第4章『MAOH』

第43話「天使の名を冠する」


 ピッ……。


 ピッ……。


 カシュー……。


 カシュー……。



 奇妙な音が耳をつき、

 クラムの意識は覚醒した。


 ……うぐ。


 酷く体が重い───。

 肌の感覚はあるが、血液が鉛にでもなったかのように、内部からズシリとくる気怠さと気持ちの悪さがある。


 目を開けようと、まぶたを動かそうとするが、張り付いたような感覚があり──上手く開かない。


 くそ……。

 なんなんだ?


 まぶたを透かした先には、かなり明るい光源があるらしく、瞼裏まぶたうらの血管が浮いて見えるほどだ。


 ……ど、どこだ?

 ここは、いったい?


 たしか───。


 未だ体の気怠さは取れず、頭もはっきりしているとは言い難い。


 事の前後をゆっくりと思い出そうとするクラムだが…………。


 カツカツカツ───!


 と、大理石の上を歩くような硬質な足音が響き、不意に体を緊張させる。


 囚人に、そして囚人兵になって以来──こうした硬質な足音はろくでもないものばかりだ。


 牢屋を巡回する看守に、野営地を闊歩かっぽする近衛兵の重い金属製ブーツの音……。


 どれもこれも、反射的に身を固くさせてくれるものだ。


 開かない目、

 動かない体、

 働かない頭、


 どれをとっても、今は何もできない。

 状況に身を任せて……つ、唯一とも言える五感の一つ、聴覚に意識を集中させる。


 それくらいしかできないのだから。


 カツカツっ……。


 ───ガチャ!



 ドアを開ける気配。

 狭い空間に、人のそれが満ちる。


 カツ……。


 カツン。


 足音は一定のリズムを刻み、クラムの間近に止まった。

 そして、なにやら独り言をブツブツ……。


 フワリと漂う香りは、女性のもの特有の甘い匂いがした。


 そして、彼女が注目しているのはクラムではないらしく、別の何か見ている。

 研ぎ澄ます五感にも、その意識がクラムではなく、その周囲に向いていることが分かった。


 とはいえ、完全にクラムを無視しているわけではなく、時折視線を感じることもあった。


 ……何をしているんだ?


 クラムは居心地の悪い気分を味わいつつも、何もできず、じっとしているしかなかった。

「…………数値はクリア。……バイタルチェック異状なし」


 カリカリと黒鉛を木板に走らせるような、書き物の気配がわずかに伝わる。


 そして、


「脳波……正常。意識レベル……異状なし、覚醒中」


 カリリと、書き切ったらしく。

 最後にパチンと硬質な音を立てて彼女の気配が遠ざかる雰囲気を察した。


 口は…………。

 動く───。


 声を掛けるべきだろうか。

 状況が不明過ぎて、どうすべきかわからない。


 今はまだ、大人しくしていた方がいいかもしれない。

 クラムはそう判断すると、体を固くして身じろぎしない様に努めた。


 しばらく、ジッと見られているような気配を感じつつも───。



 カツン。


 カツカツ……。


 ガチャン!


 ……カ、


 カツカツカツ……。



 その特徴的な硬質な足音は、ようやく遠ざかっていった。

 

「ふー……」


 やはり、かなり緊張していたらしい。

 ドッと脱力しつつ、大きく息をついた。


「───狸寝たぬきね入りは、もういいのか?」


 ッッ!!!!


 うぐっ……!?


 し、心臓が、心臓が跳ねる!


 ……い、いつの間に!?


 クラムが全く気付いていない位置からの声かけ。

 少女のものらしきそれに、驚き──慌てふためく。


「落ち着け……。とっくに覚醒しておることは知っておるよ」


 ……う。


 ドクンドクンと心臓が早鐘の様に鳴る。

 口から飛び出しそうだ。


「だ……だれだ?」


 なんとか、紡ぎ出した言葉は月並みなソレ。


「んー? 覚えておらんのか? ふむ、どれ……」

 ギィと、金属が軋むような音を立てて部屋の隅に気配が生まれる。


 どうやらずっとそこにいたらしい。


 キュムキュムっと、硬質な足音とはまた違う、独特な音が近づいたかと思うと───。


「うむ……血と涙でまぶたが固着しておるな」


 柔らかい手がクラムの肌を撫でた。


「少々痛いかもしれんが、まぁ我慢せよ」

 チャポンと何か液体を逆さにしたような音と共に───。


 グリグリグリ……!!


 暖かい布が顔に当てられ、少々乱暴に拭われる。

 瞼には、確かに血などが固まっていたらしく、それらが強引に拭われていく感触は結構痛いものだった。


 だが、クラムにとってその程度の苦痛で、悲鳴を上げるほどのことではない。

 グっと歯を食いしばると、されるがままに任せた。


「ん……生理食塩水で洗ったから、問題ない。開けて見よ」

 

 目を開けろってことか?


