第95話「後宮地下」

 ギョム、ギョム───


 ジタバタと暴れるネリスを抱えたままクラムは征く。

 突然歩き出したものの、すぐに向かう目的地があるわけではない。


 ただ、あの空間から逃れたいだけだった。


 これからクラムが目指すのは、魔王から指示された後宮地下ではなくネリスから聞き取るつもりの場所───すなわちルゥナの居場所。


 もはや、可能性として残るのはこの後宮のみだ。


「離してぇぇぇ!! は、離せぇぇ!」


 狂ったように叫ぶネリスをようやく地面に降ろす。

 『勇者』のハレムである屋敷から出れば、そこは燃え盛る王城が良く見える箱庭のような閉鎖空間だ。


 壁によって切り取られ、

 望楼が見下ろす女達の棲家ペットの檻。その門番たる王城の陥落───終焉しゅうえんとも言える姿は彼女の目にどう映るのか……


「ネリス……ルゥナはどこだ?」


 何度も……何度も繰り返す言葉。

 もはや言葉は通じないのだろうか?

 そう危惧せざるを得ないほどに、ネリスの取り乱しようは手が付けられない。


 だが、クラムにはこの人に聞くしかない。


 ミナはリズが負うべき者で彼女の範疇。

 ネリスが答えないならば……残るはシャラだが、



 …………


 ……!






 シャラはどこだ!?






「ネリス。義母さんは───」

「──なんで……」


 シャラはどこかと問う前に、初めて異なる反応を見せるネリス。


「なんで戻ってきたの…?」

 ジワリと滲み出すような言葉。


「どうして帰ってきたの?」

 墓場の底から響くような、温かみのまるで感じられないそれは、

「ねぇ…───」 

 答えてよ、と……


 こんな人だっただろうか。

 クラムの知るネリスは、こんな言葉を発する人だっただろうか。

 

 まるで、人格そのものが変わってしまったのではないかと思わないほどに、

 あれほど取り乱していたネリスが、一転して幽霊のような存在の薄さとはかなげな様子でもって話しかける。




「…………………………殺す」




「……」


 クラムの万感を込めたセリフに、一度瞑目したネリス。

 そして……納得したかのごとく、

 まるで断罪を求める様に、ネリスはその場でガクリと膝をつき、こうべを垂れる。



「いいわ…………殺して」

「あぁ、必ず殺す───」



 そうだ。

 俺の目的は変わらない。これだけは絶対に変わらない。










「『勇者』を殺す───」

「っっ!」









 ジワリと顔を持ち上げるネリス。

 叫び、泣きはらした目で、疲れ切ったそれはかつての可愛らしさと、美しさの権化とはかけ離れていたが…それでもネリスのものだった。


「テンガを?」

「殺す」


 そう……と、ネリスは一言告げると、


「着いてきて……」

 ノロリと起き上がり、フラフラと歩き始める。


「ネリ───」

「ルゥナに会わせてあげる」


 その短いやり取りだけで、

 彼女は理解したのか、唐突にヘラッと笑った顔。諦めなのか、媚びを売っているのか、あざけりなのか───それは……それは醜悪で……

 ───その目はドロリと濁っていた。


「来て───クラム」


 本当に幽霊かと思わんばかりの存在感で、フラフラとネリスは歩く。


 寝所から出たばかりで裸足のまま。

 細かな石礫や、王城の破片が散らばる中、

 足を傷つけ、血だらけになりながらも……気にした様子も見せず、フラフラと───


「……あぁ」


 その背後にクラムは一言告げて追従する。

 何も語らず、

 何もしゃべらず……

 何も知らずに二人は行く。


 幽鬼のようなネリス足取りと、

 機械をまとったクラムの足が、歩幅も足音もアンバラスなまま、どこにも離れることなくただただノロノロと。


 そして、

 いくらか程歩き……


 石造りの、東屋に見える小さな建物から、ただ一つの入り口……地下へと続く階段へと女は誘う───


 嫌な匂いの漂う底へと……



 ※ ※


 薄暗い建物の中は広大な螺旋構造の構造物が地下へ地下へと降りていた。

 あたかも、高い塔が丸々一つ地下に埋め込まれたかのようだ。


 この世界の土木技術としてはかなりの規模ではないだろうか。

 少なくとも、ここまでの地下構造を掘り抜くのは並大抵の努力では成しえない。


「……ここは───」

『……ィ…ァ。地下は……が、届……ぃ。中継……置す……』


 途切れ途切れの通信が届くが、要領はいまいちつかめない。

 地下のため通信が途切れがちだという事らしい。

 中継を設置しろと言っているのか、魔王側でするのかは知らない。


 しかし、すでに地下に入っている以上地上部に中継器を設置するために戻ることはできない。ネリスは今もクラムの前を歩いている。



 ペタ、ペタ……


 ギョム、ギョム……


 

