第6話「終わりの日の朝」

 たしか──……その日は、よく晴れた日だった。


 そして、クラムがどん底人生に落ちるまでの、幸せだった・・・・・最後の朝──。


 それはいつものように晴れた日で。いつも通りの……なんてことのない日だったはず。


 そう、いつも通りの……。




 ※


 チュンチュン……。

 チュン、チチチッ。


 柔らかな朝日を受け、気だるげに瞼を開ける。

 途端に目を刺す陽光に、いつもの朝が来たことを理解した。


「ふわぁぁぁああ……」


 ゴキゴキと首を鳴らして身を起こすクラム。

 まさか、今日この日に訪れる危機など気付くよしもなくベッドの中で目を覚ました。


 そして、隣に眠る人影に優しく触れ、耳元で声をかける。


「──おはようネリス」

「……んぅ?」


 腕の中でゆっくりとした寝息を立てているネリス。少しむずがるが、まだ起きない。


「朝だよネリス? ネリース……」


 揺すっても起きない嫁。

 その額に軽く口づけをして起こそうとする。


 昨夜も割とハッスルしたが、そんなことで寝坊するほどやわではない。……多分。


 少々腰がきついが、うん……頑張り過ぎたか?


 お相手たるネリスも、疲れきっているのだろう。

 全く起きないネリスには、幾度となくキスの雨を降らせる。


 そのうちに「う~ん」と気怠けだるそうな声を上げつつ、その美しい双眸そうぼうを開き、クラムを真正面から見上げた。


「……おはよ」


 ポッと顔を染めたネリスはいつもの如く美しく可憐だ。

 これが俺の嫁なんだから、嬉しくないわけがない。


 そして、お互一糸纏わぬ姿であることに気付くと、ネリスは更に顔を染める。

 その仕草は一々初々しく可愛い。





「あ、あの先に行ってて……」

 ボンッ! と、顔を真っ赤にしながらシーツで体を覆い隠すネリス。


「ん。わかった。義母さんの食事の手伝いをしてくる。──ネリスはコーヒー飲むよな?」

「うん!」


 パァっと花が咲くような笑み。

 綺麗過ぎるにもほどがある。


 見ていてこっちまで恥ずかしく……そして幸せになる。


「先に行くよ」


 手早く着替えを済ませると、リビングへ。


 短い廊下を挟んでリビングに向かう途中。

 ちょうど子供部屋から出てきた──姪っ子リズと、愛娘ルゥナとち合う。


「叔父ちゃんおはよー!」「おはよーです」


 ショボショボとした眼のルゥナと手を繋ぎ、行儀よく挨拶するリズ。


 ……。

 本当にミナの娘かね?


「おはよう二人とも。今日は学校か?」

 「はい!」と元気よく返事するリズ。


 二人は王国内の庶民学校に通っている。

 聞けばなかなかの優等生だとか。


 我が家は決して裕福というわけではないが、既定の授業料くらいは払える蓄えもある。

 そのため、エンバニア家では子供を学校に通わせていた。


 ──教育は絶対に必要! というのが、亡くなった父の方針だ。クラムをそう思う。


 そして、父が亡くなったあとも、後妻である義母さんはかたくなにそれを守り、エンバニア家は全員初級教育は受けさせてもらった。


 おかげで読み書きには困らない。

 さらには、どれもこれも仕事に役立つ事ばかりだ。


 つまり我が家の教育方針は、常に正しいということだろう。


「でも、午後はお休みです……。そ、その、先生の数が足りないらしくって」

 シュンと顔色を落とすリズ。


 なんでも、最近では兵隊に取られる青年が多いという。


 北だか辺境だか、どこか遠い場所で随分と派手な戦争が起こっているらしい。

 それは酷い戦いらしく、どこへ行ってもあまりいい噂は聞かなかった。


 クラムは戦争とは無縁だが、周囲はそうではないらしい。


 噂では、どの家庭からも家長を除いた次男坊以下は、次々に徴兵されているとか?

