第40話

「お忙しい中、ありがとうございました」


 ゴードンとラッセルに礼を言う。


「刃物研ぎのクエストの時は、俺の工房を選んでくれよな」

「はい」


 生産職のクエストは、工房の責任者の承諾をもらえれば、どの工房でも良い。

 冒険者と関係が出来る事は、工房にとっても良い事だからだ。


 リゼはもう一度、礼を言ってゴードンの工房を後にする。



「すいません、私の用事が長引いてしまって。ヴェロニカさんの買出しのお手伝いしますので、今からでも間に合いますか?」

「そうだね……少しだけ手伝って貰おうかね」

「はい」


 ヴェロニカは、何を買おうか悩んでいた。

 実際の買出しは、いつも旦那で料理人でもあるハンネルの仕事だからだ。


(適当に買って行くか)


 ヴェロニカはリゼを連れて、適当に買い物をして、兎の宿へと戻った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 朝、目覚めると目の前に『デイリークエスト発生。達成条件:合計一キロの全力疾走』『受注しますか?』と表示される。

 昨日までの表示と違う。

 クエスト内容を確認した上で、受注するかの選択が出来る。

 リゼは、昨日の選択は間違いでは無かったと確信しながら、デイリークエストを受注する。


 身支度をして、貴重品を持ったかの確認をしてから部屋を出て施錠する。


「おはようございます」


 受付に居たニコルとヴェロニカに挨拶をする。


「おはようございます」

「うん、おはよう」


 ニコルとは対照的にヴェロニカは眠そうだ。

 二十四時間年中無休なのに、家族三人で経営しているのであれば、いつ休んでいるのだろう? と、リゼは疑問に感じた。

 他の宿屋を知らない為、宿屋の経営は大変なんだとリゼは思う。

 兎の宿を出るとリゼは、ギルド会館まで全力疾走する。

 リゼが走り始めると、目の前に表示が現れて数字が徐々に減っていく。

 疲れて止まると、表示も消えた。

 全力疾走した時にだけ、表示が現れるようだ。


 ギルド会館に着くと、リゼは皆に挨拶をする。

 クエストボードから、生産者クエストの『刃物研ぎ』を剥がして、受付に持って行く。


「おはよう、リゼちゃん」

「おはようございます」


 リゼは自然とアイリの所に行っていた。


「ところで、職人街の場所は分かる?」

「はい」

「そう。気に入った工房で、この紙を工房の責任者に見せて、承諾を貰えればその工房でクエストを実行出来るからね」

「はい、分かりました」

「頑張ってね」

「ありがとうございます」


 リゼはギルド会館を出ると、目の前に『ノーマルクエスト発生。達成条件:懸垂百回』『期限:三時間』と表示された。


(三時間か……刃物研ぎの前に終わらせれば、問題無いかな?)


 リゼはノーマルクエストを受注する。


(懸垂出来る場所は……あそこかな)


 職人街までの道のりを頭に浮かべながら、懸垂が出来る場所まで全力疾走で向う。



 朝から全力で走っているリゼ。

 街の人達は「何事か!」と思いながら、リゼを見ていた。


(着いた、ここだ)


