆け寄り声を掛ける。


「いっ、いえ、何でもありません。驚かせて、すいませんでした」


 呼吸が整わない状態で、リゼはヴェロニカの問いに答えた。


「そうかい」


 ヴェロニカも深くは追求せずに、反転して受付へと戻って行く。

 リゼは呼吸を整えながら、ヴェロニカの後を追うように受付へと歩く。

 そして、今日のクエスト報酬から立て替えて貰った分を返済する。

 ヴェロニカは何も言わずに、リゼから手渡された銀貨を受け取った。

 受付に居たニコルにも頭を下げて、部屋へと戻ろうとすると食事をしていた冒険者の話が耳に入る。


「北にある山の麓で、新しい迷宮が発見されたらしいぞ」

「本当か! 規模にもよるがお宝が沢山あるんだろうな」

「だろうな。万年ランクBの俺たちじゃ、入ることも出来ないだろうな」

「まぁ、そうだろうな。新しい迷宮であれば、危険度も未知だからな。死にに行くようなものだろう」

「早く、大手のクランが攻略して情報を展開してくれれば、俺たちも入れるのにな」

「本当だな」


 リゼは男たちが話をしていた『迷宮』という言葉に興味を示す。

 迷宮であれば、魔物との遭遇も多い。その分、危険度は高くなるが討伐すれば素材などの売却も出来る。

 まずはランクBそして、迷宮探索。

 リゼは新たな目標を立てる。

 しかし、リゼは迷宮について、あまりにも知識が無かった。

 迷宮には単独で入ることは出来ない。

 最低でも、三人のパーティーが必要になる。

 これは、冒険者を死なせないギルドの方針だ。

 単独での魔物討伐を主にしているリゼは一生、迷宮に入ることが出来ないということを、この時点でのリゼは知らなかった。

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