第25話「勇者の野営地」

 地形の陰に身を潜ませながら、スルスルと忍び寄っていく。

 囚人兵だからといって、野営地をうろついているだけで、別に殺されるわけでもないだろうが……油断はできない。


 とくに、勇者のキャンプは別だ。


 近衛兵が監視していることからも分かる。

 普通なら、外周に沿って監視するもの。その様ならわかるのだが……勇者のキャンプは野営地の最中にありながら、内部からの侵入を警戒して兵を立てているのだ。


 ───それだけでもわかる。


 侵入者に弁明の機会など与える気はないのだろう。

 近づくものは害なすもの……。そう言っているのだ。


 少なくとも、勇者への接見を制限するためなら──彼の天幕の入り口にだけ兵を立てればよいのだ。


 それをせずにキャンプ地をグルリと囲っているということは……まぁそういうことだ。


 近づくにつれて全容が明らかになるキャンプ地。

 そこはかなり広く───ちょっとした盆地状であり、そこだけは水捌けが良い。


 そのうえ、ふきっさらしの風が入らないため、キャンプ場所の立地としては理想的だ。


 おそらくあれならば、高所に兵を置けば、さらに遠くまで監視できるだろう。 

 しかし、意外にも高所に兵は配されておらず、盆地の底に作られた簡易柵に従って作られた陣地に「動哨」と「歩哨」を組み合わせた兵が配されてるのみ。


 そして、キャンプ地内にも兵が立哨しており、外周と内周の二重の構えだった。

 ありの這い出る隙間もないように見える。だが今は草木も眠る丑三つ時───……闇がその警戒網を侵食していた。

 

 当然闇を払うため、要所要所で篝火かがりびが多数かれており、闇を圧するような威圧を放っているが……。


 ──そこを警戒する兵もまた、人間なのだ。


 昼間に聞いた通り、『勇者テンガ』が寝所で女を抱いている時は……兵を遠ざける。

 まさにその通りらしく……本来あるべき警戒線をむりやり移動させられているため、内部の警戒線はいびつな、形をしていた。


 昼間ならそれでもよかったのだろうが……。夜の闇は、その中途半端な警戒線を侵食している。


 キャンプ地の中には闇溜まりも多く、そこには兵の目が行き届かない。

 本来であればその闇を避けるための兵の配置なのだが……『勇者テンガ』の油断なのだろう。


 女を抱くときのみ発生するその隙───。


 ……好都合だった。


 そしてなによりも……。

 この警戒線ピケットラインは見た目以上に、おざなりだった。

 

 そう。近衛兵とは言え人間。


 最強と称される勇者を護衛する意味も見いだせず、その意気は下がっているらしい。

 しかも、本日は戦勝の日だ。

 

 報奨を受け取ったものも多く、見張りですら酒を飲んでいる始末だ。

 篝火かがりびに照らされる兵の足元には複数の酒瓶が見られるし……外周の歩哨陣地に至っては宴会中だ。


 動哨として彷徨うろついている連中も、酒瓶片手に千鳥足ちどりあし

 とても警戒しているようには見えない。 


 しかし、いくつかは真面目な陣地や兵もいるようで、不動の姿勢を崩さないところもある。


 ……だが言ってみれば、そういうところを避ければ侵入は容易だった。

 盆地の特性もあり、高所にいる限り内部は丸見えだ。


 侵入経路と、目的地を割り出すと──クラムは行動に出る。

 不安要素はたくさんある。

 偵察不足と、情報不足。そして、練度不足と覚悟の不足───おまえけに撤収時の段取り不足。極めつけは……この足枷。


 ───この音だけはどうしても消せないのだ。


 道具があれば体に巻き付けたりもできるが……中途半端な長さの鎖のため、手で押さえながら行動というのも難しい。


(くそ……忌々しい!)

