第3話 GAME 近未来3部作 <序章>

 ――2036年。

 大手ゲームメーカーのエレクトロシティ社は社運をかけ、五感体験型バーチャルゲーム「FIVE SENSE」を世界に向け発表する。


 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、感覚。


 五感全てでプレイできる新感覚・近未来ゲームに世界中の人々は魅了され、「FIVE SENSE」は瞬く間に世界各国で歴代の大ヒット商品になった。

 子どもだけでなく、大人や年寄りまでもがゲームに熱中し、世界は異様な空気に包まれてゆく……


 そしてゆるやかに、世界の崩壊は始まった。

 “地図に書いていてあるはずの町が見当たらない。振り返るとそこに見えていた景色が消えた。この世界、僕が最後で最後、最後だ”



 仕事から帰り、マンションの自室の鍵を開け、中へと入る。電気をつけ、ベッドを発見すると、鉛のように重たくなった身体をそのまま重力任せにベッドに預ける。ズシッと鈍い音が静かな部屋に響く。顔を枕に押し当てて、今日一日分の溜め息をつく。枕は疲れ果てた老人のような匂いがする。俺ももう歳なのか、と少し凹む。


 残った僅かな体力を使って身体を動かす。仰向きになり、きつく縛ったネクタイを緩める。床に無造作に転がっているリモコンに手を伸ばし、宙にふわふわと浮かぶテレビに向かってスイッチを押す。


 リモコンを床に放り投げ、無心で白い天井を眺める。


 今日は本当に疲れた。

 二十五年間、何だかんだこうやって生きてきたけど、今日はその中でも特に散々な一日だったんじゃないかと心から思う。とにかくもうこれ以上動けない。


 低い唸り声を上げながら両手で顔を覆う。朝剃り忘れた無精ひげがちくりと痛む。おまけに手も少し匂う。けど、そんなことは正直どうでも良い。疲れ果てた自分を覆い隠すのは、このちっぽけな俺の両手で十分だった。このどうしようもない現実世界から俺を守ってくれる。一時的にではあるけれど俺を守ってくれる。本当にそれだけで十分だった。

 

 「……えぇ今、世界各国で人々のゲーム依存が大変深刻な社会問題となっています。これは先週、大手ゲームメーカーのエレクトロシティ社から発売された五感体験型バーチャルゲーム『FIVE SENSE』によるもので、現在世界の約75%もの人々がこのゲームを購入。ゲームをプレイしており、このうち少なくとも約半数以上の人々が深刻なゲーム依存症を抱えていると言われ、日本の小学、中学、高校、大学などでは相次いで学校欠席者が増加しています。また、大人までもが、会社を休んでこのゲームをプレイするという、大変深刻な事態が起きており、一部団体などが『FIVE SENSE』を発売したエレクトロシティ社に対して抗議やデモを行っており、今後、日本政府がこの事態に対し、一体どのような対策をとるのか、また、ゲーム依存者に対してどのような措置をとっていくのか、非常に注目が高まっています。また、エレクトロシティ社本社があるアメリカ、ニューヨークでは……」


 「FIVE SENSEか……」


 テレビから聞こえてくるその言葉に嫌悪感を覚えた。思わず舌打ちする。もういい加減にしてくれ。


 ――俺は昔からゲームが嫌いだ。


 あのピコピコ音が、あの騒がしいゲーム音が。何よりああやって固定されたゲームの世界が、世界観が、俺は昔から大嫌いだった。


 周りがゲームを買い漁っていた頃、ゲームを買わなかったのは俺一人だけだった。どんなに進められても頑なに拒み続けてきた。仲間外れにされても全然構いやしなかった。とにかく俺は必死にゲームを避け続けて生きてきた。

 当然ながら「FIVE SENSE」にも興味はない。逆に世界中の人々が何故そこまで熱中できるのか、本当に理解できないし、意味が分からない。


 しかしその反面、俺のこのゲーム嫌いの性格は、日常生活にじわじわと悪影響を与え始めていた。最近では、あんなに仲が良かったはずの会社の同僚とも全く話が合わなくなり、会社に居るほとんどの人間、社長、上司、同僚、部下、誰もが「FIVE SENSE」「FIVE SENSE」と、まるで何か呪文でも唱えるかのようにその言葉を発し続け、社内で唯一、「FIVE SENSE」に興味がない俺だけが、職場に一人残された。帰りの電車の中でもそう。タクシーのおじさんもそう。誰もが口にする呪文のような言葉。「FIVE SENSE」


