事件前日――②

「やあ、元気にしてたかい?」


 宴はまだ続いている。人の輪から離れ、沈思に耽っていたゲイルに話しかける者がいた。国王クルト=エフライムである。


「お久しぶりです」グラスをテーブルに置き、丁重に頭を下げる。


「まあ、そう固くならずに。君と私は同い年なんだから」


 世襲によって高い地位を得ている貴族や王族を、ゲイルは好ましく思っていない。ただし、能力を伴っている者は別だ。前国王の死後、和平派と継戦派に割れていた王国をたった一年でまとめ上げ、二十五年戦争を終結に導いたクルト王のことを、ゲイルは深く尊敬していた。


 それに、全くの他人というわけでもない。クルト王が母親を失った事件がきっかけとなり、ゲイルは幼くして両親と離別することになった。


 カトリーヌ=エフライム殺害事件。二十五年戦争を引き起こした、全ての元凶である。当時の第一王妃カトリーヌ=エフライムが宮殿の敷地内に建つ塔の最上階で絞殺され、護衛を担当していた近衛兵――ゲイルの父と母――が逮捕された。二人は犯行を否定したが、彼ら以外に王妃の部屋に入れた者はいない。他ならぬ容疑者自身が証人だった。王妃が自室に入ってから死体が見つかるまで、二人は扉の前で警備を続けていたのだ。


 裁判が行われ、ゲイルの両親は死刑を宣告される。しかし、彼らは脱獄した。追っ手を振り切り、王国の領土外まで逃走を果たした。国に一人取り残されたゲイルは孤児院暮らしを余儀なくされ、以来、家族がいない孤独な生活を送っている。


 自分は捨てられたのか? ふとしたはずみで子供時代のことを思い出した時、無意味なことだと知りつつ、ゲイルはそう自問する。答えの出ないその疑問は不安定な心にまとわりつき、決して消えない影となって、ゲイルを苦しめる。


 罪人の親と逃亡生活を送るより、孤児として新しい人生を始める方が幸せだ。普通はそう考えるし、父母がそう判断した可能性は高い。ゲイルもそれは理解している。子を連れていくことの難しさも、頭ではよく分かっている。なのに、割り切れない。苦い記憶に根を下ろしたわだかまりは、大人になっても消えてくれない。


 過去の一点から伸びている細い鎖は、わずかだが確実に、生き方を縛りつける。


「仕事はどんな感じかな?」王は言った。臣下というより友人に対するような、気軽な口調で。


「犯罪者の検挙に日々邁進しておりますが、思い通りには事が運ばないのが現状です。治安維持の難しさを実感しています」


 礼を失さないように、堅めの言葉で返事をする。似た境遇に置かれた者同士、ゲイルもクルト王に親近感を持っているが、身分の違いはわきまえなれけばならない。


「私と同じ悩みだね」王は微笑を浮かべた。「即位してから、そのことばかり考えている。どうすれば国をまとめられるか、どうすれば秩序を保てるのか。戦争を続けるのは簡単だが、平和は脆い。ほんの些細な失敗で、土台から崩れ落ちてしまう。あの時のようにね」


 クルト王が言っているのは、カトリーヌ=エフライム殺害事件のことだと、ゲイルはすぐに察した。収監されていた犯人が脱獄し、二年が経過した頃、事件は意外な展開を見せた。別の殺人事件で逮捕されたアラクネが、昔の罪を自白したのだ。


「どうせ殺されるのなら、アイツも道連れだ」


 戦前のエフライム王国は完全な人間優位社会であり、魔物は基本的に排除すべき対象であった。交流があったのは一部の亜人を除けば、多くの魔物とは敵対関係が続いており、有力貴族の中には、魔物を密かに捕まえて家畜代わりに働かせる者までいたらしい。


 犯罪と弱者の結びつきは、いつの時代でも強い。虐げられた魔物が、危険な仕事に手を染めるのは必然といえた。誘拐、強盗、暗殺請負。


 暗殺者アラクネのヴィオレッタは、カトリーヌ=エフライム殺害事件の真相を暴露した。自分が蜘蛛の能力で塔のてっぺんまで上り、生成した糸で王妃の首を絞めたのだと。近衛副長ジョージ・ウェインに暗殺を依頼され、彼の手引で王宮内に侵入したのだと。ジョージの狙いが、近衛副長への昇進が確実視されていたゲイルの父親の失脚だったことも、洗いざらい喋った。