 いやな話だ。


「先生も兵隊かー……大丈夫なんだろうか」

 国の未来とも言うべき子供。それを教育する教師まで動員しなければならないほどの時代らしい。


 本当に嫌な話だ。


 幸い、クラムはエンバニア家の家長───徴兵はない、はず。

 それもいつまでも続くか分からないけどね。


 ま、今気にしてもしょうがない。

 少なくとも今日明日ということは無いはずだ。


「──だから、午後はお母さんのお手伝いをしてます!」

 ニコっと元気よく答えるリズ。


 手先が器用なリズの母──ミナは木工所の細工部で働いている。

 切り出した木を加工し、家具にしたり装飾品を作る部門だ。


 稼ぎは、俺よりいい。──ちくせぅ……!


「そうか、そうか──リズは偉いな!」

 ナデリコナデリコと、頭を撫で回すと顔をピンク色に染めて恥ずかしそうにうつむく。

 ホンマに、ミナの娘かよ。……くぅぅ──かわええのー。


 リズもクラムに撫でられると、目を細めて気持ちよさげだ。


「むールゥナもー」

 撫でて撫でてーという娘。


 これで撫でない選択肢などない。


 ナデリコナデリコ×10──。


「叔父ちゃん……ルゥナだけ長いです」

 ジトっとした眼のリズ。


 おぅふ。やり過ぎか!?

「な、長かったかな?」


「い、いえ……ちょっと羨ましかっただけです」

 いいなーとばかりに、指を口にくわえて羨ましがるリズ。

 ルゥナは眠そうな顔になっている。うーむ、どっちも……天使じゃの。


 っと、廊下でイチャイチャしてても仕方がない。


「よっと!」

 そのルゥナを抱き上げリビングに向かう。


 既に良い香りが漂っている。

 食欲が激しく刺激される、それ。


 義母さんの料理は超絶品、嫁に欲しいくらいだ。


「おはよう。皆」

 空気が緩むような温かさと抱擁感のある声がした。

 その美しい声の持ち主であるシャラが、目を細めてクラムと孫娘たちを見つめる。


「おはよう義母さん」

 クラムも微笑み、挨拶を返す。


 そして、テーブルのいつもの席に着くと、隣の少し椅子のかさを上げた子供用のそれにルゥナを座らせる。


「おはよー。……昨夜はお楽しみでしたね」

 ジロっと、非難気な目を向けるのは、目のまえで庶民紙新聞のような物に目を通しているミナだ。


 健康的な脚線美を見せつけるように、脚を組み替えつつ──ペラペラの庶民紙を読んでいる。

 そして、器用に読みながらも、クラムを揶揄からかおうとする我が妹。


「ちょっと……。ミナ!」

 義娘が何を言わんとしているかを察したシャラが、顔を赤くしながらヤンワリとめようとする。


 義母が顔を真っ赤っかにしている。

 うわ。昨夜の家中に聞かれてたのか……。


 チラチラと上目遣いにクラムを観察するシャラの視線をうけると、微妙な恥ずかしさがこみ上げる。

 見た目は母どころか、年下にすら見えるシャラだ。

 そんな女性が頬を染めてクラムとミナの猥談に顔を赤らめている。


 うわ。やめてー、そういう反応……!

 恥ずかしいわッ!


