事件前日――①

 リッチーの死体が王都を騒がせる一日前。警察騎士の慰労会が、中央通りに面した酒場で開かれていた。


 特別な出来事があったわけではない。年に二度行われる定例行事である。美食と美酒を味わいながら、仕事の苦労をねぎらう愉悦の時間。いつもの場所で、いつものメンバーと、いつもの調子で語り合う。普段と異なるのは、国王クルト=エフライムが会に臨席していることぐらいだ。


「護衛の任務、ご苦労さまです」


 国王に随伴する形で酒場に来た近衛副長のケヴィンに、ゲイルは声をかけた。


「楽な仕事ですよ」たくましい褐色の腕を動かし、オークのケヴィンはグラスを合わせた。「『私に遠慮せず、自由に過ごせ』、国王様から授かった唯一の命令です」


「大らかな方ですね」そのクルト王は、離れたテーブルで、ニックと言葉を交わしている。「そのうえ社交的だ」


「公平な人ですから。身分の違いを全く気になさらない」ケヴィンはビールを一口飲むと、過去を懐かしむように目を細めた。「クルト王を見ていると、かつて仕えていた魔王様のことを思い出します」


「ほお」ケヴィンの言葉に、ゲイルは興味を惹かれた。「何か共通点でも?」


「外見ではなく、内面ですがね。魔王様は、誰に対しても分け隔てなく接してくださいました。あの方と会ったことのない魔物は、一人もいませんよ。もちろん、軍の指揮官として兵士のことを知っておく必要があった、というのが主な理由ではありますが」


 バシミア暦1443年。エフライム王国が行った魔物の大量虐殺に反発する形で、『魔物の国』が発足した。国といっても統治機構や法律があるわけではなく、その実体は、突貫的に作られた軍隊のようなものだった。種族ごとに異なる共同体で生活を営んでいた魔物達が結集し、王国の領土の一部とその周辺地域を占領。エフライム王国――人類に対して宣戦布告し、二十五年戦争が勃発した。


 その魔物の国の指導者が、後に『魔王』と呼ばれた男である。


「同志の者たちと打ち解ける一方で、魔王様はリーダーとしての威厳を損なうような真似は、決してなさいませんでした。部下に指示を与える時、戦いに赴く兵士達を鼓舞する時。魔王様は貫禄のある姿で、厳かに言葉を紡がれました。時と場合に応じて、人格を使い分けておられたのでしょう」


 最寄りのテーブルからチーズを一切れつまみ、ケヴィンは続ける。


「クルト様も同じです。普段は気さくな方ですが、国の政策について議論される時など、人が変わったように、重々しいオーラを放たれます。あの威厳、まさに王者の風格です」


「『名君は似る』といいますからね」ゲイルはうなづいた。「優れた素質は、万国共通というわけだ」


「それだけじゃありませんよ」ケヴィンは楽しげに言い添える。「服に対する考え方がそっくりなんです」


「服?」意外な語句が飛び出し、ゲイルは目を丸くした。「どういうことですか?」


「魔王様は他の魔物と会う際、必ず同じ服を着ておられました。そして、クルト様も常に同じ格好をしておられます」


 ニックと話しこんでいる国王を、改めて見る。ほどよく金で装飾された深緑のガウン、表が赤く裏が白いマント、先が尖った茶色の靴。頭には、権威の象徴である王冠をかぶっている。


「なるほど。あれ以外の服装は見たことがない」


「でしょう? あれはたぶん、王としての姿を印象づけるための工夫なんです。どんな組織であれ、リーダーにはある種の超然とした気高さが求められます。親しみやすいだけでは、『この人についていきたい』とは思えません。だから一国の指導者は、国民との立場の違いをはっきり示し続ける必要がある。その小道具の一つが、あの衣裳というわけです」


「理にかなっていますね」ゲイルは感服した。「我々も、国王のみすぼらしい姿は見たくない」


「そういうことです。魔王様も常日頃から黒衣に身を包んでおられました。同じ服を何着も用意し、それを着回していたそうです。終戦後に聞いた話ですがね」


「奇妙な偶然もあるものだ」


「まあ、実際は驚くほどのことでもないんです。魔王様もクルト様と同じ、人間だったわけですから」


 バシミア暦1468年。血みどろの戦いの果てに、魔物の国からエフライム王国に対して、和平の提案がなされた。魔物側の要求は二つ。種族差別の撤廃、魔物に人間と同等の権利を与えること。その代わりに、反乱を指揮した魔王が全ての責任を負って自決し、魔物の国は解散するというのだ。


 先代の王に代わって前年に即位した現国王クルト=エフライムは、この案を受け入れた。早期の終戦を望んでいたクルト王は、国内の反対勢力を封じこめ、迅速に和平交渉を進めた。約束通り、魔王は自ら命を絶ち、1468年7月22日、人々と魔物達はついに終戦を迎えた。魔王の死体は、参謀のアンビアの手で辺境の墓地に埋められたという。


「皮肉なものです。魔物達を率いていたのが人間で、その参謀も元人間。当時はまったく気づきませんでした」


「【変身】スキル……でしょうね」


「おそらく。魔王様は並はずれた魔力を持っておられましたから、姿を変えるぐらい簡単だったのでしょう」


「恨んではいませんか?」幼年期の記憶が頭によぎり、ゲイルはふと、そんなことを尋ねてみたくなった。「尊敬する者に裏切られた、とは感じませんでしたか?」


「いいえ、まったく。魔王様にお仕えできたことを、私は光栄に思います」


 ケヴィンは遠い目をして、物憂げな表情を浮かべた。それから消え入りそうな声で、低く呟いた。「一度でいいから、本当の姿を見てみたかった」


 空っぽになったグラスを、テーブルに置く。これ以上は飲まないつもりらしい。


「ところで、アンビアというリッチーは」一時の中断を挟み、ゲイルが思い出したように言う。「どんな人だったのですか?」


「難しい質問ですね」魔王の時と違って、ケヴィンは返答に困っている様子だった。


「実は、私も直接会ったことはないんです。魔王様を光とするなら、アンビア様は陰。表舞台には立たず、見えないところで魔物の国を支えておられました。一部の魔物を除いて、ほとんど面識はなかったと思いますよ」


 ケヴィンは息をつくと、遠くの誰かに問いかけるように、そっと天井を見上げた。


「今頃、どこで何をされてるのやら……」

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