 螺旋構造の地下。

 その壁側には無数の部屋が設けられており、カビ臭い匂いに混じり、

 腐臭や酸えた臭いという……生物の出す臭いが漂っている。


 そして、螺旋の中心は中空・・になっており、深く深くどこまでも続きそうなほど。


「ここは……」

 簡易バイザーには、なぜかMAPが表示・・・・・・・・・されている。

 しっかりと、区画名付きで───


「ルゥナはこっちよ……」


 暗く…

 じめじめとして…

 嫌な匂いの漂う空間…


 こんなところにルゥナが?


「あの子はいい子……とってもいい子…♪」

 んー♪ と鼻歌交じりにフラフラと歩くネリス。


「なぜ、一緒に暮らしていない?」

 例えテンガの下だとしても、こんな場所よりは地上の方がいいに決まっている。


 どう見てもココは……牢獄。


 いや、これじゃあ、まるで……───おりだ。



 かつてクラムが囚われていた、あの不衛生な牢獄に酷似している。

 地下深くと言う環境を思えば、あれ以上に酷い場所だ。


「こんな所にルゥナが?」


 チラリと、無数にある扉の一つを覗き込むと、……白骨化した死体。片付けすらされていない。

 別の部屋には腐乱死体に……うつろな目をした囚人らしき者。



「だって、ルゥナは聖女ですもの───」



 ……聖女?


あの子ルゥナは、選ばれし子……『勇者』と結ばれる・・・・運命の子で、」


 なに、を……


「伝説の『聖女』───……」


 言っ、てい、る?


「テンガの女になるべき運命を持って生まれた子よ」


 うふふふふふふふふふふふ……


 怪しく笑うネリスに、奇妙な色気を感じたとき───そこに着いた。


 この地下にあって最奥とも呼べる場所。螺旋らせん階段の途切れる地下の底───……

 ぷっつりと途切れた階段の底は、まだまだ深く黒々とした闇を溜め込んでいる。

 どれほどの深さがあるのか……


 何も知らない者からすれば地獄に続く深淵に見えるだろうが……

 クラムには、地下の予想がついていた。



 バイザー内に表示される、この区画───



「あれぇぇぇ? 床がないわー…………あ、ここよ。クラムぁぁ」

 ぷっつりとキレた階段の先を不思議そうに眺めていたネリスだが、「どうでもいいか」とばかりに地下の最奥にある無数に並ぶ扉の一つを指し示す。

 

 そこだけは他の無数の扉と様相が異なり、豪華な装飾と色どりに包まれている。

 あたかも貴人専用の牢獄と言わんばかり───


「ルゥナー……おとーたまだよ」


 無造作にガチャリと開けるソレ……、その先を幻視し胸が高鳴る。

 ルゥナ……

 何年ぶりだろう。

 ギィィィ…と軋む扉の音は重厚で、中からも外からも簡単に開けることはできないような分厚さと分かる。

 だが、

 それも今はただの扉であり、セキュリティなどあって無きが如し……───ここにルゥナが、いる。


「あれ……? 今日はお注射の日じゃないわよ? 出てらっしゃい…」

 