 本当に何が「FIVE SENSE」だ。


 リビングに向かって寝返りをうつ。

 ぼんやりテレビを眺める。世界中の人々の深刻なゲーム依存を報道するニュース番組。自然と笑みがこぼれる。いっそこのまま世界中全ての人々がゲーム依存者になって、現実世界から消えてしまえばいいんだ。なんてそんなことを思いながら、呟く。


 「本当にみんなどっか行っちまえ」


 そんなことを思っていたらいつの間にかニュース番組は終わって、代わりにテレビ画面に突如、若い女性三人組の姿が映る。そして、嫌と言うほど聞き慣れた音楽が部屋中を包み込み始める。例の五感体験型バーチャルゲーム、「FIVE SENSE」のテレビCMが始まったのだ。


 「 愛したいの ギュッとしてるの

   采配は君だけ 選んで 単純に

   感情の方向は


   Play the GAME, Please again,

   Try the new world,

   Let's play the GAME 」


 低い重低音。まるで神経をかき乱すかのような轟音エレキベースに、不穏なギターカッティング。曲はどんどんとその攻撃性を増してゆく。


 そして、テレビに映る女性三人組の甘い歌声が、透き通るようなその声が、このリズム、この轟音にうまく重なり合った時、曲はその神秘性を増し、やがて多くの人々を魅了する。最後に、彼女たちは言う。


 「貴方は、もうこのゲームから抜け出せない。FIVE SENSE。貴方だけの世界が、きっとそこにあるはず」



 ――翌朝。


 普段のように朝ご飯を軽くトーストで済ませ、いつもと変わらぬ時刻に部屋を出る。職場へは電車で一本。片道三十分とかからない。通勤客でごったがえす街に、同じく通勤客でごったがえす電車。人という人に揉まれ、社会という歯車に押しつぶされて塵になってしまうような、そんな思いで出勤するいつもの朝。


 ……だったのだが。


 「えっ……」


 今朝は、明らかに何かが違った。


 「コイツらどこから湧いて出てくるんだよ……」と、朝からいつも俺を悩ます人混みが、何故か今朝はどこにも見当たらない。町は死んだように静かだった。

 まるで自分だけが置いていかれたような気分。じわりじわりと孤独感が心臓を締め付けていく。状況が全然把握できず、その場から動けなくなってしまう。

 駅前公園のうるさい鳥の鳴き声も、鳴り続ける車のクラクションも、陸橋を渡る長い電車の騒音も、何もかも消えて、街は怖いほどの静寂に包まれていた。世界から音が消えたんじゃないか、そんな意味不明な思考が芽生える程に、街は無音だった。

この世界で、生きて呼吸をしているのは今ここに居る自分一人だけ。そんな気もした。


 ――何がどうなってんだ。

 頬を冷や汗が伝う。


 本当に一体何がどうなってんだ……。

 気が動転し始める。冷静な状況判断はできそうにない。けど、何もしない訳にもいかない。とりあえず歩いて辺り一帯を調べなくては。


 何とか絞り出した案を実行するために、ゆっくり、ゆっくりと一歩一歩、おぼつかない足取りで歩き始める。が、前も何も見ないで歩き始めた俺は駅前駐輪場に停めてあった自転車におもむろに正面からぶつかって、そのまま自転車と共に激しく地面に倒れ込んでしまう。視界がぐるりと回転し、次の瞬間にはけたたましい金属音と共に全身に激しい激痛が走る。


 「――痛っ」


 土埃がたち、思わずむせる。激しく咳き込み、俺は死に物狂いでポケットからハンカチを取り出し口にあてる。よく見ると手には擦り傷が出来ていて、出血しているようだった。水色のハンカチがじわじわと赤黒く血の色で染まっていく。ズボンにも目をやると、案の定、膝の部分が破れてそこからも血が滲み出ていた。

 この間買ったばかりだってのに、マジかよ……。


 ふざけんなよ。

 たまらずに深い溜め息をつく。徐々に腹が立ってきて、ありったけの力で自転車を殴る。ガシャンという金属音が駅前広場に響く。遠くそびえ立つビル群にまで音が吸い込まれていく。


 ふいにやるせなくなり、もう何も考えないでおこうと思った。きっと俺の想いが、願いが叶ったんだ。

 本当に世界中の人々はゲームの世界に吸い込まれてしまって、現実世界から居なくなってしまったんだと、消失してしまったんだと、そんなことを思った。


 「ざまぁみろ」

 

 

 数十分後、俺は重い身体を起き上がらせると、ようやく行動を開始した。まず歩いた。とにかく歩いた。街という街を、どこまでも。いつも行くお店、立ち寄る喫茶店、休憩場所の公園、暇つぶしで行く書店。

