第93話「後宮」

 後宮と本丸を繋ぐ通路には死体がいくつか散らばっている。

 どれもこれも鋭利な刃物で切り裂かれたもので、

 ───……どれもこれも・・・・・・クラムの仕業ではない。


「『テンガ』の仕業か? 何があった?」


 死体はそう古いものではない。

 王城の中において、死体を片付ける暇もないくらいに最近ということだろう。


『状況は分からん……『勇者』が反乱でも起こしたのかーの?』

 魔王も首を傾げている。

 憶測でしか語れない以上、ここに立ち止まっても意味はない。


いずれにしても、こんな無体を働くような奴は『勇者』ぐらいじゃて……』

 そりゃそうだ。

 普通に考えて───王城で人をぶった切っておいて、捕まりもせず平気でいられずハズもない。


「奴はいるみたいだな……」


 その割には大人しい。

 もっと早期に出てきて、迎撃しそうなものだが。


『事情はわからんが……この感じだと、地下じゃろうな』


 そうだろうさ。

 ここまでクラムが暴れても音沙汰無し。


 つまり、ここ地上にはいない。


「いいさ。まずはお前らの作戦通りに行く」

 本丸は更地にしてやった。不死身の『勇者』と言えど、飯も食えばクソもする。

 女だって欲しいだろう。


 だから、まずはそれらの供給源を断つ。


 世界中を滅ぼして回るわけではないが、まずは王国からだ。

 ここを潰せば『勇者』とて表に出ざるを得ない。

 その時が勝負だ。


 本来なら、

 奴が姿をくらませたときに拠点を叩いて、怒らせてから決戦の予定だったが……。


 まさかここにいるとはな。

 予想外なようで、予想の範疇。

 とは言え、計画は狂う。


 魔王軍でも急ピッチで作戦の練り直しをしているだろう。

 だが、それほど大きな変更はない。


 ここさえ潰せば同じこと、

 奴が地下から出て来た時に、改めて決戦の場を設ければいいだけだ。


 懸念があるとすれば、地下で何をしているか───だ。

 

 いや、構わんさ。

 それは魔王の考える事。

 俺はただの復讐者。それでいい。


「後宮前、捜索完了クリア


 それにしても敵がいない……?

 兵の一人も姿を現さない。

 生体反応もあるにはあるが───。


『ワシは先に地下を捜索しておく。ポチはお主に同行できんが……現状、敵勢力はほぼおらん。問題ないじゃろう』


 ……気ぃ使いやがって。


 恐らく魔王はクラムとリズに気を使って別行動を申し出ている。

 地下の施設をクラムに見られたくないだけかもしれないが……。


 なんたって、どう見ても後宮の地下空間は、魔王軍の物だ。


 全容を知っているわけではないが、

 魔王軍の拠点「エーベルンシュタット」に酷似している。


 居住区に研究区画、格納庫らしきものもバイザーのMAPには表示されている。

 そもそも、なぜ地図があるのか……いや、問うまい。聞いても答えてくれるとも思えないしな。


 今はそれよりも───。


「ここか……」


 後宮とは名ばかり。

 宮殿があるわけでも、王城の本丸の様な豪華で巨大な建物があるわけではない。

 どちらかと言えば居住空間の連続。小さな町の様なものだ。


 風呂場にかわやは当然として、畑や井戸が完備されている所を見るに、最後の砦と言った感じだ。

 いや、案外文字通り最後の砦なのかもしれない。


 王の……。

 今は『勇者』の女を囲う場である以上に、それ以外の目的としては、城が攻められた際の最期の拠点なのだろう。


 防衛設備と政務は王城の本丸などの施設として、

 ここは居住区と生産拠点を兼ねているようだ。


 四周を警戒しつつも堂々と歩くクラム。

 ギョム、ギョム……。


 一軒、一軒と調べるまでもない。

 人間の生活臭が色濃いところからも、今も設備は生きている。

 そして───。


 一際ひときわ大きな屋敷が現れる。

 そこは、上空偵察からすでに判明していること……「ハレム」だ。

 勇者の寝所のこと。


 ……。


 ついに、来た……───。


 ゴシュー……と、気密の抜ける音を立ててヘルメットを外し、背中に固定する。

 ここからは素顔で行く。


 顔を見て……顔を見せて、顔を会わせるためにな。


 それでも、頭部はやはり弱点ではあるので慎重に慎重を重ねて警戒する。

 背部コンテナからは、インカムを取り出して簡易バイザーシステムを起動させる。


 顔の前にホログラムが浮かぶのは、多少ないし視界の妨げになるが気にするほどでもない。


 いくつかの火器管制がオフラインになるも、

 元々、今回の兵装は少々貧弱だ。


 それもあってか、さほど気にならない。


 簡易バイザーシステムだけでは生体センターも熱感知も最低限なため、屋内戦能力がかなり低下するものの───。


「脅威度は…ほぼなし───女しかいないか……」


 ギョム、ギョム……。


 ガチャコ……ギィィ───!