 リゼが懸垂を出来る場所に選んだのは、街の一角にある樹が生い茂っている場所だった。

 一度、この場所で枝に手を掛けて、懸垂している人を見かけたからだ。

 リゼは懸垂しようとしたが、誤算があった。

 身長が低すぎて枝まで、手が届かなかった。

 慌てたリゼは、周囲を見渡す。

 足場になる物が無いかを探したが、見当たらない。 

 しかし、自分でも手が届く高さに、体重を支えられるような枝も無い。


 リゼは木を上る事にした。

 しかし、木登り等したことが無いリゼは、どうやって登ったらよいか分からず、木に指を引っ掛けたり、腕を回したりと悪戦苦闘する。

 当然、簡単に上る事が出来ない。


「何をしているんだ?」


 背後から声を掛けられて驚く。

 振り返ると、男性が立っていた。

 リゼは自分の行動を見られていたかと思うと、恥ずかしくて逃げ出したい気持ちだった。

 下を向いたまま、何も言葉を発しないリゼ。

 男性との間に気まずい空気が流れる。


「その……俺は毎朝夕と、その木で懸垂をしているのんだが、良ければ少しだけ譲ってくれないか?」


 リゼは恥ずかしさのせいで、男性の顔をまともに見る事も出来なかった。


「どうぞ」


 男性に一言だけ言うと、その場から一目散に逃げ出した。

 必死に走った為、気付くと職人街の近くまで来ていた。

 リゼは悩んだ。

 先にノーマルクエストを達成するつもりだったからだ。

 リゼはノーマルクエストの残り時間を確認する。

 時間に余裕がある事が分かり、刃物研ぎを先に達成する事に変更した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 刃物研ぎは思っていたよりも、時間が掛かってしまった。

 作業を分かりやすく説明してくれていたので、リゼもそれなりに研ぐ事が出来るようになった。

 あとは数をこなすだけだと言われる。

 早々に、証明書を貰って、懸垂が出来る場所が無いかを思い出す。

 しかし、思い当たる場所が無い。

 とりあえず、リゼは街中を走る。

 ……残り時間は、一時間。


 リゼは未達成による罰則が頭を過ぎり、焦っていた。


(あれだ!)


 走るリゼの目に、小さな橋が目に入る。

 橋から川までの高さは、約三メートル程だ。

 人通りも少ない。

 恥ずかしいと言っている状況でもないので、すぐに橋の柵に手を掛けて懸垂を始める。

 しかし、一気に百回出来る程の体力は無い。

 なにより先程迄、刃物研ぎをしていたので握力も消耗している。

 何とか、四十回まで出来る事が出来た。


(残り六十回……)


 リゼは、小刻みに震える両手を見ながら思った。

 その後も、リゼは懸垂と休憩を繰り返して、数を増やしていく。


 しかし、リゼの懸垂している姿は、街の中では異様な光景なので、通行人達は立ち止まり、リゼを見ていた。

 これでリゼは今迄以上に、噂の冒険者になった事をリゼは知らない。


 残り時間五分で、クエストを達成した。

 橋から立ち去るリゼを不思議そうに見る人々にも、披露しているリゼは気付かずに、ギルド会館へと足を進めていた。


 歩きながらリゼは、何度も懐に入れたクエスト達成の証明書を確認していた。


(この握力だと、次のクエストは出来ないかも……)


 宿代に靴代、防具代とリゼは稼ぐ必要があった。

 しかし、クエスト報酬が多く貰える魔物討伐は、規定値に達成していない為、受注する事は出来ないでいた。

 リゼはクエストボードに貼ってあったクエストを思い出す。

 今の自分に出来るクエストを……。


 思い出せるのは、採取系のクエストだ。

 ランクDで『ケアリル草の採取』のクエストを経験積みだ。

 難易度的には、それ以上だろう。

 清掃系のクエストがあったか記憶にないが、あったとしても握力が無いので出来るか不安でいた。


 考えながら歩いていると、ギルド会館に着いた。

 リゼは受付に証明書を出して、クエスト達成の報酬も受け取る。

 そして、そのままクエストボードの前まで移動して、ランクCのクエスト内容を見ていた。

 やはり、ランクCには清掃系のクエストは無かった。


(これかな……)


 リゼが手に取ったクエストは『地下水道の害虫駆除(小)』だった。

 受付にはレベッカが居たので、レベッカにクエストの紙を差し出す。


「これね……リゼちゃん、大丈夫?」

「何がですか?」


 レベッカは、クエストの詳細内容を説明する。

 害虫とはネズミになり、数は十匹。

 地下水道の入り口付近に居るネズミの駆除だけで良い。

 奥まで行くと、魔物等が生息している可能性があるので、壁に記されている赤い印から奥には行かないようにと、注意事項を告げられた。


「それと、赤い印の前でも魔物と出くわしたら、絶対に逃げる事。戦う事を考えちゃ駄目よ」

「はい、分かりました」

「じゃあ、罠を渡すから、ちょっと待っていてね」

「はい」


 レベッカが居なくなると、街の中にも魔物が存在しているのだと、リゼは思った。

 魔物は街の外にしかいないと、勝手に決めていたからだ。

 当然、魔物にも幾つも種族があり、大きさも異なるので、人間に害が少ない魔物は、街にも居るのだろうと考えを改めた。

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