第33話「泥を啜ってでも───」

 シャラを見送り、しばらく雨に打たれるに任せたクラム。


 冷たい雨が体温を奪うと共に、束の間感じれたシャラの温もりをあっという間に洗い流していった。





「……帰ろう」




 思いを振り払うようにクラムは顔の水滴を拭った。

 体の芯は鉛のように思い───。


 きっと、風邪だろう。

 こんな場所で風邪をひくと言う失態。


 だが、寝所番を命じられている以上、避けられない事態でもある。

 だから今は眠りたかった。

 あの狭い不衛生な天幕に戻って、リズの温もりも感じながら泥の様に眠りたかった。


「帰ろう……」


 誰に言うでもなく、クラムの呟きは闇に溶けていった。


 そうとも、帰る──────帰るんだ。

 あの小さな「家」に。


 ノロノロと動き、今日の「仕事」を終えるクラム。


 シャラの助言のおかげで睡眠時間が多少稼げた。………それだけでも、今日はまだマシかもしれない。

 ちょっとした怪我と、風邪により体調を崩したことはさておき……だ。


 ジンと痺れる拳。

 冷え切った体の中、そこだけが燃える様に熱い。


 おかげでふらつく頭も少しはまともに働いてくれる。

 

 ゆっくりと周囲を振り返ると、どこもかしこも闇に閉ざされている。


 ボンヤリ天幕から明かりが漏れているところもあるが、遮光性の高い軍用天幕はテンガの使うそれとは違い、暗く闇に溶け込んでいる。


 雨の日の野営地は本当に暗い───。

 激しい水滴の応酬に、篝火かがりびひとつけないキャンプ地は、本当に暗いのだ。


 光源といえば近衛兵たちの天幕内で灯っている小さな明かりくらいなもの。それすらほとんど見えない。


「飯───確保しないとな」


 そんな中、幽鬼のような表情でクラムは歩いていく。


 すぐに帰りたいところだが、食料を得ねばクラムもリズも飢えてしまう。

 無理を推してでも給食・・る必要がある。


 お金はあるが、なるべく取っておきたいし、なにより「勤務時間」のせいで闇市にも寄れない。


 仕方がないので支給される給食・・を当てにしているのだが、どうにもこうにも、ここのところそれがまた一段と酷くなってきた。


 だが、食わねば死ぬ───。

 リズと二人で死んでしまう。


 それでもいいと思えるのは、クラムだけの独り善がりだろう。


 リズは………………。

 あの子だけは、なんとしてでも救いたい。


 ……だから、どんなに酷い飯でも取らねばならぬ。



 クラムの向かう先、厨房設備のある天幕はさらに人気がなかった。

 飯の準備と配食時以外にここは人気がない。

 早朝ならば朝飯を準備するため殺気だった勤務員が怒鳴りながら仕込み作業をしているが、この時間は無人だ。


 火もついておらず、一層暗い空間。


 そんな中、クラムは厨房の脇へと近づき、地面に掘られた穴に近づく。

 そこは、雨に濡れて拡散してはいるが、……ひどく生臭い匂いが漂っていた。


 そうとも、

 ここはゴミ捨て場───近衛兵どもの残飯やら、なんやらが山と捨てられたとこで、そのうちの生ゴミ捨て場だ。


 このキャンプ地にはそんなのがいくつかある。

 そして、今クラムが覗きこんでいるのは、比較的古い穴だった。


「……う」


 ツンと鼻をつく刺激臭。


 底のほうでは腐敗が始まっているのだろう。

 厨房では、生ゴミや食べ残しを処理するため定期的に穴を掘っているらしく、ここ以外にも埋め立てられた穴がいくつかあった。


 この野営地はかなりの大所帯のため、掘った穴はすぐ埋まる。

 だが、大きめの穴を掘れば2、3日は使えるのだ。



 そして、これがクラムへの支給された給食・・でもあった。



「今日は、一段と酷いな……」

 覗き込んだクラムにはとても、食べ物があるようには見えなかった。

 運が良かったり、穴が新しければ比較的程度の良いものが手に入るのだが、雨のお陰でこのざまだ。


 しかも、古い穴のせいで発酵と腐敗が余計に進んでいる。

 当然のこと捨てられた食材はゴミだ。そして誰にも触れられないゴミは古くなっていき、中身は腐敗したもので溢れかえる。


 そして、捨てたばかりの生ごみもそれと交じり合い、中々ひどい状態になるのだ。


 今日は、その上雨……───。

 雨で匂いは誤魔化されているが、水没した食料は底のほうの腐敗汁と混ざり合い、状態は最悪だ。


 しかも、最近ではクラムがこれを食べていることを知った幾人かの奴らが、わざわざここに汚物を放り込んだり土を入れたりする。


 しかも、手の込んだ悪戯いたずらをする連中に至っては、わざわざ棒を使って穴のなかを攪拌かくはんしやがる……!


 くそ!!


 おかげで上のほうにある新しい生ごみも、腐敗した食材と混ざって──もうひどいものだ。


 近衛兵だか、後方の非戦闘員の連中か…はたまた・・・・「ハレム」の女たちか知らないが、面倒なことをするものだ。


 ───よほど暇らしい。


 何がしたいのか全く分からない。

 クラムのみじめな姿を見たいと言うならまだわかる。

 わかりたくもないが、そういう人間・・・・・・もいる。

 

 だが、この時間にゴミを漁っているクラムの姿など見ることもできないのにそんなこと・・・・・をするのだ。


 ───その……なんだ? なんていう心理状態なのか知らないが、例え嫌がらせをしたとしても結果が見れないのが分かっていて、なぜやるのか理解に苦しむ。


 しかし、実際にこれだ───。


 とりわけ今日は強烈だ。


 雨の中、生ごみの穴を覗き込めば、プカプカと浮いている生ゴミに交じり、茶色の固形物も……。


 信じられるか?

