第34話「それはとても美しいヒト」

 ザァァァァァァァァァァァァ……!!


 雨の降る中。

 クラムは持てるだけの食料と、支給品の槍を手にして勇者のキャンプ地を後にした。


 まるで、冷たい雨に追いやられるように、

 そして、それは者達の嘲笑にすら聞こえた───。



 だが、それがどうした?

 もう、クラムの心はとっくに冷えきっていた。

 

 彼にあるのは、向ける対象の定まらぬ怒りのみ。


 それとて──疲れきった今はもう……。

 ただ、リズと過ごす僅かな時間へのよろこびに覆いつくされ、気にならなかった。


 疲れに鈍る足を引きずり、盆地を上り、囚人大隊のキャンプ地へたどり着く。


「ふぅ……」


 今日も今日とて、誰も起きてはいない。


 ただでさえ雨の中だ。

 明かりのない囚人たちのキャンプは真っ暗だった。

 雨音でいびきや寝息は聞こえないが、人の気配だけはある。


 このところ勤務時間の違いで顔を合わせることは少ないが、彼らは彼らで「後方地域」の「後方任務」で扱き使われているようだ。


 たまたま、勇者のキャンプ地に作業で駆り出されていた彼らに遭遇したことがあるが、くだんの生ゴミ捨て用の穴を掘らされていた。


 例の元盗賊の囚人兵かいたので、二、三はなしをしたのだが、彼らの仕事は主に先の戦いで死んだ兵士(ほぼ囚人兵)の死体やら、魔族の死体整理をさせられているらしい。


 腐敗の始まったそれらは酷い臭いで、病の温床となるため、それらに接し続けていた

囚人兵のなかには、体調を崩しているものも多いと言う。


 ただ、魔族の死体整理を命じられた際は、運が良ければ死体漁りもできるとか。


 ほとんどが回収されたらしいが、防護施設の下敷きになり、潰された死体なんかは未発見のそれだ。


 うまく見つけると金銭を得ることができる──と、ニヒルな笑い顔でのたまっていた。


 なるほど……。

 それなりに稼いでいるようだ。


 ───本当に抜け目がないな。


 そして、気になる事として、クラム不在間のリズの様子をそれとなく聞いてみた。


 ……ようは、不届きものが手を出そうとしていないか、だ。




 ーーーーーーーーー




 元盗賊の囚人兵はそれを聞いたとき、

「おいおい……。いくら何でもあんな小さい子に俺は食指は動かんぜ? 他の奴はどうか知らんが」


 なるほど。

 元盗賊の囚人兵は、子供には興味なし───と……どこまで本当かはわからんが。

「まぁ、俺の知ってる限り不埒ふらちを働いたやつはいねぇよ? ぶっちゃけ、日中の重労働に疲れ切っててな……。帰ったら皆、すぐに眠ってるからよ」


 それは本当だろうな。

 実際、みんな深い眠りについている。


 リズにも不埒な真似をされたような、そんな様子はなかった。


 ならば、今のところは大丈夫だということ。


 今のところは…………な。


 それよりも、と元盗賊の囚人兵は続けた。

「そろそろ、進軍再開だとよ。囚人の補充も来るっていうしな。───それに、連合軍の斥候が前に出たらしいんだが、魔族は大幅に撤退していて、この先はガラ空きらしい」


 嫌な話だった。


 人類としては、失地の奪還につながるのだろうが……。


 クラムたち囚人兵としては──また、死地に投入されることになる。

 リズを連れていくことができるのかも、不安だ。

 今は比較的自由だが、移動ともなれば囚人はつながれる。


 ───どうしたものか。


「じゃぁ行くぜ」

 そういって疲れた顔の元盗賊の囚人兵は穴掘り作業へと戻っていった。


 クラムは再び寝所番へ───。




 ーーーーーーーーーー



 そうだ。

 あの元盗賊の囚人兵と話したのはいつだったか?