 だが、結局のところ収穫はゼロだった。人が居ない。その事実を変えるような発見は出来なかった。


 収穫も発見も何もないまま、とぼとぼと宛もなく歩きさ迷い続けた俺は、気が付けば駅に辿り着いていた。多くの人が行き交う場所といえばやはり駅。少なからずとも誰か一人ぐらいは居るだろうと最後の望みをかけ、ここへやって来たものの、やはり人影を見つけることが出来ず、俺はさらに焦り始めていた。

 髪をかきむしり、深い溜め息をつき、うなだれる。思考回路も、身体も、精神状態もそろそろ限界だった。人が居ないことが怖いんじゃない。人や生き物、とにかくありとあらゆるものが消えてしまったこの状況が掴めないこと。理解し難いこと。それが何よりの苦痛だった。何よりの恐怖だった。

 「人に恐怖を植え付けるのは、理解し難い出来事」いつの日かテレビでコメンテーターが言っていた言葉が脳頭に浮かぶ。本当にまさにその通りだ。そして思う、


 諦めてマンションの自室へ帰ろう。


 これはもしかしたら、夢なのかもしれない。

 ただ単に俺が変にリアルな夢を見ているだけで、今すぐにでも目を覚ませば、解決できる話なのかもしれない。


 俺は勝手にそう自分に言い聞かせた。もう半分開き直っていた。胸ポケットから煙草とライターを取り出して、煙草に火をつける。少しばかり、苦い現実を楽しむ。

 煙を吐く。無人になった改札機を通り過ぎて階段を上る。線路でも歩いて帰ろうか、なんてことを考えていた。もういっそのこと、この意味不明な世界を楽しんでやろうと思った。


 ――こんなの開き直ったもん勝ちだ。


 階段を登りきると、そこには無人のホームが広がっていた。吹き抜ける風の音、自分の靴の音。たった二つの音が広いホームを満たしていた。


 ベンチではなく、ホームの白線部分に腰を下ろす。小さくなった煙草をホームにじりじりと押し当てて、火を消す。足りない。普段立て続けに二本も吸うことなんてないのだが、吸わずにはいられなかった。無性に吸った。考え事をしながら吸う煙草の寿命は早い。特に今日は早い。気が付けばあっという間に二本目の煙草もなくなってしまった。さらにもう一本と手を突っ込むが、さっきのが最後の一本だったようだ。空になった煙草の箱をくしゃくしゃにして線路に向かって投げる。

 立ち上がり、ズボンの埃を手で払う。と次の瞬間、突如、俺の目の前を物凄い風が横切る。


「っ?!」


 あまりにも突然の出来事に俺は驚き、よろめき、体のバランスを失う。一体何が起こったのか。一瞬理解出来なかったが、目の前をすり抜けて行く鉄の塊を見て、ようやく気付く。俺の目の前を横切ったのは、紛れもなく電車だ。


 電車にはじかれた、くしゃくしゃに丸めた煙草の箱が宙高く舞いがってゆく。同時に全身の力が抜ける。俺はそのまま後ろに尻餅をつくような形でホームに崩れ落ちた。なんだ。電車、動いてんじゃねーか……。ゆっくりと速度を落とし、ホームを滑る電車。そんな電車を眺めながら思わず笑みがこぼれる。

 動いてるってことは人が居るってこと。つまり先頭車両か最後尾に行けば運転手か車掌には会えるってこと。とにかく会って話をしよう。今ここで何が起きているのか聞こう。そう思った。


 やがて重い金属音を響かせて止まった電車に、俺は何のためらいもなく乗り込んだ。やっと誰かに会える、そう思っただけで心が弾んだ。

 

 

 電車に乗った俺は愕然としていた。


 車内には誰も人が乗っていなかった。まるで間違って回送電車に乗り込んでしまったかのように、しんと静まり返る車内。アナウンスもなければ、発車ベルなども鳴らない。駅を満たしているのは、風の音と電車のエンジン音だけだった。

 けれどこれも、半分想定内といえば想定内だった。駅に一人も人が居ないというのに、電車には人が乗っているというのも変な話だからだ。けれど、電車がこうやって動いている限り、少なくとも車掌と運転手は居るに違いない、そう俺は踏んでいた。だからこそ乗客が居ないことについてはそれほどショックは受けなかった。