 スゥと瞼をゆっくりと開くと、途端に刺激を受ける眼球。


「ぐぅ!」


 まさに刺す様に、そう……刺すような強烈な光がクラムの視界を焼いた。


「む? 眩しすぎるか? ライト!──……光量調整、50」

 その声と共に、幾分柔らかくなった光に漸く目を開けることができた。


 最初に目に飛び込んだのは、真っ白い天井と───少女……。


「見えるか? ワシを覚えておるかな?……先日ぶりじゃが~」


 コイツは、たしか───!


 あの戦場で、空に浮かんだ不思議な窓から人類に話しかけていた……あの、


 ───……そうだ、


 この子は!!


「あ……」

 パカっと口を開けたクラムは、


「む? 思い出したか? そう、ワシはお前らの言うところの……──」


「ルゥナ!!!!!」


「──まおぅ……あん? ル、」


 ガバチョ──と抱締めようと、体を起こしたクラム。


 鈍い痛みと、気怠さなど知るか!!


「うお?! お、おい! 無理をするな!」

 ピョンとねる様に、クラムの抱擁を避けた少女───ルゥナ? は、クラムを押しとどめようとする。


 かわされたことで、クラムはバランスを崩し、ガッターンと床に落ちる。


 寝かされていたのは金属製のベッドらしく、そこそこの落差があった。

 そして、その拍子に体に付いていた様々な管が抜け落ち、激痛が走る。


 プラプラと抜け落ちたソレは針状のもので、赤く濁っていることからも今までクラムに突き刺さっていたらしい。


 ゾッとする気配を覚えるとともに、そんなものも気にならないと、少女に手を伸ばす───。


「ルゥナ! ルゥナ!! あぁ、無事だったんだな……!」

 ポロポロと零れる涙。

 乱暴に拭われた瞼からは睫毛まつげが抜け落ちていたらしく、涙すらみる……。


「無理をするなというに……! 誰か! 衛生要員はいないのかメディィィッック!?」


 必死で伸ばすクラムの手を冷ややかに見つつ、少女は人を呼び出す。

 途端に離れたところから、足音が響いてくる。


 カン、カン、カツカツカツ! と、急ぎ足のそれは、驚くほど迅速な対応だ。


「ルゥぅぅナぁぁぁ……」

 しかし、それすらも耳に入らないのかクラムは涙をこぼし、ズルズルと少女に、にじり寄る


「ええい……! 認識阻害のインプラントは任意で切れんのが面倒じゃのー」


 ポリポリと頬を掻く仕草は子供の容姿をしているのに、なぜか随分と達観した様に見える。


「大抵の奴はすぐにワシのことを認識して恐れおののくというのに……」

 ヤレヤレと首を振る少女。


「おい、聞けクラム。……ワシはルゥナではない。……お前らがのいうところの『魔王』じゃ」


 ……?


「ルゥナ……だろ?」

「違う! お前らの文明基準で──魔術と言えばわかりやすいか? 認識阻害の魔法の類じゃよ」


 ホレホレといってピョンピョンと目の前で跳ねる少女。

 しかし、容姿が変わるわけでもなく、声もそのままだ。


「うーむ……。こうも、物わかりが悪いとのー、こういう奴とは言葉が通じんのー」


 弱った弱ったと、今度は腕を組み考え込む───魔王。


「魔法……認識阻害──まおう……魔王? え? る、ルゥナじゃ───」

「───違う」


 ピシャリと言い放つ魔王。


「どれほど恋焦がれておるのか………ルゥナとな? ふむ……恋人かの?」

「……娘だ」


 ……───くりっと首をかしげる魔王。


「娘……とな? クラム・エンバニア───簡単に経歴を見たが。お主に、娘など居るのか? そもそも、」


「いる」


 そうだ……ここにいる!


 ───ルゥナ!


 ガチャ!!!───「所長!?」


 ドタドタドタと走り込んできたのは、白を基調とした明るい色の服を着こんだ女性と、紺色をした変わった鎧姿の男性が3人。


 ガチチャチャ……ッャキ!! と、手に持つ黒い塊を向けると、明確な敵意をぶつけてきた。


「きさま、所長から離れろ!」


 男のうち一人は、鉄製の棒のようなものを腰から抜き出すと、軽く振るう。


 シャッ──ジャキン! と如何にも物騒な音を立てるソレ───。


「よせよせよせ!……この男は何もしておらん───。誰か、介助してやれ」


 クラムから距離をとり、鎧の男達にかばわれた魔王が顎をしゃくって女性に指示する。

 逡巡していた女性も、それでようやくクラムに駆け寄った。


 ヨロヨロとしたクラムに、危険はないと判断したらしい。

 

 だが、男達は女性に手を貸すでもなく、金属の棒と黒い塊を油断なくクラムに向けている。


「よせ……触るな!…………自分で立てる」

 女性の手を振り払うと、一瞬──男の敵意が体を貫くが、無視して起き上がる。


 ベッドの手すりに手を駆け体を起こす。


 足枷に気を配り、足を庇いつつゆっくりとベッドに───……。





 あれ?


 足──────。


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