第78話「居室」

 うぇぇえっぷ……。


 リズかお腹をプックリと膨らませながら、青い顔をしている。


「だ、大丈夫か? 食い過ぎだぞ……」

「うっぷ! ……だ、だってあんなにおいしい食べ物があるなんて」

 

 結局、リズは貰ったジャンクフードをほとんど平らげた。

 この小さな体のどこに入っているんだか。


 クラムも手伝ったとは言え、軽く5、6人分くらいはあったように思う。


「あー、吐くか?」

 ブンブンブン! と全力で首を振るリズ。それだけでもう気持ち悪そうだ。


「そ、そんなもったいないこと、できないもん!」

 プゥと口を膨らませる。

 ……段々と、昔のリズの調子に戻ってきた気がするな。いい傾向だ。


 ナデリコ、ナデリコ。


「わかった、わかった……。じゃあ、夕食は軽めにしような」

 ───だって食いすぎ。

「え? 夕食……?」


 ご飯は一日一回じゃないの? と、不思議そうな顔で聞いてくる───マジかよ……。


「お前…………。ずっとそうだったのか?」


 ハレムの頃、奴隷の頃、そして玩具にされていた頃。……リズの生活は、本当に最低レベルだったらしい。


 それでか……。

 無理に食べて、食べて。

 ………吐くのはもったいないと───。


 リズ……、

「ここでは、3回、飯が出る。夜勤の者は夜食もな……」

 さ、3回!? と驚くリズに、

「それ以外にも、さっきのラウンジで好きに軽食を食べれるし、PX売店で菓子も買える」


 ヨロロロ……と信じられないことを聞いたとばかりに、リズは目を白黒させている。


「リズ……聞いてくれ。……お前は──」


 もう、苦しまなくていい……!

 ここで、……魔王軍で好きに生きていいんだ。


「だって、私……何の価値もなくて、殴られたり、汚い事をされるため……だけ、に、」


 ウグ……! と不意に涙をこみ上げさせるリズを見て、マズったかとクラムは思うも、

「泣きたいときは泣け。……俺もお前とずっといる、ずっとだ───」


 そう、……あと───数か月の命であってもな。


「叔父さん、ほんとに? ほんとにずっといてくれる? 私を一人にしない?」

「あぁ……もちろんだ。死ぬまで・・・・一緒だ」


 そう、

 死ぬまで、だ。


 むせび泣くリズの肩を抱きつつ、与えられた部屋に案内してやる。


 その頃には点滴も止まっていたので、衛生要員を呼び出し、後の処置をしてもらった。


 点滴のパックが満タンのものに入れ替えられつつ、ぼんやりとその様子をみているリズの顔は、夢見心地だ。


「叔父さん……」


 まだ本調子ではないだろうと思い───寝るには早い時間だったが、部屋にあるベッドに寝かしつけた。

 

 照明を落とし、衛生要員と一緒に部屋を出ようと───。


 キュッ……!

 リズは、去ろうとするクラムの服の裾をモソモソと掴んだ。


「どうした?」

「い、一緒に寝て……?」


 ……う。


「ば、馬鹿言うな。もう、大きくなったんだろ?……怖いのか?」

「うん。怖い……怖いよ」


 リズが何に怯えているのか──魔王軍? 悪夢? 勇者やイッパか……?