 わざわざここまでク〇を運んできて投げ込む面倒さを、惜しまない連中がいるのだ。


 考えられない阿呆だ。


 オマケでタダでさえ汚い食材に、流れ込んだ泥が含まれて、泥と〇ソの区別もつかなくなる。


「くそ……!」


 これを食べろという。

 たしかに食べ物だ。

 栄養価の高いものもなかにはある。


 だが、腐敗したものや、危険なものも含まれている。

 それに、悪戯が度を越せば、ここに毒やら刃物を入れられる可能性もある。


 ここの食料を生命線とするクラムたちにとって、それは致命的過ぎる。


 


 …………それでも───。

 それでも、これしかないのだ。


 これを、食うしかないのだ。


「食ってやるさ……! なんとしてでも食ってやるさ!!」


 何処かの天幕から漏れる、かすかに見える程度の薄明りの中でクラムは屈みこみ、食材らしきものをかき集めていく。


 自分で食べる分と───リズの分。


 それを集め、……毒見するのだ。


 そうしないとリズが危険だ。

 あの子のためなら、この身など惜しくはない。


 だから、クラムが体を張る───。


 それしか方法はない。


 さぁ、今日も頂きます───クソ近衛兵ども!

 そして、クソ勇者め!!


 かき集めた食材を、まずは目視で確認するクラム。

 異物の混入や、付着物を確認し、大丈夫そうなら、次は匂いだ。


 当然、糞便の匂いがするものは捨てる。

 それは腐敗臭も同じ。


 ただ、大きな塊状のものは、その限りではない。


 槍の穂先で表面をこそぎ落とせば、いくらかは食える場合がある。

 ただ、この雨のせいでパンはだめだ。


 汚物と腐敗汁がしみ込んでしまっている。ゆえにパンはあきらめて主に硬いもの。

 肉や、野菜類、果物を狙う。


 お…………これはいけるか?

 ……う、クソがついてやがる。

 だが…食えるな。リズではなく、洗って俺が食うしかない。


 自分が今食べる用と、リズ用、そして保存食用だ。


 優先順位はリズが一番高く、次に保存食。そして、俺だ。


 土やちょとした汚れた程度のものを選別する。

 しかし、暗くてほとんど色がわからないので、明らかに食えないものや──。

 時折、人糞を思いっきり握ってしまったりと、なかなか作業は進まない。


 雨のせいでもあるが、雨のおかげで手が洗えるのはありがたい。


 そういえば久しぶりの雨だ。

 ………あとでリズと一緒に体を洗おうかなと、ふと思いつき、その方法を画策する。

 石鹸なんて手に入るはずもないが、ハーブくらいならなんとか摘むことができる。


 汚れを落とし、ハーブで傷を癒しつつ、匂いを刷り込む───。

 きっと気持ちいいだろう。


 リズも喜ぶに違いない。


 うん。そうと決まれば急がないとな───。

 それにしても、降ったり止んだりとせわしない雨だ。


「天に誰かいるなら、そいつは実に頭がいい」


 塩でも、矢でも、炎でもない。


「───水なら、誰も死なないからな……」

 

 そんなことを気にしながら、クラムはようやく食材を集め終わり、懐に収めていく。

 これらは毒見……。何とか食べられる。


 残飯漁りのクラム。


 まったく卑しい姿だろう。そしてそれを食うしかないクラムとリズ。

 だが、……悔しいが、中にはなかなか旨いものもある。


 なんせ、近衛兵の食事の残飯。

 なかには勇者やハレムのそれもあるのだろう。


 当然、平民出の野戦師団や、囚人兵のそれとは違う。


「……御綺麗な近衛兵たちの食い物なだけはある。中身はクソ野郎だが、いいもの食ってやがるぜ───」


 っと、大分集まったな。

 今日はなんだかんだで、上々だ。


 シャラのお陰で残飯漁りの時間が大きく確保できたためか……。


義母さんシャラ……)


 頭をふり、クラムは扇情的な恰好をしたシャラの姿を隅に追い出す。

 今はその姿に囚われているときじゃない……。


 リズを優先しよう───。


 俺の最後の家族……。

 リズ───。


「……さて、行くか!」

 カラ元気のように声を出すと、ヨロヨロと立ち上がり、自分用の食い物を口に詰め込む。

 なにか苦い味が混じったりして……不潔なものだが、これを食わねば生きていけない。


 そうだ。

 泥を啜ってでも……生きなければ。


 何が何でも生きなければならない……。


 何度───。

 何度死にたい。


 殺してくれ。


 それが無理なら、殺してやる! なんて考えたが……。


 今はもうできない。


 クラムには未練ができてしまった。

 守るものができてしまった。


 憎しみだけではなくなってしまった───。 


 リズのこと。

 ネリスや、シャラや、ミナのこと。

 そして、ルゥナの行方───。


 そして、なによりも……憎しみだ!

 諸悪の根源である『勇者』をこの手で──────!!


 そのためにも、飢えで死ぬわけにもいくものか。

 早晩、体調を崩す可能性もあるが、それでも食ってさえいればなんとかなる。


 ───何とかして見せる!


 さぁ、

 ……だから帰ろう。






 リズの………───家族の元へ。

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