 屋敷の扉に手をかけ、開ける。途端に女の臭いが鼻を衝く。

 比喩でもなんでもなく、むせかえるような匂いだ。


 男女のそれが日常的に行われているであろう……匂い。


 テンガ一人で出しているにしては、随分なものだ。

 しかして、勇者の寝所に他の男が入り込むはずもなし。……もしかすると、クラムが初めてかもしれない。


 慎重に一歩踏みこむ。


 さて、

 台所に人が───3人……給仕だろう。

 武装の気配なし───…無視していい。


 2階居住部分には複数の人……個室か。若い女だな。

 なら、奴のコレクションと言ったところ。数はそう多くない。


 1、2───全部で5人。


 ジジジと揺れる画面を見ながら、不鮮明なバイザーシステムの熱感知と生体センサーを読み取っていく。


 ネリス達がいるなら居住部分……この五人のうちのどれかだ。


 それか……一番奥。

 勇者の───寝所、ここに一人……いる。


 画面上の表示では、勇者の寝所らしきところに一人の女性が寝ているらしい。

 その他の8人は息を潜めているのか、身動きはしないものの、その動きと体温からこちらを警戒している様子がわかる。


 ……そりゃ、見ているだろうさ。


 彼女らの見える世界……王城の最も強固な部分が爆裂し───更地になったんだからな。

 次はここだと馬鹿でもわかる。


 そして、更地の先から巨大な鎧がやってくれば、それが敵だと気付くだろう。


 だが、悲しいかな。

 ここにいるのは無力な女性ばかり。


 いるはずの兵はおそらく逃げ散ったのだろう。

 ここを出る判断の付かない女だけが残されたという事。


 逃げ時を失った哀れな者達。


 …………。

 

 ……それとも『勇者』の帰還を待っているのかもしれない。


(生憎だが、そう早く出てくるならここまで事態は悪化していないだろうさ)

 現状から考えるに、『勇者』は既に王城への興味を失っている。

 そうでなければ、地下空間から出られない事情があるのだろう。


 そして、ここには復讐者しかいない……。


 いや、

 事ここに至って、クラム復讐者なのか?


 ネリスの不貞。義母さんの情事……ミナの痴態。


 全てクラムにとって復讐足るのだろうか?

 家族を奪い、クラムを罪人にし、あまつさえ戦場で殺そうとしたものは確かに復讐対象足るだろう。


 だが、


 だがネリス達は?


 妻の不貞は責められてしかるべきだろう。

 世界は広い……不貞とはいえ、国によっては死刑であったり、鼻を削ぐところもあるという。


 だが、王国はそこまで残虐な刑罰を用いない。

 不義理を責められこそはすれ……そもそもが家族間の問題であると───。


 ならば、ミナは?


 ミナの罪は、リズを放置し残酷な運命に叩き落としたことに集約する。

 性奴隷として売り払い……その後も『勇者』や近衛兵団長に下げ渡すのを見ていただけなら……それは母として有るまじきこと。

 だが───クラムにどうこう言う権利などない……それを言えるのはリズのみ。


 そして、義母のシャラ───。


 ……彼女に至っては、……何の罪もない。

 家族をおとしめた男に体を委ねていたのは、確かに褒められるものではないが……何ら犯罪でもなければ、不貞でもない。

 ただ、クラムにとって許しがたいだけのこと。

 彼女の夫はとっくに他界しているのだ。

 新しい夫を見つけたとて……むしろそれが普通だろう。









 ───勇者テンガでなければ、だ。









 そうだ。


 そうだ……。


 そうだ!!




 罪?

 普通のこと?

 妹の幸せ?

 



 知るか。




 知るかっ!




「知るかぁぁぁぁぁぁっぁぁぁ!!!」



 ヘルメットのない、

 外部スピーカーを通さない、クラムの生の声。

 それは思いがけず大きく。

 思いがけず動揺を生む。


 簡易バイザーシステムに映る人影に動き……。


 台所の3人は、大声を上げる侵入者に身を固くする。

 だが、2階の5人のうち一人は、……まるで、電気でも走ったかのように体を起こし、階下に意識を向けている。


 他の4人は身を固くしているだけだと言うのに───。


 ───そして、寝所にいる人影。


 ネリス──……そうだ、間違いない。

 熱感知が浮かび上がらせる壁越しの輪郭。しっとりとした動き……体つき。





 忘れるものか。





「帰ってきたぞ……ネリス」


 大声に目を覚ましたのだろう。

 まるで夢でも見ていたのか、といった緩慢な動きが熱画像から浮かび上がる。


 それを追うように、屋敷に踏み込み奥の寝所を目指す。


 ギョム、ギョム……。


 ───ネリス……。


 ギョム、ギョム……。


 ───ネリス……。



 

 ギョム、ギ…………。


 カチャ…ギィィィィ───。










「ネリス……───」

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