 それとも───。


「叔父さんがいなくなるのが……怖い」


 …………リズ。


「どこにもいかないって、いっただろ? 俺の部屋は向かいだよ」

 でも、まぁいいか。

「甘えん坊なリズ。……じゃあ、手を握っててやるよ」

「うん……ありがとう」


 コソコソとシーツの間から細くしなやかな手が出てくる。

 冷たい……小さく痩せこけた手だった。


「リズは小さいな……」

「さ、さっき大きいっていったじゃん!」

「はは……言ったっけ?」

「言ったよ、言った!」

「んー? ははは……!」

「もうッ!」


 プンプンと怒った雰囲気を出しているが、空気は柔らかい。


「そういや、殺風景な部屋だな。あとで、PX購買で…………リズ?」

「すー……。すー……」

 いつのまにか、穏やかな寝息を立てているリズ。

 この様子ではすぐには目覚めないだろう。


 トイレやシャワー室。

 それにPX購買も案内していない。


 でも、まぁいいか。

 夕食時になったら、起こしてやればいいさ──。


 そうして自室に戻るため、絡み合った指を一本一本ほぐしていった。


 おやすみ……リズ。


 顔にかかった髪をサラリと退けてやり───その美しい顔に、一瞬見惚れるも、もう一度「おやすみ」と声を掛けてから、額に軽く口づけした。

 あとは、部屋の照明を落として、ゆっくりと扉を閉める。


 おやすみ、リズ───。


 寝顔のリズは穏やかなソレだったが、涙が一筋、頬に跡を残していた。




 ガチャン……。



※ ※



「ふぅ……」

「姪御さんはもうよいのか?」

 部屋を出たクラムに、魔王が話しかける。

 待ち伏せされていたようで、思わず背中が跳ねた。


「驚かすなよ……!」

「知らんわ」

 ったく、

「───リズなら、たっぷり食ってゆっくり寝てるさ」

「それは重畳ちょうじょう。あの子はここに来たときは酷い状態だったでの……栄養失調に、感染症──それに失語症か……。身体の内々の方もな……」


 ……感謝するよ。


「精密検査せんと分からんこともあるが、ほぼ全快に近い。───その、なんだ……あっちも洗浄・・もしておいた」


 ギリリ……!


「──────……手間をとらせたな」

「なんの、なんの!……で、お主は?」

 は?

「なんだ? 訓練日だったか?」


 クラムの仕事は基本的にはない。

 あえていうなら、訓練に訓練を重ねる事。

 そして、エプソに関わるデータ収集に尽力することだ。


「違う……お主の体のことだ」


 ……体───。


「すこぶる順調だ」

「ならいいが……わかっておるな?」


 そうだ。クラムは強化手術ブーストセラピーを受けて以来……メンテナンスが欠かせない。


 エプソ以上に、クラムも非常に繊細なのだ。


 通常では考えられない負荷を脳に与えている。

 とは言え、別に計算が早くなるとか、天才になったわけではない。

 あくまでエプソとの同調が可能になっというだけで、体は普通の人間と変わらない。


 だが、負荷は蓄積されていく。

 それは定期的な補修・・を施さないと───最悪、死に至るほどだ。


「わかってるさ。あとでラボに行くよ……」


 ゆえにクラムは、脳のメンテナンスのため、継続して脳を弄り倒される。

 もっとも、言葉尻は悪いが、別に痛いわけでも苦しいわけでもない。ないが……──まぁ、気分のいいものではない。


 それに、魔王は日常生活には問題はない、というが……どうにも──性格が自分でも驚くほど変化しているように感じる。


 少なくとも……今日という日に、殺しまくった敵兵に対して全く罪悪感を感じない。


 それどころか顔すら思い出せない始末。


 ブーダスとイッパをぶっ飛ばした時の快感だけはあったが、それ以外に感じるはずの憐憫れんびんの情は全く湧きおこらなかった。


 それどころか、路傍ろぼうの石のように感じるのだ。


 多分、兵以外の───無関係の町人を殺しても罪悪感など起こらないのかもしれない。

 

 それが強化手術のせいなのか、それともクラムの中にある元々の性質なのかは判然としない。


 それに、いまさら確認のしようもないことだ。


「クラム。……お主は時間が限られておるでな、姪御さんと過ごす時間は、できるだけ作ってやれ」


 ………………言われるまでもない。


「───あぁ、そのつもりだ」


 憐憫れんびんの情は感じないくせに……自分があと数か月しか生きられないと考えると、やはり心がザワツク。


 もっと生きて居たいという心理も、……やはりある。

 ───そして、それ以上に……その僅かな期間の間に『勇者』を殺すことができるのだろうか、という切実な思いが、だ。


「安心せい……。存外、次の出撃は近い。ちゃんとお主の目が黒いうちに、全てを終わらせてやるとも」

 魔王はクラムの懸念を敏感に感じ取ったようで、間髪入れずに答えてくれた。


「……ありがとう」


 もっと、気取った言い方をしても良かったが、クラムは素直に礼を言った。「感謝する」でも、「望外だ」でもなく───…ただ「ありがとう」と。


「う、うむ……そう直球で言われると、の───感謝されるようなことではない……」

 魔王の戸惑った表情に何かを返すわけでもなく。クラムは後ろ手に、手を振りラボに向かう。

 その足取りは気負ったところがなく、まるで散歩でもしているかのように軽い足取りだった。


 しかし、その後ろ姿を見送る魔王の目には───クラムのまとう瘴気の様なものが溢れて見えた。


 それは、一歩一歩死に近づく悲痛な青年のソレにも見えた。


「すまんな。……本当に、すまん」


 魔王の呟きは誰にも聞かれる事無く、通路に滲み込んでいった。


 彼女の言葉が何に対してのものなのか……答えれるものなど、ここにはいなかった。






「許してくれとは言えんの……クラム──」

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