 クラムが寝所番をするようになってからは、日々の感覚が曖昧あいまいだ───。

 帰るべき家と、るべき家族の大半が消えたからだろう。


 もう、彼女たちは……。


 それ以来、ただ「任務」をなすのみ。

 クラムの望みは、生きて……。

 そう、生きて──────あとは、リズと安寧あんねいな日々を過ごしたい……。

 ただ、それだけが生きる意味になり始めていた。

 

 そんなおりだった、あの元盗賊の囚人兵の話を聞いたのは───。


(また、戦争か……)

 今度は生きて帰れるか、どうか───。


 とはいえ、まだ進軍再開の話もないし、補充の囚人兵も来ない。


 できればずっと来ないでほしいものだ。 

 進軍の話も、補充兵も───。


 雨が降りしきるなか、暗いキャンプ地を暗い顔をしたクラムが歩いていく。


 そして───。


 彼の安らげる、唯一の……。

 そして、最後の家族の元へと───「家」へと帰ってきた。




「ただいま、リズ」




 プンとあかの匂い。

 リズの体臭のそれが鼻をつく。


「ぉぁ…い、なさぃ」


 弱々しいがかすかに聞き取れる声でリズが迎えてくれる。

 ここ何日かで、リズは少しずつ話せるようになってきた。

 良い兆候だと思う。

 