 ノロノロとしたネリス。

 その緩慢な動きに業を煮やしたクラムが、

 退けッ! と、ネリスを押しのけて中に入ると、

「ルゥナ!!!!!」

 叫び踏み込む。


 そこにあったのは、

「な、んだ───これ……」




 豪華なベッド。

 ソファーに、シャンデリア。調度品は一級品で子供が喜びそうな玩具おもちゃたぐい……

 それらが一区画にきっちりと整えられてはいるが、その一方で、


「う……こ、これは───」


 牢獄や野営地、または奴隷市場なんかで見た覚えがある。

 いや、それ以上にもっとあり触れた場所で……



 そう、例えば市場───



 拘束具と、

 肉を吊り下げるフックと、

 血油に汚れた床を洗い流す水場……



「に、肉屋……?」

聖女ルゥナの部屋だよ」


 クラムに続いて、フラリと部屋に入り込んできたネリスは、

 豪華な……無人のベッドに腰かけ、そこにいたであろう主をあやす・・・様に何もいない空間に話しかけている。


「あれー? ルゥぅぅナぁぁぁ? おとーたまですよー…ルゥぅぅナぁ?」


 落ちていた大きな縫いぐるみを拾い上げ、ベッドに寝かしつけ──撫ぜるネリス。


「ふ、っざけるなよ……ネリス! ルゥナはどこだ!」


 ガンッと、拘束台を蹴り飛ばすと、ネリスは目に見えて分かるほど怯える。

 「ひぃぃぃ!」とあわれみを誘うように体を小さくしてベッドのシーツを掻き抱いている。


 拘束台はエプソの有り余るパワーでぶっ壊れ。

 その上にある器材を盛大にブチ撒ける。



 ガチャーン、キャリーン、

 パリン…カラン───コン……コン…


 派手な音を立てて転がるそれら。


「なんだ…、なんだよこれは?」

 床に落ちた器材の一つに満たされていたであろう液体。

 赤い何か・・・・が詰まったそれは試験管の形状をしており───それは記憶を刺激した。


 たしか、『勇者』と魔王軍の武装隊員が戦闘を行った時…

 魔王軍に銃撃されて負傷した『勇者』が懐から取り出していた───アレだ。


「血……?」

 

 鉄錆の臭いが漂うそれ。

 まさか…………


「ネリ───」

『クラムか!? 聞こえたら、応答せい!』


 チッ……


「クラムだ。感、し」

『遅い! もう内部に突入したようじゃな……こっちも突入済じゃ。RLCVポチは先へ行くからの。───エレベーターを使用されたようじゃ……オフラインになっておるから、こっちで直接繋ぎなおすしばらく待っておれ』


 ───エレベーター……


「了解した……ルゥナはまだ発見できていない…魔王。頼む……」

『承知した』


 キュラキュラキュラ、という音が壁を走っていく気配を感じた。

 優秀なRLVCのことだ、垂直の壁を走る機能があってもおかしくはない。


「誰と話してるの……」

 魔王との無線はバイザーの無い状態では筒抜けだ。


 いつの間にか近くいたネリスに、

『関係ない』

 と、にべもなく・・・・・言い捨てる。もう、……ネリスに執着はない。いや、なくなった───


 それよりも、

「ルゥナはどこだ。ここで何をしていた!」


 ドンと壁にネリスを押しつけ、片手で彼女の両の手を纏めて掴んで吊り下げる。

 いっそ煽情的な光景であったがクラムの劣情はまったく動かなかった。


「い……いたい! や、やめ」

「ルゥナはどこだ? ここでなにをしていた!」


 答えろ!!


 何度でも聴く。

 何度、でもな!


「ルゥナはどこだ!!」


 答えるまで、聞く。


 ルゥナはどこだ?

 ルゥナはどこだ?

 ルゥナはどこだ?


「「「ルゥナルゥナルゥナルゥナはどこどこどこどこどこどこ、ここで何を何を何を何をしていた!!!!!」」」 


 凄まじい剣幕でまくし立てるクラムに恐れをなしたのか、ネリスがブンブンと首を振り嫌々いやいやをする。


「知らない、知らない! ルゥナはここにいるの! ここがルゥナのオウチなの! ああああ、テンガ! テンガぁぁぁ!!」


 この期に及んで……テンガだと!?


 ふざけんなよ!


 それに、

「これはなんだ!?」


 転がる機材を拾う。


「これはなんだ!?」

 ネリスに突き付ける。



「これはこれこれはこれこれこれこれこれはなんなななななんんあなんだ!?」



 ガっとネリスに血の入った試験管を押し付ける。

 中身はこぼれてしまっているが、いくらかは底に溜まって残っているため、それが血であることは疑いようがない。

 

「ひ、ひぃぃ……ルゥナのお仕事、お仕事なのぉぉぉ!!」

 なにぃ?


「血を! 聖女の血を捧げるの! 交われないなら血を捧げるの!!」


 な、なにを……言っている?


『『聖女』システムか───!』

 突然。二人の会話に割り込む魔王。

「なんだ!? 何を知っている!?」

「ひっ!? っっ??」


 突然、独り言を言い出す(ネリス視点)がクラムに怯えだす。が、そんなことはどうでもいい。


『『勇者と聖女』という奴じゃ。まれにあるお遊びでの……『聖女』とは、αアルファ個体専用の……女じゃ』


 は?







 ……『勇者』専用の女?

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