事件当日――①
その怪しげな不審者を目撃したのは、一人や二人ではなかった。事件の情報が王都中に伝わった時、実に百人以上の人間や魔物が、ギラギラと輝く赤いローブのことを思い出したのである。
その謎の人物は、南の城壁に設けられた正門をくぐり、王都バームに入ってきた。妙に目立つ真っ赤なローブで全身を覆い、おぼつかない足取りで街路を歩いていく。こっちへふらふら、あっちへふらふらと、道は真っ直ぐなのに蛇行しながら前進する。
「おい、変なヤツがいるぞ」市場で果物屋を営むゴブリンのザボは、隣で野菜を売っているワーウルフのフレッドに話しかけた。「赤いローブに、不安定な足元。おまけに顔は見えないときた」
「ほんとだ、面白いじゃねえか」フレッドも赤いローブに注目する。「暇つぶしに、あいつの正体を推理してみようぜ」
朝のピークが過ぎ去り、市場は閑散としていた。こんな時間に食材を買いに来るのは、寝坊した料理人か、なじみの客ぐらいだ。商売っ気を出しても、儲かるわけじゃない。雑談に興じていても、売り上げが落ちるわけじゃない。
謎の人物の正体を当てるゲーム――退屈しのぎにぴったりの遊びだ。
「いいね。早速始めよう」先攻はゴブリンのザボ。「アイツは、徹夜で酒を飲んでたんだよ。ローブの下から見える足がよろめいてるだろ? あれは正真正銘の酔っ払いだね。真っ赤なローブをまとっているのは、何かのパーティーに参加してたから。どっかの飲んだくれが、遠路はるばる王都に帰ってきたんだ」
「バームの住民なら、ローブで姿を隠す必要はないんじゃないか?」
「人目を気にしてんだよ。知り合いに、朝帰りのみっともない姿を見られちゃマズいんだろうな。つまり、アイツは世間体を気にする必要のある、社会的に身分の高い人間か魔物――これが俺の推理だ」
「偉いさんが、あんな派手な服装で、朝っぱらから街に出るかよ」
「それこそ、判断力が鈍っている証拠だよ。酒で頭がイカレちまったのさ」
「上手にこじつけたな。次はオレの番だ」後攻はワーウルフのフレッド。「両足がもつれてる。姿を隠してる。赤いローブを着ている。アイツの正体は、重傷を負った暗殺者だ」
「おいおい、なんだよそりゃ」ザボが苦笑する。
「笑っていられるのも今のうちだぜ? オレの推理を聞いたら、ぶったまげること間違いなしだ」
「もったいぶらずに、早く言いなよ」
「いいか? ここは王都バーム、国王のお膝元だ。王家が暗殺者集団を抱えてるって噂は、よく耳にするだろ?」
「ほんとにただの噂だけどな」
「あの赤ローブは国王に命じられて、要人の暗殺に赴いた。しかし、ヤツは返り討ちに会い、任務は失敗する。殺し屋は命からがら王都に帰り着き、今に至るって流れだ。足がもつれてるのは怪我のせい。姿を隠してるのは、暗殺者だから」
「赤いローブはどうなるんだよ。姿を隠すには、逆効果だろ」
「それこそ、怪我をしてる証拠だよ。あのローブは元々白かったんだ。ところが、ターゲットに反撃され、ヤツは深手を負った。白いローブは血で染まり、真っ赤な真っ赤な赤いローブの出来上がり」
「お前も強引にこじつけたな。ん? あの赤ローブ、横道に入っていくぞ」
市場に並ぶ屋台の隙間を縫って、謎の人物は細い路地に入っていった。
「あれって、中央通りにつながる抜け道だよな?」ザボがフレッドに訊いた。
「ああ。強盗でも潜んでそうな薄気味悪い通路だ。この辺の住民でも、めったに使わねえ。ますます怪しいな」
路地は少し進んだところで、直角に折れている。赤ローブは角を曲がり、姿を消した。
「おかしなヤツ」視線を保ったまま、ザボが言う。
「まっ、良い暇つぶしにはなったさ。誰だか知らねえけど、感謝しようぜ」フレッドは銀色の髪をいじっている。
「胸騒ぎがする」浮かない顔で、ザボは路地の入り口を見ている。「変な事件でも起きなきゃいいが」
「なに心配してんだよ。赤ローブはただの酔っ払いなんだろ?」
「あれは冗談だ」
「お前は深刻に考えすぎなんだよ。おっ! ちょうどいいところに」フレッドは通りの向こうからやって来る、一人の男に目を留めた。
「見てみろよ、警察騎士のお出ましだ。事件が起きても、もう大丈夫」
「警察騎士?」ザボが顔を回す。「なんだよ、パッショの野郎じゃねえか」
「私服でお出かけか。どうやら今日は非番らしいな」
無用な熱気をふりまきながら、通りの真ん中を直進するパッショ。そのまま店の前を通り過ぎるのかと思いきや、彼は赤ローブと同じように、例の路地へと足を向けた。