 目も、相変わらず酷く濁って闇に沈んでいるが───徐々に光を取り戻している気がする。

 ぎこちないが、笑みも浮かべてくれていた。


 更に飯のおかげか、血色も戻り目の隈も薄くなっている。


 日に日に回復し───。

 驚くほどの美少女に近づいていくリズ。

 家族ゆえの贔屓目ひいきめもあるが…………綺麗だ。


 とても綺麗だ。


 ガリガリだった体も、あれから少しずつ肉付きが良くなり、出るとこが出てきて───その、なんだ。色々と体のラインの主張が激しくなってきている。


 とは言え、可哀そうだが、ミナの血を引いている所はどうしようもない……。

 普通より少し控えめだと言っておこう。


「今日も何もなかったか?」

「ぅん…」


 ニコっと微笑むそれは、痛々しくもあるが、どこか蠱惑的こわくてきだ。

 病んだような雰囲気と、少女の持つ元の明るさが交じり合い、不思議な魅力になっている。



 ───やはり……この子は綺麗だ。



 それは家族として嬉しくもある一方、不安でもある。

 こんな美少女を、禁欲を強いられてきた囚人兵が放っておくだろうか。


 予防線を張ろうにも、クラムは日中ここにはいない。


 辛うじて、囚人兵も日中は遅くまで作業に駆り出されているので、彼女は陽の高いうちはココに一人でいる。

 が……。

 陽が落ちてからの数時間が、彼女と囚人兵が接触しかねない時間帯だ。


 その時間が怖い。


 せめて身を守る武器でもあればいいのだが……。

 せいぜい天幕を作るためのペグや木槌くらいなもの。これでは護身用としては心もとない。


 槍は番兵として持つことを義務付けられた。

 ないほうが『勇者』としては安心だろうに、まぁ───槍一本では相手にもならないんだけどね。


 悩んでいる間にも、リズがクラムに身を寄せ甘えてくる。


 スキンシップにしては近すぎるが、こう暗いと触れ合える距離でないと互いがほとんど見えないのだ。


 それくらいなら、くっついていたほうがいいか──とクラムも思っていた。


 そして、寝具をクッション代わりにして、リズを胡坐あぐらの上に乗せると食料を取り出し与えてやった。


 今日の収穫は肉の塊と、野菜の切れ端、食べかけの果物だ。


 そこに、酸っぱくなってしまったワインが瓶ごと捨てられていた。

 とは言え、元が高級品なのだろう。

 庶民が飲むものより、十分にうまいものだ。


 それをリズが嬉しそうに頬張っていく。

 クラムも肉を齧りつつ、ワインを二人で交互に飲む。


「ぉぃ、…い」


 すぐ近くの息のかかる距離でリズがほほ笑む。

 薄暗い中で、リズの顔がアルコールで上気しているのが分かった。


 不意にもよおす劣情に、自分を絞め殺したくなる……。


 随分、そういったところの垣根かきねが低くなりつつあるようだ。


 そりゃそうか……。


 毎日毎日、

 あの三人の嬌声きょうせいと情事……───その痴態ちたいを見せつけられているのだ。

 意識するなというほうが無理だ。


 しかし、そんな対象にこの子を見るのは倫理観と、クラムの人間性が許しはしなかった。

 それを認めてしまえば、この子の身を案じているのはただの偽善に成り下がる。


 そう、

 ただの独占欲だと───。


 よこしまな思考を追い出すようにクラムが頭を降ると、「ケプッ」とリズがオクビを漏らす。


 それほどの量はなかったはずだが、リズの体格からすれば十分な量だった。


「美味かったか?」

「ぅ、ん」

 コクコクと素直に頷く姪を見てしまい、自分で聞いていながら惨めな気持ちになる。


 元は残飯だ……。

 それを美味いなんて───。


「そうか。明日はなにか……リズの好きなものを持ってくるよ」

「ぉ、んと?」

「あぁ」

「…ん、とぇ、じゃ、ぃーズ」


 ───チーズか。

 ………探せばあるだろうな。


「そんなんでいいのか? もっといいものを持ってくるぞ?」


 できるかどうかは別だが、聞くだけ聞いて悪いことはない。

 近衛兵どもは、実に様々なものを食っていやがるからな。


「ぅぅ、ん。チ…ぅで、ぃい」

「そうか、わかったチーズだな! まかせとけ」


 ナデリコ、ナデリコと姪っ子の頭を撫でてやる。

 その際にムワっと垢の匂いが漂う。


 囚人兵の目に触れさせたくないので、リズは人気のいない日中を除き、基本この中にいる。


 日中も、人の気配を感じたら隠れるように言い置いているが、この様子だとほとんど中で過ごしているのだろう。


 遊び道具もないし、

 話し相手も、遅くに帰るクラムしかいない。


 およそ、子供の暮らす環境ではないが、リズは不満も漏らさない。

 それどころか、こうして幸せそうに微笑む。


 それにしても、だ。


 やはり少々汚れすぎだろう。

 だから、この雨を利用して体を洗おうと考えていた。

 

 幸い、人目はないものと思っていい。


 いつもなら、クラム自身疲れているので、食事を終えたらリズと一緒に寝ていた。

 ほとんど過ごす時間はないが、それでも十分に満たされていた。

 

 だが、今日は『勇者』に殴られ、意図せず眠ってしまったので、多少は無理ができる。

 シャラの助言もある。


「リズ───外に出るか?」 

「??」


 どうしたの? という目を向けてくる姪。


「あー、いや体を洗おうかと……な」 


 そういうと、リズは自分の腕やボロボロの布の中を嗅ぐ………。

 そして、クラムを見て───シュンとしてしまった。


「あ、や……! り、リズが臭いって意味じゃなくてだな!」


 実際そうなのだが、年頃の女の子に言う言葉じゃない。


「せ、せっかくの雨だ。そうだろ?」


 な!? と誤魔化しつつリズをいざなう。

 クラムももう少し言葉を選べるのだが、久しぶりの酒は疲れた体に沁みすぎて悪い方向に行ってしまったようだ。


 リズもちょっと頬をふくらませてみせたが、


「ぅ、ん…ぃこ!」


 と、金貨100枚に匹敵する笑顔を見せてくれた。


 思わず見とれてしまうほどそれはそれは可愛らしい笑顔だった。


「よし、スカっとしようぜ!」

 わざとらしくウキウキした声を出してクラムは先に立って天幕を出る。


 リズの匂いやら、自分の出すそれ。

 そして、生活の澱(リズの排泄は、天幕の隅に穴を掘ってしている……)の溜まった、小さな天幕のよどんだ匂いと違い───雨に降る外は、水と湿った土の匂いがしていた。


「きぉ、ちぃぃ」


 ザァァァァァァァァァ……と、降り続ける雨を顔全体で受け止めるリズ。


 クラムも、真似をして天を仰ぐ。

 

 少し前に『勇者』の寝所でも同じようなことをしていたが、まったく感じ方が違う。

 隣にリズがいてくれるだけでこうも違うのか。


 僅かに肌寒さを感じるのは、やはり風邪を引いたせいかもしれない。

 ワインのおかげで体は温まっているが、あまり良く無い兆候だ。


 それでも、リズが笑ってくれるなら…無理もできる。


 パシャっという音に目を向けると、

 ボロ布を脱ぎ捨てたリズが一糸いっしまとわぬ姿で雨の中をクルクルと回っていた。


 暗い闇のなかで浮かぶシルエット───少女の体のラインがよく見えた。


 そして、ゴシゴシと体をこする様まで、………ほんとによく見えた。

 はしたないと、普通なら叱るところだろうけど───。


 ここは地獄の一丁目───。今さら恥だの、なんだの……。


 逆に、リズが美しくあるなら…囚人兵の目は怖いが、クラムとしては成長を見ることができるようで嬉しい。


 失われたはずの家族が、ここにいて───今も成長しているとお思えば、こんな嬉しいことはない。


 洗い終えた体を惜しげもなく晒し、小さな声で笑うリズ───。


 踊るように、

 跳ねるように、

 女神のごとく───。


 サァァと……! と、一瞬だけ雨が上がり───雲が切れ月明かりが不意に差し込んだ。

 それはまるで天の梯子はしごのように一筋の光を差し伸べて………リズを明々と照らしだす。


 美しい笑顔を浮かべたリズが、

 洗い終えた体の雫をキラキラと反射させ、






 本当に美しくそこにあった───。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る