 この報を受けたフィリップ王は激昂し、王妃殺しの真犯人ジョージ・ウェインを実行犯ヴィオレッタともども処刑した。しかし、王の怒りは収まらない。復讐の矛先を探し求めた末、最愛の妻を殺したアラクネに対する憎しみが、魔物全般への憎悪にすり替わった。


 バシミア暦1440年。フィリップ王は、国内の魔物達に激しい弾圧を加えた。こうしてエフライム王国は開戦への道を歩むこととなった。


 ゲイルがこの事実を――両親の冤罪を知ったのは、戦後のことだ。教えてくれたのは、今は目の前でプラムを食べているクルト王である。二十年以上のズレが生じたのは、先代のフィリップ王が情報統制を行い、カトリーヌ=エフライム殺害事件の真相を闇に葬ったため。その理由は単純にして狂的。「妻を守れなかった者も、殺人犯と同罪だ。護衛を怠った近衛兵を許すつもりはない。国中を探し回り、捕まえて殺せ」


 クルト王はプラムを飲みこむと、体をほぐすように腰のあたりを掌でさすった。


「私も、母を殺したのが魔物だと知った時は、彼らを恨んだものだ。父に感化され、魔物達をこの世から滅ぼしてやろうとも思ったよ。私が自分を見失わなかったのは兄のおかげだ」


 クルト王の兄リオン=エフライム。戦時中、ドラゴンの口で殺された第一王子であり、本来であれば彼が王位を継ぐはずだった。


「兄は静かな口調で、妄執に憑りつかれた私を諫めてくれた。『王族たるもの、一時の激情で国を乱してはならない。個人的な感情に、国民を巻きこんではならない』とね。兄は平和を望んでいた。そして結局、兄は正しかった」


 過ぎ去った日々を懐かしむような感傷の念が、言葉の端々に感じられる。言葉を途ぎらせる時、クルト王は必ず静かに息を吐く。


「兄が殺され、父も死に、私は国王になった。あの頃のことは鮮明に記憶している。死の間際、父はこう言ったんだ。『魔物を滅ぼすまで戦い続けろ』と。自分が正しいと思ったことは最後まで貫かなければ気が済まない人だったよ。即位した私は父の遺言を無視し、戦争に終止符を打った。とんだ親不孝者だよ」


 王はきっと誰かに話を聞いて欲しかったのだろう。そう感じたゲイルは、意見を挟むのを控えた。家族より国民のことを優先したあなたは立派な王だ、とは言わなかった。


「まるで、喜劇のような幕引きだった」ゲイルにしか聞こえないような忍び声で、王は続ける。


「魔物を滅ぼすために始まった戦争。その最後で、敵のリーダーは人間だったと明かされたのだから」


「知っておられたのですか」ゲイルは少なからず驚いた。「終戦の前に、魔王の正体を」


「ああ、実はね。和平交渉の時、こっそり教えてもらったんだ。一年間は伏せておくという約束でね」


 1469年7月22日、終戦からちょうど一年が経過した日。王国は『魔王が人間だった』という事実を、民衆の前で公表した。どこからその情報を入手したのかと、ゲイルは訝しく思っていたのだが、なんてことはない。あの情報は魔王から直接聞いたものだったのだ。


「最後に魔王に会った時、彼は部下達の心配ばかりしていたよ。人間味にあふれた男だった。できれば死んで欲しくなかったが、魔王の自殺がなければ、継戦派は納得しなかっただろう。彼らは参謀のアンビアも、殺すつもりでいたしね」


 クルト王の顔が、ほんの一瞬だけ苦渋に染まる。


「本心に反して、時には無慈悲な決断を受け入れなければならない。『国王』というのは難儀な仕事だ」


 すぐに表情を和らげると、ゲイルを正面から見据えて、


「思い出話に付き合ってくれて、ありがとう。君と話せて良かったよ」


 夜が更けないうちに、慰労会はお開きとなった。警察騎士の仕事は交代制。翌日が非番の者もいれば、今から夜勤の者もいる。参加者たちは解散し、家や仕事場へとそれぞれ帰っていった。ゲイルも国王と騎士団長に別れの挨拶をしてから、その場を辞した。




 家に帰ると、玄関の前で奇妙な来客がゲイルを待ち受けていた。

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