 ――車掌か運転手に会えればそれでいい。

 やがて何事もないかのようにドアが閉まって、電車はゆっくりと走り出す。誰をどこへ運ぶのかさえも分からない無人電車。そんな車内を、俺はとぼとぼと歩き始める。まずは最後尾へ行って車掌に会わなければ、話を聞かなければ、早く真相を聞かなければ、と。


 だが、最後尾に辿り着いた俺はさらに落胆することになる。車掌の姿はなく、自分が乗った車両から最後尾まで人に出会うこともなく、結局ここでも人に出会うことが出来なかったからだ。

 想定外の出来事に、俺はその場に崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまう。足が震える。今度ばかりはショックが大きい。やばい、立ち上がれそうにもない。


 「あ、あの……」


 突如背後から若い女性の声が響いた。

 ひっと思わず驚き慌てて後ろを振り向くと、そこには若い女性が一人立っていた。

車掌、ではなさそうだ。けれど「人」で間違いはなかった。一気に緊張がほぐれる。深い溜め息がもれ、さらにその場から動けなくなってしまう。人だ、ようやく人に出会えた……と。


 ――あれ、でもこの人どこから?


 「どうかされましたか?」

 小さな、か細い声で女性は言う。

 「あ、いえ、その、大丈夫です、すみません」精一杯の声を振り絞って女性の問いに答える。そして問う、

 「あの、他のみんなはどこへ?」


 「ほかのみんな?」

 首を傾げる女性。「あっ、えっと、きっと私たちだけですよ、ここに居るの」

 「は?」


 「FIVE SENSE」と女性は言って、静かに近くの座席に腰をおろす。俺の瞳を見つめ、「知らなかったんですか?」とはにかむ。


 「え?」

 「みーんな家の中ですよ、きっと」

 「家の、中?」

 「そ、私とあなた以外はね」

 「いや、そんな訳……」

 「あなたもゲーム、嫌いなんでしょ?」


 ポーチから本を取り出し女性は続ける。


 「私も嫌いなの、ゲーム。これがあれば十分だし」

 栞を外し女性は本に目を落とす。


 「いやいや、そんな訳……」

 「世界中のみーんな非現実世界に閉じこもっちゃった、とか? 詳しくは知らないけど、今朝から突然に」

 ぺらぺら、と、本のページをめくる音が静かな車内に響く。「私も今朝起きて驚いちゃいました。最初は焦ったけど、これはこれでいいんじゃないかなって」


 「これでいいって、そんな……」徐々に安心が不安へと変わり始める。

 「それって本当なんですか?」

 「たぶん、ね」

 「たぶんって……」

 「まぁでも確実に言えるのは、あなたも私もゲームが嫌い。もちろん『FIVE SENSE』も嫌い。だからここに居る。違います?」



 ――そして、

 その翌日も、その次の日も。またその次の日も、世界に人々の姿は無かった。

 まるで世界が本当に命尽きてしまったかのように、街はひっそりと静まり返り、信号機はひとり勝手に点滅を繰り返し、そして空はただいつものように蒼く遠く、静かに雲は流れ、ただ刻々と時間だけが流れていった。


 俺はというと、あの日、電車の中で偶然出会った彼女、有香とそのほとんどの時間を共にしていた。

 世界から人々が消えた理由はその後も分からなかったが、俺は彼女の言葉を信じた。意味もなく無人電車に乗って、どこか遠くへと旅に出てみたり、近くの商店街を二人で一緒に歩いてみたり、近くの公園で一日中読書をしてみたりと、俺たちは静かで穏やかな時間をそれから長い間過ごした。


 そして、いつしか俺はそんな彼女のことが、有香のことが好きになった。ふと気が付いた時には、俺は有香のことが好きだった。

 有香も、「嬉しい」と俺にとびきりの笑顔をくれた。二人だけの世界で、二人が恋に落ちるのに、そんなに時間はかからなかった。

 これからは有香と二人で、世界の片隅で、身を寄せ合って生きていくんだ。いつしか俺はそんなことを思うようになっていった。有香が居ればそれでいい。他には何もいらない。有香さえいれば、何も怖いものなんてない。そんな風に思っていた。


 ――だが、ある日のこと。

 有香は突然「話があるの」と、俺をとある海岸へと呼び出した。いつもは俺が有香を引っ張り出してばっかりだったから、驚いた。と同時に、不安になった。

 「話があるの」と言われて、少し、俺は怯えていた。別れ話か、それとも今後の行方か。どちらにせよ、俺は怖かった。有香が何を話すのか、何を話したがっているのか、怖かったし、考えたくもなかった。でも、