 やっぱり家中に響いていたらしい。

 昨夜……ネリスとかなりハッスルしたからな。



 小さな家の事。

 聞こえないわけがない。



「まったく、ウチのバカ兄貴と来たら……。何人ジュニアを作るつもりよ」

 チ……! うらやましい、とばかりにミナがねている。


 ミナは旦那を亡くしてから随分ご無沙汰なのだろう。

 だから本気で揶揄からかっているわけではないのだ。


「まぁ……男の子が欲しいからな」

「そりゃ……まぁ、ね」


 エンバニア家に男はクラムしかいない。

 いずれ、ミナや義母さんも再婚するかもしれない。だが将来のことを考えると、跡継ぎはいたほうが良い。


 別に、継ぐほどの大した家系ではないが、義母さんシャラのこともある。


 彼女はエルフ。

 悠久の時を生きると言われるエルフなのだ。


 それも、さらに特殊なエルフであり、シャラはエルフ族の中でも、高位の種族──ハイ・エルフだという。


 つまり、確実にクラム達が先に死ぬ。

 それは仕方のないこと。


 だから、クラム達が死んだ後もシャラにはエンバニア家の一員として末永く幸せに暮らしてほしい……。

 子孫たち全員の母として。


 ハイエルフが母というのは、クラムをして違和感のある事実だが、そんなことよりもシャラの母性はずば抜けている。

 クラムの父とも、おそらく何人か結婚したうちの一人なのだろう。彼女はそれくらい長く生きているのだ。

 もちろん、前夫のことなど聞かない。聞く気もない。


 だが、興味はある。

 クラムとは、父親のこともあり義理の息子という関係になってしまったが、長命種たる彼女は人間社会に溶け込んで以来、常に自分より年下の人間と結婚しているのだ。


 何かが違えば、クラムと結ばれていた可能性もゼロではない。

 シャラと結婚するというのも、人生の何かが違えばあり得たのかとふと思ったりする。


 美しい人────シャラ・エンバニア。

 そして、クラムの初恋の人でもある。


 誰もが持つ、母に対する愛情以上に、義理の母であり、若々しい容姿で常にクラムの傍にいてくれた人だ。

 幼いクラムが恋心を持ったとておかしなことではない。


 だが、シャラは義理の母。クラムにとって決して届かない愛しい人────。

 でもそれでいい。クラムにとって重要なのは、優しい義母ができたという事のみ。


 それでいいと思う。彼女に育てられたクラム。

 その愛情に感謝を。

 そして、目の前に並べられた食事に感謝を捧げる。



 ──うむ、旨そうです!



 シャラが作ってくれた料理に不味いものなどないッ!

 早速、シャラから皿や鍋を受け取り手早く配膳。


 炒ったコーヒー豆をミルですり潰し、布で濾して人数分を準備する──子供たちはミルクだ。


 準備が整った頃には、着替えを済ませて行為の残滓を綺麗に洗い終えたネリスが食卓に着いた。


「おはようございます!」


 元気な声に目を向けると、ネリスは少し顔を赤らめながらもクラムの隣につく。


「ネリスおはよー、昨夜は──」

「やめい!」「やめなさい」

 またもや、兄嫁を揶揄からかおうとするミナに、シャラ&クラムの母子が絶妙なコンビネーションで突っ込みを入れる。


「てへー」

 ペロっと舌を出して誤魔化すミナ。


 可愛くない……───いや結構可愛いな。ちくしょうめ。


 ちんまいミナのこと、子供っぽい仕草がいちいち様になる。

 これでも、20代ゴニョゴニョのはず。


 歳を聞くと烈火の如く怒るので口にはしないし、冷静に数えることもしない。


「?? はい、御姉さんおはようございます!」


「ん、おはよ」

 ニコっと笑顔を合わせる二人。ちなみにネリスとミナは仲が良い。


 ……そりゃ、俺を含めて、みんな幼馴染だしね。

 ミナからすれば、ネリスは可愛い妹分といったところか。


「──はいはい。それじゃぁ、ご飯にしましょ!」


 パンパンと手を叩いて、シャラが注目を集める。


「──日々の糧に感謝を。八百屋の安売りに感謝を……」


 軽いお祈りを食事に捧げ。



「「「「「「いただきます!」」」」」」



 美しい朝が始まった────。






 そう、この瞬間までは本当に美しかったのだ……。


 本当に……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る