「物好きがまた一人現れやがった」ザボの視線が元の位置に戻る。
「まあ、パッショなら納得だよ。あの道は、無神経な男にしか通れない」
ザボが言葉を返す間もなく、路地の奥から、マンドレイクの悲鳴のような、しわがれた叫び声があがった。
異変を察知したのだろう。パッショはすぐさま駆けだした。ザボとフレッドが見守るなか、彼は路地をまっしぐらに突き進み、角の向こうへと姿を消した。
「なんだよ今の」とフレッド。「生き物の声じゃなかったぞ」
「だから言ったろ」とザボ。「あの赤ローブは普通じゃない。嫌な予感がしてたんだ」
二人の会話はそこで中断された。路地の奥から戻ってきたパッショが、その場にいる者全員に対して、見てきたものを告げたのだ。
「リッチーが死んでいるぞー!」
聴衆の反応は薄かった。『ああ、またパッショが支離滅裂なこと言ってるよ』という空気が市場に漂う。
「おーい、パッショ。オレたちにも分かるように話してくれ」店先を離れ、フレッドが路地の入り口に近づく。「この世に現存するリッチーは、世界にたった一人だけ。そのリッチーも、終戦と同時に行方をくらましてる。白昼堂々、王都にいるわけねえんだよ。医者に目玉を診てもらえ」
「自分の目で確かめてみろ! 本当にリッチーが死んでるんだ!」パッショも負けじと言い返す。
「わかったわかった。じゃあ死体のある場所まで、案内してくれ」
遅れてやってきたザボも加わり、三人は横道に入った。石の建築物に挟まれた窮屈な通路を、一列になって歩く。最初の角を折れたところに、それは倒れていた。
あちこちに欠けたところのある石畳の上に、二足歩行の生き物が一人。頭の上から足首まで、赤いローブで包まれている。そのローブが一部ずれ落ち、謎の人物の顔が露わになっていた。
「こ、これはアンビア様じゃねえか!」パッショの肩ごしに死体を覗いたフレッドが、驚きの声を出した。
「アンビア? お前の友達か?」ザボが背後から尋ねる。
「ちげえよ! ていうか知らねえのか!? 魔王の片腕と呼ばれた、リッチーのアンビア様のことを」
「えっ、その人ってたしか、二年前に失踪したはずじゃ……」
「だから驚いてんだよ。おまけに刃物で刺されてる」
横向きに倒れている死体の左胸のあたり。黒檀色の柄を持つ鋭利な短剣が、赤いローブを貫き、心臓まで達している。だがフレッドには、それ以上に気になるものがあった。だらんと力なく地面に落ちた右腕の先端、比較的綺麗な敷石の上に、魔力で刻んだと思われる文字がくっきりと残されている。
『警察騎士ゲイル・ロンバート』
その文字に気づいているかどうかは定かではないが、パッショは振り返ると、二人に命じた。
「警察騎士を呼んでくれ! 迅速に犯人を捜さなければならない!」
「別にいいけどよ」フレッドが応じる。「蘇ってから本人に聞いた方が、早いんじゃねえか?」
「蘇ってから……だと?」
「オレの記憶が正しけりゃ、アンビア様は【蘇生】スキルを習得してたはずだ。心臓が止まるのと同時にスキル発動。全身に魔力が行き渡り、再び動けるようになるらしい。細かい理屈は知らねえけど、生命活動が停止した体を、魔力で無理やり動かすんだと」
「ならば、もうすぐ復活するということか?」
「いや、魔力が体に浸透するまで、ある程度時間がかかるそうだ。意識を取り戻すのは、一時間後か二時間後か……オレにも分からん」
「【魔力感知】で確かめてみよう」パッショがリッチーの死体の側にひざまずく。
「本当だ! たしかにスキルが発動している!」
「おい、フレッド」ザボが囁く。「あそこの文字に気づいたか?」
「もちろんだ」フレッドも囁き返す。「『警察騎士ゲイル・ロンバート』って書いてあるな。見間違いようがない」
「ゲイルって、あのゲイルだよな。まさかアイツが犯人か?」
「かもね。だが問題はそこじゃない」フレッドは三角形の口を、ザボの耳元に近づけた。
「ああして名前を残してる以上、アンビア様は誰が犯人か知っている。なら、蘇った後でソイツを告発すればいいじゃねえか。なのに、どうして地面にダイイングメッセージを残したのか。こいつはとびっきりの謎だぜ」
「面白いじゃねえか」ザボの口角が上がる。殺人犯に対する恐怖より、好奇心が勝ったらしい。「せっかくだ。この事件のことを、みんなにも教えてやろう」
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