 「話って、なに」


 俺は無理やり笑って有香に質問を投げかけた。

 冷たい風。寄せてはかえす波の音。磯の香り。長い有香の髪がそっと風になびき、時々ふいに彼女のつける香水の甘い香りがする。


 「ねえ」


 「ん?」


 「えっと……その、大翔(ひろと)、『GAME』って曲、知ってる?」

 彼女は俺の瞳を見つめ問う。「Perfumeの」


 「え、あぁ、なんだそんなことか、知ってるよ。例の、『FIVE SENSE』のテーマ曲だろ? テレビCMで流れてたやつ」

 「そうそう、それ」

 「でもそれがどうかした?」


 「歌詞」


 「え? 歌詞?」

 「そう、歌の、歌詞……」

 「うん、歌の歌詞が、どうかした?」


 「歌の歌詞の意味、大翔知ってる?」


 有香はそう言うと、何故か急に俺を抱き寄せた。

オレンジ色に染まる浜辺。それはあまりにもとっさの出来事だったから、俺は何も口にすることが出来なかった。そして有香は続けた。


 「“愛したいの。ギュッとしてるの。采配は君だけ” あなたを愛してる。だからあなたを抱きしめる。全てはあなたの思うがまま」

 水平線の向こう側に真っ赤な夕日が落ちる。夕闇の紫色が、そっと辺りを包み込む。


 「“選んで。単純に。感情の方向は” ゲームの世界、つまり仮想世界の中に感情を持っていくか、それとも現実世界に感情を持っていくかは、あなたが好きなように決めればいい」


 「えっ……」待て待て、それって。


 「“壊したいの” この感情を、いっそのこと壊してしまいたい」

 有香がさらにぎゅうと強く、俺を抱きしめる。肩が震えている。泣いているのかもしれない。


 「“知ってるの。最後には、君だけ” 私は知ってる。いくらゲームをプレイしても、最後に残るモノ、実体は、ゲームプレイヤーであるあなただけだってこと」


 そんな、まさか……それじゃ俺は、

 「今まで、ずっと黙っててごめん、大翔……」


 有香は、さらに強く俺のことを抱きしめた。有香の震える肩。そして、有香の小さな小さな泣き声。

 有香は俺の胸に顔を押し当て泣いた。

 俺の服を強く握り締め、「ずっとずっと言えなかったけど、いつか言わなきゃって」声を絞り出すように言う。


 「……」


 「そう……。ここは現実世界なんかじゃない。ここはゲームの中の世界。人間が作り出した仮想世界の中なの……」


 ……そんな、嘘だろ。


 「大翔はゲームが嫌いって言ってたけど、でも実は気付かぬうちに、無意識的に大翔も『FIVE SENSE』を購入してたの。そして大翔は今、その『FIVE SENSE』をプレイしているゲームプレイヤーであって、同時にこの世界の創世者。だから大翔には、自分の願望を叶えるチカラがある。ゲーム、ゲームと騒ぐ人達ともう関わりたくない。もうそんな人達とは一切関わりを持ちたくない。そう思った。だからこの世界が誕生した」


 ……いや、違う、そんな。


 「あの日、大翔は電車に乗りたいと思った。だから駅に電車がやって来た。そして、あまりの孤独に耐えかねた大翔は、もう一人の人間の存在を求めた。だから、大翔の前に私が現れた」


 「ねぇ、大翔、こっち向いて」有香はそっと俺の瞳を見つめる。「“選んで。判断は”」有香の目と、俺の目が合う。


 「このゲームを続けるのも、止めるのも、大翔が自由に判断すればいい。でも……」

 「……でも?」

 「私のこと、どうか忘れないでね」微笑み、目に涙を浮かばせながら有香は言う。

 「二人で一緒に過ごした日々のこと、決して忘れないでね。私はずっと覚えてるから。だから……」

 

 耐えきれずに、今度は俺から有香を抱きしめた。

 気が付けば俺も泣いていた。俺の頬を伝う涙が、長い有香の髪にはらはらと落ちて、有香の髪を濡らした。

 俺はただただ必死に歯を食いしばりながら、ただひたすらに泣いた。


 “ Play the GAME, Please again

  Try the new world ”


 ――どんなことがあろうとも、俺は有香と生きていくんだ。そう決めたんだ。

 たまらずに、有香を強く、抱きしめる。


 “ Let's play the GAME ”


 そう、ゲームは今始まったばかり。


 誰にも止めさせない。

 そして、有香は誰にも渡さない。守る。この手で、絶対に。渡さない。有香は誰にも渡さない。そう決めたんだ。


......近未来3部作<上>へ続く

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