 トコトンこいつは人の行動を阻害する様に作られている。

 それが、この足枷というもの。


 まぁそのための道具だから、ある意味正しいのだろうが……。


 しかし、今この瞬間は絶好のチャンスである。

 クラムは躊躇ためらいを捨て、闇溜まりを拾うように徐々に接近していく。


 そしてあっさりと外周を乗り越え内部に侵入できた。


 あきれたことに、歩哨陣地は眠りこけていた。

 場所によっては娼婦を連れ込んでいる陣地まである。


(くだらねぇ……)


 ……これで王国軍最強だというのだからお笑い草だ。

 暗い笑みを浮かべながら近づくと……───内部にいる兵もやる気はゼロ。


 多少の不審な音がしても確かめる気すらないようだ。


 それ以上に……アレのせいか。

 ここまで離れていても聞こえる情事じょうじの声───。

 噂通り、『勇者』殿は女を連れ込んでいる様だ。


 ならば、やはりあの豪奢な天幕は「ハレム」──女用らしい。

 そして、あのデッカイ天幕は『勇者テンガ』の寝所らしい。

 

 あぁ♡ あーーー♡───と、

 激しく絡み合うあっているらしい女の声が響く。


 そこに交じる男の低い声。


 内部の兵をすり抜けてしまえば……もう障害は無かった。



 ──ドクンドクンと、心臓が高鳴る。



 武器は何もないので……勇者を害することはできない。


 さすがに素手であの化け物にかなうとは思えないし……今の目的は、情報収集……──いや、ただの確認。

 自らに沸いた下種げすな考えの否定のためだ。


 彼女がいるはずがない。

 いるはずがないんだ……。


 でもッ!


 …………。


 ……。



 ──……ネリス。


 君は……。

 君は、今どこにいる?



 チャリチャリと音を立てる足枷に、心の臓を掴まれる思いで近づいていく。

 その音で今にも兵に気付かれそうで……。

 天幕の先の『勇者』に気付かれそうで……───。


 くそ……!

 落ち着け俺…………。


 場所からして、「ハレム」がやや遠い、

 『勇者』の寝所はすぐそばだ。


 影絵のように浮かぶ内部の人影は、随分と激しく絡み合っているらしい。

 バチュンバチュンと、肉を打つ音がここまで聞こえて来る。


 「女の影」は逆に男を組み敷くように、上に跨っているらしく……激しく体を動かしていた。


 男は逆に余裕そうに寝そべり、談笑交じりに……激しく動く女をなじっている様だ。


 はしたない女だ、とか──。

 いやらしい女だ、とか──。

 昔の男が泣いているぞ、……だとか──。


 それを聞いた女が、感極まった様子で、激しくあえぎつつも、「言わないでっ」と懇願しつつもそこにはよろこびが交じって聞こえる。



 …………。


 ……。


 どうする?


 「ハレム」にいる人物を確かめるなら───……「ハレム」の天幕を確認する方が確実だろう。

 今『勇者』の寝所にいるのは一人だ。


 クラムの目的からすれば「ハレム」に向かうべきだろう……。

 そっちのほうが女の数は多いはずだ───。


 だが、なぜだ……。

 なぜ、だ……。

 なぜ……。


 女。

 女の……。


 女の声がッ!


 あの『勇者の寝所』から聞こえる、女の声がぁ……!!

 







 オンナノコエガミミカラハナレナイ───。







 ───……。


 不意に、


 ……。


 あの日の、情景が───。



 ……。


 ッ───。



 ※ ※


「何ヤラシイ顔してるのよー!」


 ぶー……と子供っぽく頬を膨らませプリプリしているMy嫁……ネリス。

 結構本気で殴られた。

「めっちゃ痛いです……」

「天罰」

 あらら、

 機嫌を損ねたようだ。


「癒してくれよー」

 むーとキスをせがむと、途端に顔を赤くしてブンブンと拒否する。

「わひゃ……! こ、こんなとこでしないでよー……みんな見てるし!」

 はわわわ、と小動物チックに慌てているネリス……うん、愛おしい。


 ※ ※



 そう、

 愛おしい……。


 彼女──。


 ネリス……。



 ────……。


 ……。


「あぁ♡ ああーー♡♡ テンガ♡ テンガぁぁぁ♡」


 女の声が絶頂に近づいていく様を……。


 なぜか……なぜか、脳裏にまざまざと浮かべることができた。


 その香り、

 その嬌声、

 その身体───!!


 彼女の顔を……。


テンガぁぁぁぁクラムぁぁぁぁ♡♡」


 ……。


 ……あぁぁ、これは幻聴だ。

 彼女を疑った俺の醜い心が聞かせる幻聴……!!!


「ははははははは、お前はいい女だよ___ぅぅ!!」





 ───は?





 い、今。


 今なんつった?


 おい、

 おい、

 おい! ─────クソ『勇者』さんよ……!?





 イマ、オレノシッテイルヒトノナマエヲヨバナカッタカ??

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